第9話 罠
1.
むっくりと起き上がる。続いて、大きく伸びをする。布団から出たユンは簡単に身づくろいをすると、鏡で最終チェックをした。
同居の兄は『役』であって、オトコである。だらしない格好を見せる気は無いし、襲われるような隙を見せるのもNGだ。そんなことはしないと断言されたが、ヒトは――神も魔も――衝動の生き物である。
部屋のカギを開けて廊下に出ると、朝ごはんのいい匂いと音がした。それらを吸い尽くすかのように鼻と耳をうごめかしてキッチンへと至る。
翔一はちょうどソーセージを焼き終えたところだった。朝のあいさつを交わして食卓に座ると、湯気を立てるソーセージを目玉焼きに添えてくれた。
いただきますをしてすぐ、食パンにおかずを全載せして挟み込むとかぶりつく。と、対面に座った翔一が顔をしかめた。
「ユン、野菜も食えよ」
「ほまはいなぁほにいはんは」
「口に物を入れてしゃべるなよ」
レタスの切れ端を挟み直しながら口の中をクリアーにして、ユンは微笑んだ。
「いっぺんやってみたかったのこれ」
神界では、パンくずをこぼすことすら非難と中傷の種になる。それを翔一に説明すると、
「メンドクセェ……」
予想どおりの苦笑が来た。
「つか、それだとストレス過多で早死にしそうだな」
「でも、治癒があるから、なかなかね」
魔族も同じだ。
「どんどん増えるな、それじゃぁ」
「ヒトだってそうじゃん? 科学とか医学の力でなかなか死ねないでしょ?」
「科学や医学は魔法じゃねぇよ」
そう言いながら、兄はソーセージをかじる手を止めた。時々彼はこういう、時が止まったかのような仕草をする。何かを考え込んでいるのだ。
やがて、ソーセージかじりは再開された。
「ユンは、さ」
さりげなく、でも少し申しわけなさの潜む問いかけが来る。
「いつごろ為リ損ネって判断されたんだ?」
「12歳だよ。小学校卒業の時に検定があって、それで」
また兄の動きが止まる。でも、次に出たのは別の話題だった。
「そういえば、学校はどうだった?」
「んー、ふつー」
「クラスメイトはどうだ?」
「まだ遠巻きに見てるだけ。あと、落書き」
ユンの肌の色に関する差別表現が、一言だけ鉛筆書きしてあったのだ。
翔一は眉間にしわを寄せると、
「先生には言った?」
「うん。消す前に写真も撮ったから、提供しといたよ」
ようやく全載せサンドを攻略して、ユンは軽く笑った。
「こればっかりは直しようがないからなぁ」
そうだなとつぶやいた翔一は、コーヒーを飲み干した。
「続くようだったら言えよ?」
「うん、そうする」
ユンもコーヒーを飲み干して、にっこり笑った。
「――ということがあったらしいぞ」
朝一で職場にて報告をしたら、まあ女性3人がうるさいうるさい。
「で、誰を斬ればいいんだ?」
「斬るなよ」
「怒りの鉄拳は誰に向ければいいですか?」
「殴るなよ」
青髪と赤髪をたしなめて、翔一は溜息をついた。
「まったく、修羅の国の住人はこれだから……」
「学校教育課の人に通報しとけばいい?」
「それ微妙に的外れだろ」
黒髪までたしなめるはめになって、翔一は上司を振り返った。
「今日の作業、もう出発しましょうか」
ここでヤイヤイやっているよりはましだと思ったのだ。
だが、明日田とヴィッサリオは額を突き合わせて、魔界語で何事かを話し合っていた。二人ともに真剣な表情で、今までにこんな光景見たことない。
「あの……」
翔一が再度呼びかけると、ヴィッサリオが振り向いてくれた。
「アアハイ、もう行っちゃっていいですよ」
許可が出たので、翔一は女性陣を促すと自分も財布をポケットにねじ込んだ。
「行きましたね」
「行ったな」
ヴィッサリオと明日田の顔には、憂慮が張り付いたままだった。
「うまくしのいでくれるといいのですが」
「娘がかね?」
明日田に問われて、ヴィッサリオはため息混じりに首を振った。
「翔一君がです。彼がオーガナイザーの精神攻撃をしのげるかどうか。今後のためにも、ぜひしのいでもらわないと」
「兵殻外装のさらなる強化のためにもな」
そう、入手した欲望の塊を活用するための研究が大詰めを迎えているのだ。その副作用を乗り越えるためにも、翔一にはぜひともがんばってもらわねばならない。
しばらく黙って、娘の入れてくれた茶をすする。それから唐突に思い出したことを訊いてみる気になった。
「例の思いつきは、進展していますか?」
「うむ。神界の伝手を頼ってな。なかなかはかどらないのが歯がゆいが……」
それは、神界がユンを送り込んできたことから得た思いつきだった。
ミルは父親を手伝うという名目で、イリューシュは功績を挙げるため、それぞれ志願してきた者たちである。人間界からは、装甲役として翔一と、課の職務を遂行できる人材ということで――翔一への想いからヴィッサリオの魅了垂れ流しに巻き込まれない――津美零が選ばれた。
だが、ユンは神の為リ損ネであり、戦闘1回で神通力がほとんど尽きてしまうほどの弱者だ。そんな者を選び送り込んでくるということは、そこに何者かの作為が働いた可能性がある。明日田はそうにらんだのだ。
その過程で、現在活動しているオーガナイザーの居所と、そのたくらみも察知できた。おそらく今日、奴は襲撃してくるだろうことも。
またも思わずついてしまった溜息を、明日田に見咎められてしまった。
「なにがそこまで溜息をつかせるのだ?」
「翔一君に真の目的を隠しつつ、成長を促さねばならないからです。彼は巻き込まれたのですから」
「では、どうだ?」
そう投げかけてきた明日田の次の言葉は、ヴィッサリオの意表を突いた。
「お前の娘をあてがっては。成長への褒美として」
「……娘次第ですね」
父としては、そう答えるのが精一杯だった。
2.
今日も今日とて公園掃除。翔一は脇目も振らずに働いた。昼休憩を挟んでから、ずっと無言だった。
何も考えなくていい単純作業だが、管理部門で毎日小難しい議論を繰り広げている同期と『ギャラはおんなじ』である。
とはいっても、そのうち能力給やら昇格やらで差がついてゆくのだろうが、今はとりあえず目の前の仕事をこなしていくしかない。
そんなことをいつも考えているわけではない。先日事務連絡で本庁舎に行った時、廊下で行き会った先輩職員に言われたのだ。
『島流しされたからって腐ってると、ずっと外回りになるぜ?』と。
「島流し、ね……」
入職3年で本庁舎を出されたということは、そう見えるだろう。本当の理由を口外できないのだから。
でも、自分がバリバリ仕事ができるのかというと、まだよく分からないというのが正直なところだ。なにせ彼の3年間は、証明書の発行と電話応対に終始したのだから。
それに、やり手職員として生きていきたいという欲があるとも言えない。
つまり、宙ぶらりんなのだ。彼自身がいろいろな意味で。
だから、目の前のことをやるしかない。
そう思い直した彼の耳が、なにやら揉めている声をキャッチした。目を上げると、中年女性が2人、津美零に詰め寄っているではないか。脇にいるミルとイリューシュも戸惑い顔である。
「どうかしましたか?」
「あなたが責任者?」
肯定すると、女性たちは口々にまくし立てた。それを要約するに、どうやら魔族2人の髪の色が気に入らなかったようだ。公務員――勘違いなのだが――たる者がこんな派手な色に染めているとは何事だというわけだ。
少し耐えて、適度な所で口を挟む。こんなこともあろうかと、津美零と2人で検討しておいた台詞を。
「この2人は派遣会社の社員ですが、確かにちょっと目立ちますので、以後は気をつけるよう、彼女たちの会社にも伝達しておきます」
だが、どうやら既に津美零が弁明済みだったようだ。火に油を注ぐ結果になってしまった。落としどころの無い要求を散々わめいた挙句、上司に電話をすると言って帰っていった時には20分以上過ぎていた。
2人の姿が角を曲がってから、4人で一斉に溜息をつく。
「あの、すみませんでした。突然怒鳴られてアタフタしちゃって、それで余計に苛立たせたみたいで……」
謝るミルに、津美零が肩に手を置いて慰めた。
「気にしなくていいよ。ああいう人って、なに言っても聞かないから」
「まったく、多様性を認める社会とかいうのはどうなったんだ?」
「それは違うぞ、イリューシュ」
憤慨している青髪に、溜息混じりの知ったかぶりをした。
「多様性を認めるのは、全てを受け入れることとイコールじゃないってことさ。"みんな"と"全員"は違うんだ」
また4人で少しだけ溜息を重ねて、翔一は声を上げた。
「さあ、作業を続けようぜ」
「その前に、おやつタイムだ」
「お前はめげない奴だな」
そうだな。めげてる暇はないもんな。
3.
今夜の夕食は、翔一の部屋で全員集合となった。そして女性陣の第一声は失礼極まりないものだった。
誰に対して? 妹にである。
「ユンちゃん、太った?」
「大丈夫、ミルほどじゃないと思うぞ」
「キャー! イリューシュさん! 変なことばらさないでくださいよ!」
翔一が見たところ、ミルの外観に変わりは無いようだが、
(まあこのボデーだからな……少しばかり増えてても分かんないよな)
確かに、ユンのあご回りや二の腕が少しふっくらしたような気がしてはいたのだが、中学生女子に訊くのもはばかられて、黙っていたのだ。
で、ユンの答えは、
「そうなんですよー! お兄ちゃんもミルちゃんも美味しいご飯をいっぱい食べさせてくれるから」
続いて笑顔の宣言来ました。
「ミルちゃんに追いつき追い越せ、だよ!」
「ちょっと遠すぎない? その目標」
津美零の親切は、裏切られた。
「あ、じゃあ、とりあえず姐さん目標で」
「とりあえず?」
「ごめんごめんごめん!」
ひとしきりユンに謝らせる津美零を眺めながら、
「姐さん呼びはいいんだね」
「え? あ、まあ……」
一回り違うから、気にならないんだろうか。どことなく嬉しそうにも見える。
その隣で、さっきの会話を引きずっている者たちもいる。
「それにしても、本当に虐げられてたんですね……」「だな……」
という穏やかな感想はミルとイリューシュのもの。一方、姐さんは突然剣呑な表情になった。
「ユンちゃん、お願いがあるんだけど」
「はい?」
津美零の目が据わっている。
「どんなことがあっても、君のパパにお祈りしたくないからさ、名前教えてよ」
「同じく」
そう翔一も声を揃える。ユンから以前、『神様はヒトに祈られることによって神界での威信が増す』と教えられていたのだ。
「そうだな。少し困らせてやれ」
「わたしたちはそもそも神に祈りませんし。よろしくお願いします」
魔族たちも同調したが、ユンの返答は『聞くだけ無駄』という奇妙なものだった。
「なんで?」
「だって――」
ユンの口から出た御名に、翔一は思わずうなってしまった。
なぜって?
「なんつー知る人ぞ知る神様だよ……」
「ね? 2人くらい減ろうが増えようがカンケーないでしょ?」
「つか誰?」
「えと、確か軍神みたいな方だったような……」
だめだこりゃとへこんだところでみんなの腹が鳴り、夕食となった。今日はポトフ、もやしとシーチキンのサラダ、ご飯だ。
「なんかさ、マルくんの作る物が段々凝ってきてるような気がするんだけど」
「んー、ユンに出来合いの物食わせたくないし、ミルさんがいろんな物作るから、なんとなく」
どうやらミルが料理上手なのも、サキュバスのたしなみの一つらしい。
「ほんとに大変だな、いろんな意味で……」
「ええ、まあ。でも、お料理が苦手だからドロップアウトする人はいませんけど」
そこまで言ったミルが気まずそうに口をつぐんだ。何事にも完璧を求められ、果たせなかった神様失格判定の女の子がいるからだ。
でも、ユンはさほど気にしていない様子。理由を問えば、
「お料理ってしたことないんですよ」
「ま、高貴な者は料理しないな。召使任せだし」
と納得してるイリューシュも、血筋的には『高貴な者』の出であり、貴族っぽさとでもいうべき風格が見られるのに、ユンはそれがまったく感じられない。
(そういえばイリューシュは、実態をバラしたあとも料理はしないな)
歌や武術の修行中に自炊をしなかったのだろうか。
そんなこんなで料理をあらかた平らげて、コーヒーでも入れようかと立ち上がった時、遠くで悲鳴が聞こえた。一瞬だけ顔を見合わせて、嫌な予感に駆られながら表に出る。
悲鳴は断続的に続いていた。物が壊れる音や、犬が盛大に吠える声も聞こえてくる。
その騒がしさが幸いして、現場にたやすくたどり着くことができた。そこで暴れていたのは、予感的中の顕獣人。かつて戦ったナグリテェにそっくりである。
「で、誰がやるんだ?」
「今日の当番はわたしです」
ミルが進み出てきた。そのまま呪文を唱えて装甲を身にまとう。
「菱さんたちは避難誘導して」
そう指示を飛ばして、目の前の敵に集中した。乱打戦に持ち込むのだろう、ミルはグングン迫っていく。
(イリューシュといい、バリバリのストロングスタイルなんだよな)
と思う間もなく接敵。殴り合いが始まった。翔一も腕骨や大腿骨を繰り出して応戦し、イリューシュも双剣をひるがえして挑みかかるが、
「こいつ、強ぇ!」
翔一たちは油断していた。外見と経験から、打撃系格闘技経験者だと思いこんでいたのだ。実態は背中への追い討ち、足を踏みつけての強打など、いわゆる反則を効果的に織り交ぜたスタイルで、
「2人とも気をつけろ! こいつケンカ慣れしてるぞ!」
「ヘッ、イマゴロキヅイタノカヨ」
顕獣人が嘲笑うのも当然だ。こちらは装甲越しながらダメージを受けているし、イリューシュは背中に食らった一撃で転倒して起き上がれないでいる。
「シネヨ」
顕獣人がイリューシュに歩み寄る。そのまま踏みつける気か。
「ミルさん!」
「ぐ……させません!」
そう叫んだミルが駆け出すより早く、空から兵殻鎧装召喚呪文が来た!
「ヴァイス・コプシュトース!」
先日は市営住宅3階から空中を漂い、今度は道端で頭から上に引っ張られる。体が平たくなっていることもあって、
(傍から見たら、一反木綿みたいなんだろうな……)
なんて状況無関係ののんきな感想を抱きながら、ユンの身体に巻きつくやいなや、彼女が何事かを唱えた。すると両手にみるみる雷が溜まり、球状を為す。それを顕獣人めがけて投げつけた。
「ギャッ!」
呆然と成り行きを見ていた顕獣人は避け損ね、感電して絶叫する。
ストンと着地したユンは、5歩ほど先でうずくまった顕獣人に人差し指を振り立てた。
「さあ、懺悔の時間だよ? 聴けないけどね」
「ウ、ウルセェェェェ!」
煽られた顕獣人の突進をいなして距離を取り、雷球を投げつける。
「ああそうだよな、接近戦する必要ないよな」
「そだよ~どんどん投げちゃうよ~」
飄々と飛び回っての攻撃に、顕獣人は苛まれた。10発も食らっただろうか、ふいに動きが止まる。肩も落ち、まさに息も絶え絶えといった風情だ。
「さあ行くよお兄ちゃん!」
「またあれかよ。分かったよ」
念には念を入れて、顕獣人をユンのチャントで恍惚状態にしてから、呪文の詠唱とともに高く高く上昇する。宙返りを決める時、
「ああ、今日は満月か」
なんだかこの世の見納めのように綺麗な月を見せてもらって、ユンと翔一は急降下突撃!
「うわあ月明かりだとよく見えなぁぁぁぁぁぁぁい」
「怖ぇこと言うなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
なんとか直前で軌道修正が間に合って、顕獣人の装甲を粉砕した!
「イェイ! これで3匹目だぜ!」
ダブルピースのユンから脱装して、翔一は一息ついた。なんとなく首が痛いのは、フライング・ヘッドバットのせいだよなと首を回す。
「あ、菱さん」
「ん? なに?」
「塊、回収よろしく」
「なんであたしなのよ!」
魔族二人がダメージを受けてるからなんだが、津美零には別の意味に取られたらしい。顔を真っ赤にして、それでも素早く拾い上げた。
「うわーすごーい」
「どうした? ユン」
ウッキウキの彼女が指差すのは、顕獣人だった男の身体だった。
「お兄ちゃん、男としてジェラシー感じない?」
「……おお、でけーな」
菱さん的にはどうと訊き終える間もなく殴られる。
「次そういう質問したら訴える。ゼッタイウッタエル!」
「ねーねー姐さん的にはどーなんですか~?」
「あんたまで……」
いつの間にか寄ってきたイリューシュが声を潜めてくる。
「あいつ、大丈夫なのか?」
「すげーぞ、あいつ。下ネタ完全対応だ」
眉をひそめた赤面の青髪が突然ビクンと痙攣したのは、その時だった。周りの女子たちも眼を見開いて固まったかと思うと、絶望と苦悩が入り混じったかのようなうなり声を上げ始めたではないか。
そして、翔一にも来た。途方もない倦怠感と、はらわたがずり落ちそうな絶望感が。
「くっくっくっ、さあ、絶望に沈め。そして立ち上がれ。我らが顕獣人として」
路地の闇から嘲弄の台詞とともに、一人の男が現われた。
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