第7話 ユンの理由

1.


 週明けの仕事は、どことなく不穏な空気で始まった。

 原因はイリューシュだ。出勤してきて以来、何かを考えながらずっと腕組みをして、机に座っている。その醸し出す雰囲気が剣呑で、津美零を怯えさせた。彼女は場の空気に敏感なのだ。誰にも話せない、話したことのない、ある理由によって。

 だからこそ、理由を探らねばならない。水屋でお茶を淹れているミルのところへ行き、声を潜める。

「なんかあったの? あの子」

「昨日からずっとああなんですよ」

 わけは聞いていないらしい。そこらへんをどこまで踏み込むかは、友人であり同居人、かつ仕事仲間ということで、難しいと思う。

(あたしでも、多分訊かないな)

 淹れてもらったお茶を一足先にもらってすすっていると、外が騒がしい。ヴィッサリオのご出勤だ。

「今日は5人か……」

 彼が娘と同居しないのは、イリューシュがいるからだけではないのがよく分かる。さらに、サキュバス不適格者である娘――そこらへんの事情は、先日ミル自身から説明された――への遠慮もあるような気がする。

「おはようございマース」

 元気にあいさつして入ってきたヴィッサリオに、イリューシュが鋭く反応した。ばっと立ち上がって、

「相談があるのですが」

「ふむ、なんですか?」

(魔界語でやればいいのに……)

 津美零はそう思ったが、理由はすぐに分かった。イリューシュがちらりと目線を翔一に走らせたということは、魔界語の分からない彼にも聞いてほしかったのだろう。

 その相談内容とは、

「兵殻外装を装着中に他の変身者がそれを奪えるシステムを変えてほしい」

 というものだった。

 そして、ヴィッサリオの返答も素早かった。

「それはデキマセン」

「なぜですか?!」

 詰問調になったイリューシュを見て、翔一が止めに入ったが、彼女は収まらない。ヴィッサリオをにらみつけたままだ。

 その視線にたじろがず、老紳士はゆっくりと口を開いた。物分りの悪い子に教え諭すように。

「変身者がなんらかの理由で敵に操られた場合、奪えないと大変なことになりマス。変身者が裏切ったバアイもドーヨーデス」

「あ……!」

 盲点を突かれたのだろう、声と勢いを失った青髪に、説明は続く。

「奪えない場合もありますヨ! ショーイチサンと変身者が2人ともに気絶した場合、変身は解除されまセン。変身者の身の安全のためデス。ダカラ、他の変身者が代わりに装着できなくなりマス。ご理解いただけましたか?」

「……でも、それでは困るんだ」

 イリューシュはそうつぶやくと、部屋を早足で出て行った。すぐそこで短い悲鳴が上がる。代わりに入ってきたのは、ユンだった。

「おはよーございます!」

「ああユンちゃん、おはよう」

「イリューシュちゃん、どうかしたんですか?」

 さっきの顛末を説明してやると、しょんぼりしてしまった。

「昨日ユンがお兄ちゃんを奪ったからですか……」

「なんか、いかがわしい表現だねそれ……」

 そして、やっぱりこういうことはキチンとしないとと思いを新たに、翔一に詰め寄った。

「ユンちゃんと同居はやめなさいよ」

「なんで?」

「な、なんでって……女の子と同居ってだけでも聞こえが悪いのに、こんな未成年と……」

 津美零の非難がましい指摘を聞いて、翔一は平然と鼻を鳴らした。

「大丈夫。どうせ実は何万何千歳とかの合法ロリなんだろ?」

「ユン、14歳だけど?」

「非合法ロリ?!」

「非合法じゃないもん!」

 ちっとも哀れじゃない翔一のすねは、ユンのつま先の強襲を受けたのであった。というか、確認してなかったのか今まで……

 のた打ち回る翔一を放置できず、すばやく介抱を始めるミル。それにちょっとだけ嫉妬してから、津美零はユンの肩に手を置いた。

「ま、アホはほっといて、お父さんか誰かが用意してくれてるんでしょ? 家」

 横から、明日田社長も言い添えてくれた。

「そうです。それから、連絡先を把握しておきたいので、携帯の番号などを教えてください」

 ふるふるふる。

 ユンは首をかわいく振ると、あの屈託のない笑顔を見せた。

「ありません。家もお金もケータイも」

 たっぷり5秒はかかって、津美零は叫んだ。

「なんにも用意せずに、ここに放り出したの? 信じられない!!」

 次にリアクションを起こしたのは明日田社長。自分のスマホを引っつかんで高速タップののち、猛然と怒鳴り始めたのだ。

「……あれ、なに話してんの?」

「さあ、私も神界語はちょっと……」

「ユンのパパに電話してるみたいだよ?」

 との解説に、ヴィッサリオが続けた。

「モノスゴイ抗議をしてマス。でも、オシモンドーデスネ」

 そこで、ミルがはたと手を打った。

「あっ! そっか」

「なに?」

「昨日ユンちゃんが着てたの、翔一さんのTシャツだったんだね?」

 うなずくユンを、ようやく回復した翔一がすねをさすりながらフォローする。家に上げて事情を聞けば着の身着のままだということで、コンビニで下着は買わせたが、服はとりあえず貸したのだと。

「んで、ちょうどいいからみんなに顔合わせも兼ねて、量販店で服を買うことにしたんだよ」

 同意する本人の笑顔が、かえって津美零の憐憫と怒りを煽る。

「こんなお年頃の女の子を……」

 その時、激烈な破壊音が室内を揺るがした。明日田社長がスマホを床に叩きつけたのだ!

「おのれ……許さんぞ……!」

 心臓を鷲掴みにする低い声に、翔一は怯え、津美零の背に冷たい汗が流れる。一方で、魔族2人は真っ青になった。

 だが、当人はまだ笑っていた。

「しょーがないですよ。ユンはソコネだから」

 昨日もそんなことを言っていたのを思い出して、いぶかしむ一同に、ユンは説明してくれた。

 神様は完璧でなければならない。

 ゆえにその神通力も、ある程度以上のものがなくてはならない。

 では、完璧でもなく、神通力も少ない者はどうなるのか。

「為リ損ネって呼ばれて、塵に帰すんです。失格だから、神としては」

 為リ損ネが生き続ける方法は、ただ一つ。神界の役に立つこと。

「だからパパは、ユンをここに送り出してくれたんです。ユンが塵に帰る時を、少しでも遅らせるために」

 静まり返った室内に、ユンの声が反響する。いや、反響しているのは津美零の脳内なのか。

「それに、役に立ったって偉い神様に認めてもらえば、堕天できるんですよ。普通の、ヒトとして」

「……なんかいい話風にまとまってるけど――」

 翔一が立ち上がって言った。眼には怒りを含んでいる。

「だからって無一文で放り出していいことにはならないし、そのシステム、納得がいかないぞ、俺は」

「まあまあ、そういうわけで、よろしくお願いします!」

 厳しい表情の翔一をなだめながら、ユンはぺこりと頭を下げた。

 滲んできた涙を拭って、津美零はただ、お辞儀をすることしかできなかった。

 少女の快活さは、どうにもならない現実を明るく、せめて明るく過ごすためだった。そのことに思い至ったのだ。

 みんなが続いて答礼をして、その揃い具合に笑って。

 だから、続いてヴィッサリオが発した言葉は、意外だった。

「ならば、ちゃんと話し合わないといけません、イリューシュサン」

 振り向いた彼の視線をたどれば、執務室出入り口の向こうに人の気配がする。しばらくみんなで黙って見つめていると、耐えられなくなったのか、イリューシュがのっそりと戻ってきた。

「分かった。話し合おう」


2.


 イリューシュの言い分は、こうだ。

「わたしが装着している時に、許可なく脱装されては困る」

 ユンの反論は、

「許可なんて取ってたら間に合わない場合があるじゃん? 昨日の戦闘がそうだったし」

 二人の間を取り持とうとしたミルの発言は、イリューシュ寄りになった。

「戦闘中に脱装されたら危ないじゃない? やっぱり許可か、少なくとも事前連絡が必要だと思うよ?」

 第三者ということで議論の司会役を買って出た津美零は、翔一に振った。

「マルくんはどう思うの?」

「もっと装甲役を増やせませんか?」

 それはこのシステムの開発者・ヴィッサリオに向けられた質問だったが、答えは歯切れの悪いものだった。魅了やチャントに抵抗力のあるヒトが滅多にいないためだ。

 自分が指名されなかったことに安堵する反面、寂しさも感じる。翔一とこの女の子たちが一緒に――おまけにたいそう密着して――戦うことについて、心中穏やかでないのだから。

 その彼の顔が、青髪の女性に向いた。

「そもそも、なんでそんなに戦いたいんだ?」

「むろん、我がトルドゥヴァの家名を輝かせるためだ。あああもちろん、今も十分に輝いているがな。さらにさらに輝かしいものにするためだ……なんだその眼は?」

 翔一と同じ目を、自分もしている自信がある。彼女の言動は、以前翔一に説明されたようにちぐはぐなのだから。

 翔一が立ち上がった。

「お前――」

 イリューシュも負けじと立つ。

「なんだ? やるのか?」

「そんなに俺と密着した痛いっ」

 またすねが強襲され、翔一は崩れ折れた。今度はさすがにミルも介抱せず、赤くなっている。代わりにヤレヤレといった態で、ユンが翔一の頭を撫ぜ始めた。

 ミルが深呼吸をして赤みを落ち着かせたあと、手を挙げた。

「時間か曜日で区切るというのはどうでしょうか?」

「面倒だが、それしかないか……」

「3人だから週2日ずつで……日曜日は?」

 いつのまにやら回復した翔一が、その時ユンに声をかけた。

「そういえばユン、学校は?」

「退学させられたよ?」

 それを聞いてまた、明日田から強烈なプレッシャーが放出され始める。それに少し怯えたあと翔一は立ち上がって、明日田のほうへ歩み寄り、頭を下げた。

「ユンを学校に行けるようにしてやってくれませんか?」

「学校、行けるの?」

 一瞬声が弾んだが、少女は悲しげに自分の身体を見回した。

「でもユン、こんな姿だよ? 全然日本人に見えないけど」

 声にまで張りがなくなってしまった少女を励ましたくなって、津美零はユンの手を握った。

「大丈夫だよ。最近、外国人の生徒も増えてるし」

「そうだな、アメリゴからの転校生とか言っときゃ大丈夫だろ。そういうわけですけど、明日田さん」

「承った」

 明日田は深くうなずいた。

「奴に、今日中に転校手続きを完了させてみせましょう」

「アスダサン、お手柔らかに。死者を出す、イケマセン」

「両界大戦を起こさないでくださいね、お願いします」

 神界からどうやって転校手続きをするのか知らないが、神様ならではの方法があるのだろう。明日田はスマホを手にすると――あれ?

「スマホ……」

「ああ、いま直しました」

「直せるんだ……」

(何者なんだろう、この人……)

 父娘のなだめる台詞も不穏すぎるし。

 翔一も腕組みをして考え込んでいたが、内容は津美零とは違った。

「中学校の制服とかカバン、どこに売ってるんだ?」

「ああ、そうだね。ほかにもいろいろ揃えないと」

 津美零はミルやイリューシュと目を見交わした。彼女たちも同じ結論に至ったようだ。

「マルくんだけが負担するのもかわいそうだから、あたしたちもなにか買ってあげよう。体操服とか」

 ヴィッサリオが鋭く反応した。

「それがイイデ-ス! ショーイチサンはきっと、ペッラペラでテッカテカの体操服とブルマを買うデショー!」

「お父さん、それはお父さんの趣味の話で……翔一さん? なんで目を逸らすんですか?」

 青髪と声を揃えて、真変態と罵倒したい衝動に駆られた津美零であった。


3.


 むしゃくしゃする。彼は鬱屈していた。

 何もかもうまくいかない。世の中にはうまくやってる奴なんて腐るほどいるのに、俺はいつも運が悪い。

 さっきだってそうだ。ちょっと他人の車に当てただけなのに、ポリがすぐそこにいやがった。

 監視されてる。きっとそうに違いない。交番の前を通る時も見られてるし、監視カメラは俺を追いかけて回るし。

 だからこのあいだも失敗したんだ。あの女……いいカラダしやがって。あんなカラダしてる奴に断る権利なんて無ぇ。だから誘ってやったのに、ポリ呼びやがって。

 ああむしゃくしゃする。

 だから、彼があてもなくブラブラしていた歩道で肩をぶつけた男に殴りかかろうとしたのは、彼としては自然な流れだった。

 だが、男は彼の想像だにしない力で彼を押さえつけた。そして耳元で囁いたのだ。

「俺の話を聞けよ。楽しくなるぜ」

 彼はそのまま男に路地裏に連れ込まれた。彼は男性に性的興味など無かったが、身体が勝手に動いたのだ。

 男はそこで彼を解放すると、少し離れて正対した。

「んで、なにがどう楽しくなるんだよ」

 ふて腐れた彼の物言いは、尻すぼみになった。目の前の男がフードを取ると、明らかにヒトとは思えない顔が現れたのだ。

 やがて、目の前が真っ暗になり、彼のひざはゴツゴツした路地裏のアスファルトに接触した。

 彼の脳裏に、今までの人生で体験したさまざまな艱難辛苦が次々と再生され始める。

 うめき、のた打ち回る彼は男――オーガナイザーの手によって、顕獣人へと仕立てられたのだった。


4.


 警察から連絡が来た時、なんでもやる課は副市長の来訪を受けていた。

 女性の副市長は全国的にも数が少ないが、国の官僚時代に培った経験と人脈をフル活用して三代の市長を支えている。市の実質的なトップと言っていい。

 もっとも、翔一と津美零にとっては雲上人とでも言うべき存在である。選挙目的で顔出し声出しの機会が多い市長と違って、名前すら知らない職員も少なくない。市民向け窓口のあるフロアに降りてくることなどまずないし、業務上も接点が無かったからである。

 だから名前を呼ばれて驚いた。そしてそのことに驚かれた。

「職員の顔と名前と所属くらいは覚えてるわよ。部下ですもの」

 すごいですねと愛想笑いをしつつ、翔一は心中で首をかしげた。出入りの激しい保育士と看護師を除いても、1500人近い数がいるのだ。

 一方、副市長に随行してきた秘書課長が、課長席で課長と話をしていた。が、声に戸惑いの色を隠せない。

「お前、ちょっと休んだほうがいいんじゃないのか?」

 聞きようによってはパワハラな発言は、今一要領を得ない課長の発言を受けてのものだった。もちろん明日田が操っているためなのだが、真相を知らぬ者には心身朦朧に見えるのだろう。

 庁内用PHSを耳に当てていたヴィッサリオが、娘に目配せをした。心得て、イリューシュを伴い出て行くミル。先に車で待機させるのだ。

「秘書課長さん、そろそろ行きましょうか」

 副市長の命令に秘書課長は機敏に反応し、車を横付けするべく表に飛び出して行った。

(さすが、ああいう人が出世するんだな)

 俺には無理だな、うん。そう自分を嗤っていると、

「ヴィッサリオさん――」

 突然、副市長が老紳士に声をかけた。まるで秘書課長がいなくなったのを見計らったかのように。

「ちょうど出動がかかった時にお邪魔して、間が悪かったわね」

「え?! あの……」

 津美零の驚きの声に、副市長は笑った。

「動きやすいように、わざわざ分庁舎に配置したんだもの、しっかりやってちょうだいね」

 そう言い置いて手を挙げると、すたすたと執務室を出て行った。



「じゃんけんだな」

「そうですね」

「めんどくさい……」

 今度の顕獣人は今までのと違う。3メートルは優にある体躯は筋肉隆々で、動きも自信に満ち溢れているかのようにゆったりとしている。

 でも、やってることはほかの奴と変わらない。付近の築造物の破壊だ。

 その近くで冒頭の話し合いをしているのが、我が装着者たちである。

 すぐに、本当にじゃんけんが始まった。イリューシュとユンとのあいだで。

「ん? ミルさんはしないのか?」

「わたしはお二人ほど切羽詰った事情がないですから、ここはお譲りします」

 あいこが続き、なかなか決まらないさまを眺めながら、翔一は頭の中にしっかりと書きとめた。

 イリューシュに切羽詰った事情があるという発言を。

 顕獣人がようやくこちらに気付いたようだ。割れ鐘のような声が響いた。

「ソコノオンナァ!」

 どの子のことだろう。翔一に分からないことが、彼女たちに分かるわけがない。顔を見合わせて、すぐにじゃんけんを再開した。

「ムシスンナァァァァ!」

「おっさん、おっさん」

 怒り狂う顕獣人に呼びかける。少しでも時間を稼ごう。

「特徴を言わないと伝わらないぞ」

 アドバイスのお礼は、うなりを上げる拳だった。

「オトコハシネェェェェ!!」

 避けきれなくて肩口にかすっただけで、吹き飛ばされてしまった!

 悲鳴を上げて駆け寄ってくるミル。だが、その好意は無駄になってしまう。

「???!」

 イリューシュに呪文を唱えられて、装甲化されたのだ。

「よし! 行くぞ!」

「お前、ちょっとはいたわれよ……」

 聞く耳持たない様子のイリューシュは、突進した。だが、

「ぐぅ痛ぇ!」

 剣を振るわれると、右腕に激痛が走る。さっきのパンチが当たった箇所を中心に、燃えるように痛いのだ。

「ちょ、イリューシュ待て――「装甲は我慢しろ!」

 さすがにでかい的、剣は次々にヒットするのだが、一挙手一投足が右腕に響く。

「いちいち叫ぶな!」

 イリューシュの理不尽な言葉に我慢の限界が来た。というか、痛みで意識が飛びそうになる。

「お前……もうやめろ――「ヴァイス・コプシュトース!」

 痛みを全力で処理している脳が、かろうじてユンの声を認識してくれた。すぐにイリューシュの身体から剥がされ、空へと上っていく。

 翔一とすれ違うように、ミルが駆け込んできた。呆然と立ちすくむイリューシュを一顧だにせず、顕獣人に体当たりをかます。

 不意を突かれて転倒する顕獣人を放置して、ミルはくるりと振り返った。その勢いで、イリューシュの頬を音高く張る!

「いい加減にしてください」

 ユンの身体を包みながら翔一が見下ろしたミルの顔は、始めて見る怒りの表情だった。


5.


 結局、顕獣人はミルとユンで撃破した。敵のお目当てはミルで、執拗に追い掛け回し始めたのだ。周りが見えなくなったその巨体にユンが雷の弾を当ててダメージを蓄積していき、最後は翔一に同意を得た上で、V.G.Fを敢行。撃破した中から欲望の塊も回収した。

 津美零を呼び寄せてのドライブにドキドキする余裕も無く、近くの診療所に直行し、

「骨が折れてなくてよかったデスネ」

 笑顔のヴィッサリオの言うとおり、盛大に湿布臭いただの打ち身で済んだのであった。

「明日は堤桜のゴミ拾いか……」

「お留守番でいいんじゃない? 運転ができればしてほしいけど」

 津美零の言葉は本心だろう。

「はッ! もしかして今日、ユンがご飯作らないといけないの?」

「外食でいいんじゃね?」

「だめです。わたしが作ります」

 そう宣言して、ミルは部屋の隅を見た。

「手伝ってくださいね? イリューシュさん」

「……き、貴族は料理をしない」

 そこはあくまで譲れないようだ。うつむいて唇を噛み締めていたが、つと立ち上がると、こちらへ来た。

「だが、過ちを謝罪するのにはやぶさかではない」

「おう」

 なあなあにはしたくない。これからのためにも。

 その時、庁舎に人が入ってきた。きょろきょろしたあと、ここを見つけて近寄ってくる。

「こんにちは。何かご用ですか?」

 一番近くにいた津美零が応対すると、男性は肩掛けカバンから小包のような物を取り出し、低い声で答えた。

「こちらに、えーと、イリューシュ・トル……トル……」

「ああ、わたしだ」

 仏頂面でイリューシュが出た。誉れ高き家門の名を読まれなくて不機嫌なのだろう。

「お届け物でーす」

 サインをして受け取り、包装を剥がしだすのを眺めながら、ミルに尋ねる。

「宅配便の人? 魔界の」

「ええ、自宅に不在の時はこちらに来てくれってお願いしてあるんです」

「へぇ、そんなサービスがあるんだ」

 きめ細かなサービスというべきだろうか。でも、職場に届けられても困る物もあるし、微妙なところだな。

 そんなことを考えていると、イリューシュの動きが止まった。まさに彫像のように固まって、包みの中身を凝視しているのだ。

「どうかしましタカ?」

 と言いながらのぞき込んだヴィッサリオも、続いた明日田とミルも、同じく固まってしまった。

「あれ、なんだろう?」

「まさか、敵のトラップとか?」

「対魔族専用の? ありえなーい!」

 一笑に付したユンが魔族一同の反対側からぴょこっとのぞき込み、読み上げ始めた。

「えーと、なになに……『女性ジブン』」

「読めるんだ……」

「つか、女性誌なのか……」

 なんでそんなもので固まっているのか。その答えはすぐに判明した。

「読めるよ、勉強したし。んと……ラグー、結婚へ!」

 イリューシュが突然泣き出すと、部屋の外へ走り出ていった。

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