第8話 イリューシュの理由

1.


 イリューシュの話は、昼前になってやっと聞くことができた。朝一で出動がかかって、顕獣人と戦闘する羽目になったのだ。

「いてて……」

「お兄ちゃん、大丈夫?」

 ユンの心配顔に笑って応えたが、つい顔をしかめてしまうのが兄ながら口惜しい。

 そこへ、イリューシュが部屋に入ってきた。眼は既に真っ赤だ。

 翔一はあえて彼女より先に口を開いて、詳細を尋ねることを選択した。相手から話しだすのを待つこともできたが、彼女のきっかけを探しているような視線を捉えたからだ。

 イリューシュはみんなが注視していることに戸惑っていたが、やがて意を決した表情で語り始めた。いつもどおりお茶を汲んでくれたミルにちゃんと感謝してから。

「我がトルドゥヴァは、古き時代より栄誉に包まれた家門だ。だが……今は、わたし一人なのだ」

 歴代の当主は、魔界の儀式では必ず礼歌の歌い手筆頭を務め、魔神の代替わり式では唯一の歌い手であった。

 だが、彼女の祖父が大失態を犯したことで凋落が始まる。責を問われて自害した祖父のあとを継いだ父は病気がちで、ほどなく家門の重圧に押しつぶされるように亡くなってしまった。

「後を継ぐ者は、わたししかいなかった。だが、わたしはその時まだ10歳。到底家門を継げる実力も無い」

 そこで黙ってしまったイリューシュに問いかけた。

「まだ歌がうまく歌えなかったってことか?」

 青髪の貴族は、やるせなさそうに首を振った。

「それもある。だが、この剣を振るう腕に力が無かったのだ」

「文武両道じゃなきゃダメってこと?」

 これは津美零の疑問。これにも首を振られた。

「少し意味合いが違う。魔界は修羅の国なのだ。漫画チックな表現だがな」

「……いさかいが武力で解決される社会、ってことか?」

「そういうことだ。セイレーンであるわたしやサキュバスであるミルは、お前たちヒトにとって武芸を身に付けているイメージは無いだろう?」

 だが、現実は違う。なにか事が起これば、すぐ闘争が始まるのだ。事前に話し合いで落ち着くことなど、わずかである。

「神界も似たようなもんだよー」

 とユンが頬杖を突いてぼやいた。神通力の多寡でなにかと競い合い、完璧さについて揚げ足を取り合う。それが日常なのだそうだ。

「そこで、わたしは修行の旅に出た。喉を鍛え、魔法を特訓し、剣をひたすら振り――」

 6年後、帰宅した彼女を待っていたのは、誰一人いなくなった一門だった。伝手を頼って家門を移籍したのだ。彼女独りを残して。

「だから、わたしはこのプロジェクトに志願したのだ。功績を挙げて、トルドゥヴァを復興し……」

 イリューシュの眼に、涙が溜まった。

「許婚に、戻ってきてもらうために」

「それが、ラグーって人なの……?」

 こくりとうなずく彼女の眼から一筋の涙がこぼれ落ちたが、彼女はすぐにそれをぬぐった。

「分かってはいたんだ……この前、はっきりと言われたから」

「ああ、ロケの時のあれか……」

 眉をひそめたイリューシュに、顛末を話して謝る。フォローしようというのか、津美零が空咳をした。

「彼のこと、好きだったんだね。許婚っていうだけじゃなくって」

「う、まあ、その……」

 照れだすさまは素直にかわいいといえるが、すぐにやるせない顔になった。

「いい奴だった。家柄も申し分ないしな。ただ……」

「ただ?」

 イリューシュはもう笑うしかないという顔をして言った。

「貧乏暮らしはごめんだ。そう言われた……」

「ナルホド。お相手はミコグレ家のオッジョーサマですか……」

 ヴィッサリオが先ほどの女性誌を開いてつぶやいた、のぞき込むと、なるほど、見るからにお金持ちそうな女性が写真の中でお澄まししていた。

「幻滅したろう? わたしのこのざまを」

 翔一は津美零と顔を見合わせると、共に首を振った。イリューシュが驚いた顔で反応する。

「なぜだ?」

「言動がちぐはぐだったからな。セレブは独りで夜の街に飯を食いになんて行かねーよ」

「ロケの警備なんてしないと思うよ? 普通」

「下着もふつーだったしぃ」

「ほほぅ興味深――「反応するな真変態!」

 ユンにも釘を刺して、イリューシュは赤面の流れを立て直した。

「まあそういうわけでだ、目標が少し変わった」

 彼女の眼に、やっと少し光が戻ってきた。

「このプロジェクトで功績を挙げて、魔界で婿探しをする。我が栄光の家門にふさわしい男をな」

 みんなでうなずいていると、ミルが立ち上がった。父の手から雑誌をもらい受けて、壁へと近づく。

「じゃあ、これはこうしましょう」

 雑誌を本棚の上に立てかけて、

「イリューシュさんの発奮材料ということで」

「……さりげに心の傷をえぐってるような気がするんだけど」

「笑顔でやることじゃないよな」

「そもそもそれイリューシュちゃんのだよね?」

 微妙な顔つきのイリューシュに、この機会だからと尋ねてみることを思いついた。

「そういえばさ、治癒魔法とか回復魔法ってないのか?」

「あるぞ」

「あるんかい」

 だったら使えよと指摘したら、ヤレヤレ感満載の表情をされた。

「そんなもの使うくらいなら、敵を倒したほうが速いではないか。だから練習すらしていない」

「お前、本当に装甲に優しくないよな」

 このあいだミルに怒られたのを、もう忘れたのだろうか。

「あのー、怪我の治癒ならユンができるけど……」

 ユンが申しわけなさそうに話し出した。治癒はできるが、さっきの戦闘で神通力をだいぶ使ってしまったため、少ししか治せないと。

 それでもやらないよりはましだと、その『少し』を治癒してもらった。ユンが翔一の右肩に手をかざすと、ほんのり温かみのある光が手のひらからにじむように現われ、患部に吸い込まれていく。

 光はほんの5秒ほどで消えてしまったが、翔一はがっくりしているユンにお礼を言った。お世辞とか慰め抜きで、少し痛みが和らいだのだから。

「ん、ごめんね。ユン、力が少ないから……」

 そう言ってしょげたままの妹の頭を撫でてやると、ようやく嬉しそうに笑った。

 そこから事務作業に追われてのち終業のチャイム。明日の作業の確認をして、片付けをしたら、ユンが慌てだした。

「帰れなくなっちゃった……」

「そういえばお前、朝どうやって来たんだ?」

「飛んできたの」

 神通力が無くなって、翼も出せなくなったようだ。こりゃ財布も買ってやらないと、バスにも乗れないな。



 駅で乗り換えたバスは、かなり空いていた。

 横並びで座ってしばらくして、ユンが翔一の顔をのぞきこんできた。窓から差し込む夕日が彼女の顔に不思議なコントラストを作っている。

「お兄ちゃんは、目的はないの?」

 プロジェクトのことだろうと見当をつけて、自嘲気味に答える。

「俺は巻き込まれた側だしなぁ。それに業務だし」

 装甲役をやって給料をもらっているわけじゃないが、副市長がああ言うからには、なんでもやる課の裏業務として組み込まれているのだろう。

「それに、まあ……」

「ミルちゃんたちと密着できてうれしいと」

「神通力は切れたんじゃなかったのか?」

 顔を見れば分かるよと笑う妹は、意外なことを訊いてきた。

「ユンはどう?」

「ほっそりして脚長いね」

「それだけ?」

 むー、と不満げだ。そこは女子的には気になるのかと思い、あえて踏み込んでみる。

「密着されることは、嫌じゃないのか?」

「最初は不安だったよ。変なことされるんじゃないかとか」

「しねぇよ」

 なんだね? その眼は。

「ミルちゃんから聞いたよ? 何か硬い物をお尻に押し付けられたって」

 『何か』とか言いながら、完全に分かっている雰囲気がニヤケ顔で分かる。

「だから変態呼ばわりされるんだよ、お兄ちゃん」

「誠に申しわけないが、生理現象だ」

「じゃ、なんでユンの時は勃たないの?」

 さっきからこちらをチラチラ見ていたオッサンが固まった。

 よし、会話続行だ。

「未成年お断りだから」

「そっかー、だから夜襲ってこないんだー」

「なぜ妹を襲わなきゃなんねぇんだよ」

 翔一の答えに返ってきたのは、ユンの横目だった。その眼が正面に戻されて、

「学校、どんなところかな……」

 翔一たちが住んでいる学区の中学校は割と荒れてないはずだと伝えると、妹は安心したのか、頭を肩に乗せてきた。

「これからよろしくね、お兄ちゃん」

「ああ、うん」


2.


 電話口のオーガナイザーは、震えているようだ。先ほどからもつれる舌を懸命に動かして、言いわけを並べ立てていた。

 聞き流して、厳命する。できる限りの厳めしい声を作って。

「奴らを始末するプランを早急に提出しろ。必要なら、お前自身で片付けろ」

 反論を一方的に打ち切って、受話器を乱暴に置く。

「まったく、役に立たん」

 そう吐き捨てて席を立つと、彼――トキはオフィスの窓から外を眺めた。はるか遠くの山にアスタロトの神殿が佇立しているのが見える。

「あいつさえ余計なことをしなければ……」

 三界を乱そうとする輩、これ有り。そう宣言して迎撃と鎮圧のプロジェクトを立ち上げたのは、他ならぬ大公爵アスタロトだった。

 それが全面的な捜査と弾圧にならないのは、魔界のパワーバランスのせいである。アスタロトの突出を望まぬ魔神たちが牽制しあった結果、あのような半端者が少数参加するのみに留まっているのだ。

 皮肉なものではないか。トキの口の端が歪む。彼がこうして陰謀を巡らせられるのも、彼が破壊しようとしている体制のおかげなのだから。

 とはいえ、こちらも大手を振って同志が集められるわけではない。それに、謀事は少人数で進めるに限る。

「今に見ていろよ」

 ぶち壊してやる。俺がのし上がるために。

 トキは改めての決意を旨に秘め、表向きの仕事に向かった。


3.


「で、引っぱたかれたと」

 津美零の朝は、翔一のほっぺたについた手の跡に渋い顔をすることで始まった。

 不可抗力で、ユンの着替えを見てしまった。翔一のその主張に味方したい。津美零の後ろでゴーリゴーリという音がすればこそだ。

「研ぐなイリューシュ」

「研いでない」

 イリューシュは剣身を布で拭うと、垂直に立てた。

「わざとギザギザにしているんだ。斬られた奴が苦痛でのた打ち回るようにな」

「この変態め」

「お前にだけは言われたくない!」

「ヨビマシタカ?」

「呼んでません」

 ……なぜ残念そうな顔をするんですか? ヴィッサリオさん。

 今日からユンは学校に行ったようだ。セーラー服を『アニメの格好だ!』と喜んでいたらしい。

「……神界あっちでも流行ってるの?」

 と呆れ気味につぶやくと、イリューシュが鼻を鳴らした。

「ああ。あっちは我らと違ってムッチリだがな」

 ムッチリ? ミルは魔界基準ではふくよかじゃないってこと?

 皆の頭の上に微妙な疑問符が浮かぶ中、ヴィッサリオだけが気付いた様子でクスクス笑った。

「ムッツリ、デスネ?」

「ああ、隠れて見てるってことか?」

「あ、ああそうか。日本語はやっぱりまだ難しいな」

 そこで始業チャイムが鳴った。さあ、出発だ。



 市の北部にある堤防は桜の名所である。ということは花見の客が訪れて、ゴミが残るわけだ。それを地元町内会の人や清掃ボランティアとともに清掃するのが午前中の仕事である。

 各所に散ってゴミ拾いをしていると、ヴィッサリオが頭を掻き掻き戻ってきた。現場に到着するやいなや、町内会の人に呼ばれたのだ。

「なんかありました?」

 翔一の問いに、ヴィッサリオは苦笑して答えた。

「来るのが遅い、まったく役所は。この繰り返しでしたヨ」

「え? 9時からっすよね?」

 ヴィッサリオ曰く、町内会の人より遅く来たのが気に入らないらしい。

「そんなご無体な……」

 呆れる津美零に、ヴィッサリオは笑ってウィンクした。

「9時からと指定したのはアチラサマですから。文句を言いたいだけデショー」

「すいません、嫌な役させちゃって……」

「ダイジョーブ、女性役員さんがとりなしてクレマシタ」

 魅了でもかけたのだろうか。

 その後は黙々とゴミ拾いにいそしむ。家庭ゴミが捨ててあるのを発見して町内会の役員に通報した以外は、魔族・神族トリオも仕事上の会話だけだ。

(意外にマジメなんだよね、あの子たち……)

 お給料が出ているとはいえ、彼女たち本来の目的とは関係ない仕事のはず。

 休憩時間まであと少し。がんばるか、と津美零は気合いを入れ直した。



 いろいろなゴミがあるものだな。イリューシュは自分が集めたゴミを、思わず見つめてしまった。

 空きペットボトルが一番多い。続いてラップやコンビニの袋、酒の空き缶。あとはさまざまな切れ端や正体不明の品々だった。

 イリューシュはその中から一つをつまみ上げた。軍手越しの感触からするとゴム製品のようだ。丸く分厚い口はゴム風船を思わせるが、直径が大きすぎるような気がする。

「どうしたんですか?」

 ミルが寄ってきたのでつまんだまま見せると、首をかしげた。

「昨日、雨って降りましたっけ?」

「いや、降っていないはずだ……そういえば、何か溜まってるな」

 風船状のふくらみの部分に、白く濁った液体が溜まっているのだ。

 魔界には無いアイテムだ。仕方がない、ヒトに訊いてみるか。

「おーい、翔一」

 何事かといった顔で小走りしてきた翔一は、アイテムを見せて説明した瞬間、なんともいえない顔をした。

「イリューシュ――」

「なんだ?」

「まず、認めてやる。お前は勇者だ」

「うむ、ありがとう」

 なぜいきなり賞賛されるのか分からないが、とりあえず礼を言う。

「そして、挑戦者だ」

「? 何を言い出すんだ?」

「さらに言うと、仕方がないとはいえ、無知過ぎる」

 どんどん下がる評価に眉をひそめたが、目の前の男は気にしない。理由は次の台詞で明らかになった。

「それはな、コンドームだ。避妊具だ。使用済みのな」

 翔一の言葉を脳が処理して悲鳴へと変換するのには、イリューシュの優秀な頭脳をもってしても5秒は必要だった。


4.


 帰りの車内で赤面していないのは、翔一とヴィッサリオの男性陣だった。

「夜桜の舞い散った花びらをベッドにメイクラヴ、イイデスネーフリューデスネー」

「くっ……このイリューシュ生涯の不覚ッ……!」

 涙ぐみ始めた魔界貴族には悪いが、にやつきが抑えられない。

「つか、魔界に無いんすか? あれ」

「無いです。ネ? ミル」

「どうしてわたしに振るんですかお父さん……」

 恥らい身もだえするさまをバックミラー越しに確認した。

(こういう話もダメなんだミルさん。大変だったんだろうな、学生生活……)

 いや、学校だけじゃないか。母親も姉妹もサキュバスなわけで。

 しばらく運転に専念していたら、イリューシュは攻撃先を見つけたようだ。

「で、なぜ津美零まで真っ赤なのだ?」

「あ、当たり前じゃん!」

「なぜだ? この世界では普遍的なアイテムなのだろう?」

 反論する津美零が絶叫気味なのは、下ネタに過剰反応してるんだろうな。

「普遍的はそうだけど、普段は見ない! ていうか、こんな真昼間に見ないし使わない!」

「へー、使ったことないの? 菱さん」

「セクハラ対策委員会に訴える!」

 平謝りしつつ、どっちなんだろうと考えながら、職場に帰還した。

「そういえばさ、洗濯とかどうしてるの?」

「自分で洗うよ。そう取り決めしたし」

 資源の無駄だとは思うが、お年頃の女子にさせることもないし、翔一がするのはアウトだろうから。

「だろうじゃなくて、アウトだ」

 そう言うイリューシュはと尋ねれば、ミルと当番を決めているようだ。実情を告白したことで、セレブぶるのはやめたらしい。

「なーんて会話していると、出動がかかるんですけどね」

 ミルがお茶を配り始めた。そういえば、もうお昼だ。

「あ、ごめん。俺は今日、弁当作ってないから」

 せっかくのお茶をいただいてから、さあお昼に行こう。

 と思ったら……

「なんだありゃ?」

 敷地の東側に群がる女性たちを発見したのだ。数にして、10人ほどか。わずらわしいが、ランチスポットはあの向こうにしかない。

 できるだけ無関心を装って通り抜けようとしたのに、捕まってしまった。

「あの、ヴィさまの同僚の人ですか?」

「ヴィ、ヴィさま?」

 芸能人みたいなあだ名に驚いて思わずうなずき、半秒後に後悔した。女性たちがわっと押し寄せてきたのだ!

「ヴィさま、今どこにいるんですか?」

「どこにお住まいで――」

「ちょっと! 自宅訪問は協定違反よ!」

「あの、勤務中の写真が欲しいの!」

「何か、何かないの? 髪の毛とかお髭とか」

「今さっきお茶飲んでたでしょ? あの湯のみ!」

「そうよ! いくら? いくらなら分けてもらえるの?」

 翔一は、迷わなかった。くるくると回転しながら追いすがる女性たちの手を振りほどき、一目散にダッシュで逃げたのであった。

 少し走って、お目当ての店に飛び込む。肩で息をしながら空いているソファに座ると、年配のマスターが水を持ってきた。

「大変でしたね」

「あ、見てました? ゾンビにたかられるとあんな感じっすね、きっと」

 マスターは笑うと、オーダーを厨房に通してから小声になった。

「隣の店は大変だよ」

「どうしてです?」

「マスターの奥さんもバイトの子もヴィっさんにやられちゃって、お店が回らないって怒ってるからさ」

 半笑いを交わして店内を見回せば、ここはマスターも店員も男性である。ヴィッサリオの魅了は効かないのだろう。

 というか、辺り構わず魅了を撒き散らしてて、いいのか?

(実はヴィッサリオさんも、ダメな人?)



「そうなんデス。まったく意識はしてナイのに、振り撒いてしまうんデスヨ」

 ハッハッハ、と笑うヴィッサリオ。そのあっけらかんとした笑いは、ミルの怒りを生んだ。

「それでわたしたちがどれだけ苦労してると思ってるんですか!」

 魅了された女性魔族や抗議に来た関係者が毎日のようにやって来て、落ち着く暇もなかったらしい。

「大変だったねミルちゃん……」

「現在進行形だがな」

 まだ周辺をうろついている女性たちを窓越しに眺めて、イリューシュが嫌悪感を隠さない。

「つか、イリューシュや菱さんは?」

「あたしは別に。かっこいいとは思うけど……」

「まあ、同じくだ」

 2人のコメントを聞いて、老紳士はうなずいた。

「当然デス。他人に恋心を抱いている女性には効かないノデスヨ」

「そうなんですよ、翔一さん」「分かったか? 翔一」

 ニヤニヤクスクスしだしたミルとイリューシュに津美零が顔を真っ赤にしてがなり立てる。

「ちょ、ちょっと! なによ!」

「え、菱さん、好きな人いるの?」

 ……なんでみんな沈黙するんだ? というかイリューシュは、あの男をあきらめきれてないということだよな。

(津美零、ファイト)

(鈍感主人公は殴って分からせるべきだっておばあちゃんが言ってましたよ)

 翔一の思考とは別のヒソヒソ話はさっぱり意味が分からないが、

「翔一サン、今の話、ヒトビトには内緒ですよ?」

「どうしてです?」

「だって、あの女性たちの中には既婚者もいるんデスヨ?」

 ああ、そうか。真実が家庭不和を誘発するということですね。


5.


「これでよし……」

 オーガナイザーは明日の罠を仕込み終えて、独りごちた。彼好みの対象者をようやく見つけたのだ。既に調略済みで、彼のタイミングで顕獣人へと変身することになっている。

「くくく、なかなかのお味だったぜ」

 彼が味わったのは対象者の肉体ではない。その精神に潜むトラウマなのだ。調略の過程で思念を注ぎ込むのと引き換えに、相手のトラウマを味わうことができる。

 歪んだ嗜好というべきで、だからこそオーガナイザーはなり手が限られてしまうのだが。

 今回は2段階の罠を張った。今度こそ、あの目障りな奴らを始末してやる。あるいは、

「災い転じて福と為すならぬ……」

 敵転じて味方と為す。

 オーガナイザーはほくそ笑むと、夜の闇に消えていった。

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