第4話 なんでもやる課へ、ようこそ!
1.
「荷物はこれだけ?」
「あ、うん」
「んじゃ、行こうか」
翔一は津美零とともに、公用車に乗り込んだ。
今日は4月1日。異動の日である。異動先の課は市の西部にある建物に新設されたため、公用車でお引越しなのだ。
日本人の定番であるお日柄の話題をしたら、もう話が続かない。翔一には話題が無いし、津美零もおしゃべりというわけでもない。
それでも行程の半ばほどで、助手席の彼女が話しかけてきた。なんだかちょっと、思い詰めたような口調で。
「マルくん、このあいださ、女の子が尋ねてきたって聞いたけど」
「ああ、あの子ね。うちの近所に住んでる子だよ」
当たり障りの無い答えで終わろうとしたが、彼女は納得していないようだ。
「……会いに来ちゃいけないのとか言ってたって」
「外国人でさ、俺の仕事がほんとに市役所なのか見に来たんだよ。でも、仕事中に来られても相手できないじゃん?」
我ながら流れるような回答である。
だが、信号待ちで横を見ると、この話題はまだ流れてなかった。ちょっと探るようなためらうような、そんな目つきで津美零がにらんでいたのだ。
「付き合ってるの?」
「まさか」
滅相もない。向こうもその気はなさそうだし。
津美零の視線は逸らされ、なにやら口の中でくぐもった音が為されただけだった。
(ふぅ、やっと収まった。今度イリューシュに会ったら改めて注意しとくか……)
「――って、ここで出現かよ!」
「人を怪獣かお化けみたいに言うな!」
目的地の建物、西部庁舎に到着した俺を待ち受けていたのは、なんと噂の本人であった。
「ふーん、その子がねぇ……」
荷物運びも忘れてジト目でにらむ津美零の視線が痛い。
「つかお前、その格好……」
イリューシュはいわゆる菜っ葉色のつなぎを着ているのだが、
「どこを見つめてるんだこの真変態」
「お前じゃねぇ! 左胸のその刺繍だよ!」
そこには市章と市名が刺繍されている。
「なぜ着ているか? 当然だろう」
イリューシュは腰に手を当ててふんぞり返った。
「わたしは今日からここで働くんだからな!」
「またまたご冗談を。おき――」
お貴族様がと言いかけて、慌てて言葉を飲み込む。津美零が側にいることを瞬間的に忘れたのだ。
そこへ第2波、到来。
「あ! 翔一さーん! おはよーございます!」
「ミ、ミルさんまで……」
ああ、分かるよ。津美零の雰囲気がなぜかどんどん悪化していくのが。
ミルも同様のつなぎを着ていた。ということは彼女もここで働くというのか。翔一がためらいながら尋ねると、アッサリ肯定された。
「翔一さんと一緒に働くことになります。よろしくお願いします!」
どもりながら答礼を返し、荷物運びに――逃げられなかった。津美零に捕まったのだ。後ろから肩をがっしりと掴まれて、
「マルくん、説明してほしいな」
「菱さん、怖いよ怖い」
そして気がつくと、赤髪と青髪もこちらを凝視している。その眼はどうみても、修羅場を望んでいるようにしか見えなくて、
「なんでもないから。さあ、荷物荷物」
「あ、わたし運びます」
遠慮したのに、結局ミルに荷物を持たれてしまった。
代わりに津美零の荷物を持ってやりながら、建物へと歩いていく。横からの冷視線を浴びて翔一の首は凍り、前方のみを見据えることになった。
必然的に視界には、ミルとイリューシュの後ろ姿が入るわけで、
(つなぎを着ても、いい身体してんの丸分かりだな……)
もちろんミルのことである。ウェストはさすがに隠れているが、尻のボリュームと上がり具合は、だぼっとしたつなぎでも隠しきれていない。
そんなことを考えていたら、突然横から声が掛かった。
「さすが、お目が高いデスネ」
驚いて振り向くと、そこには1人の男性がいた。
年齢は60代だろうか。好々爺というより老紳士と言ったほうがふさわしい風貌で、細い体躯につなぎをまとい、背筋もピンとしている。
並んで歩き始めた彼の表情は、いたってにこやかである。その口から、片言の日本語が飛び出してくる。
「どうです? なかなかジャないデスカ?」
「え、ええ、そうっすね」
男性の視線がミルに注がれていることを察知して、翔一も応じた。
(やっぱし男ならそっちを見るよな)
「つなぎ着ててもアレですもんね。逆にそそられるというか」
「そう! 分かってラッシャリマスネ!」
(どこの国の人なんだろう?)
「ふーん、そういう関係なんだ」
ああ、すっかり忘れてた。男性と反対側に、津美零がいたことを。
「いやいやいや、津美零さんもなかなかデスヨ! わたしは手にちょうど収まるくらいがコノミデース!」
「な、な、な……!」
男性のあけすけなヨイショ――セクハラだが――に津美零は二の句が継げず、真っ赤になって黙り込んでしまった。
(うんうん、菱さんもいい身体してるよな。ミルさんには負けるけど)
そのまま3歩歩いて、
「あれ?」
「ドシマシタ?」
男性の不思議そうな顔をマジマジと見やる。
「菱さんの名前、どうして知ってるんです?」
答えは、前方からやってきた。建物に入ろうとしたミルがこちらを振り返り、大きな声を上げたのだ。
「あ! そこにいたんですかお父さん」
「……おとう、さん?」
男性はにっこり。
「はい、ミルの父です」
(お父さんと娘についてエロトークしちまったのかよ俺……)
立ちすくんでしまった翔一は津美零にガシガシ蹴られて進み、建物に足を踏み入れたのであった。
執務室は、意外と広かった。課長用の両袖付机の前に、事務机が2つずつ向かい合わせに計8つ並べられていて、それぞれの背後に白いスチールキャビネットが並んでいる。さらに壁際に書類棚まで並んでいてもなお、十分な空きスペースがあるのだ。
その空きスペースに、どことなく違和感を感じていると、先に津美零が声を上げた。
「あれ? プリンターが無い」
「ああ、ほんとだ」
荷物をそれぞれの机に降ろしながら首を傾げあっていると、ヴィッサリオが説明してくれた。どうやら複合機の納入が遅れているようだ。
仕事を始めて以来、というか学生生活からでもいいが、プリンターのない生活なんて考えられない。文書とかをどうやって作るんだろう。
「まさか、全部手書き……?」
「あ、じゃあ、うちのプリンターをしばらく持ってきましょうか?」
ミルが横から提案をしてくれて、
「ああ、そういやあったね、カラープリンタ――」
思わず入れた相づちを、次の刹那に後悔した。
「ふーん、家まで知ってるんだ……」
津美零の視線は、もはや痛覚すら凍結させた冷たい刃となって、翔一にグサグサと突き刺さる。それは終業のチャイムが鳴るまで続いたのであった。
2.
夕方。帰宅早々ミルたちの部屋に招かれた翔一は、ミルの父親のほかにもう1人、男性を紹介された。というか、向こうから名刺を差し出してきた。
「初めまして。派遣会社社長のアスダと申します」
男性は30代前半くらいの細面。きりっとした相貌を乗せた長身をダークスーツに包み、挙措に隙が無い。デキる男を体現したような容姿である。
なんとなく雰囲気に気圧されて、逃げ場を探すように名刺に目を落とす。
『 明日田 露吐 』
「……アスタロト?」
「アスダです」
有無を言わせぬ物言いに、この話題をこれ以上する気はないという圧力を感じた。
彼の会社からの派遣社員という態を取って、ミルたちをなんでもやる課に勤務させるのだそうだ。日中に顕獣人が現れた時、出動をスムーズにするために。
「だからヒラ職員が僕と菱さんしかいないんすね……つか、菱さんはどういう役割なんです?」
「ダミーです」
つまり、なんでもやる課本来の業務を遂行するための働き手だと説明された。
「彼女への説明は明日、研修の中で行いますので」
「理解してもらえるのかな……」
津美零は存外に柔軟な頭の持ち主である。だが、魔族だの顕獣人だのというファンタジックな説明を受け入れてもらえるかどうかは未知数だ。そういう方面の知識や興味があるとは思えないし。
そもそも、どうして菱さんが選ばれたんだろう。尋ねてみたら、翔一の交友関係から選定されたそうだ。
「で、なんでそこから菱さん……分かりました」
なぜなら、ヴィッサリオさんが満面の笑みだったから。ミルは逆に苦虫を噛み潰したような顔をしていて、
(老紳士じゃなくてエロ紳士だな……)
そんなこんなで、ミルが作ってくれた晩ご飯をみんなで囲む。今日も美味いと褒めたら、にこやかに照れるミルを見て、お父さん――ヴィッサリオも相好を崩した。
魔界語で何か語りかけ、さらに娘を照れさせている……なんでイリューシュが真っ赤になってるんだ?
「どうしたんだお前?」
なぜそんな目でにらむんだ?
「本当に男というやつは、どうしようもないな」
その吐き捨てるような言葉で、なんとなく察する。
(エロトークしてるんだな、娘相手に……)
吐き捨てられついでだ、訊いてみよう。
「ヴィッサリオさんはどんな種族なんだ?」
「わたしは、インキュバスですヨ」
答えが本人から来た。夢魔の一種で、サキュバスの男性版と言えばいいのだろうか。
なるほど、出で立ちも今朝のつなぎ姿とは雲泥の差のこざっぱりとしたもので、男から見てもかっこいい。エロトークに完全対応してるのも納得できた。
さらについでに、
「あ、じゃあ明日田さんは?」
「派遣会社社長です」
「……いや、種族を知りたいんですが」
どうしても教えてくれなかった。周りの魔族たちもだんまりを決め込んで、ますます怪しい。
夕食の片付けを手伝っていると、リビングから声が掛かった。
「マルサン、終わったらちょっとお話があるデス」
なんだろう。まさか、
(ムスメをモラッテクダサーイ、か?)
んなわきゃないよな。それとも、
(ムスメに色目を使う、ユルセマセーンか?)
などと考えつつ伸ばした手が、皿ではなくミルの手に触れてしまった。
「きゃっ!?」
「あ、ごめん」
なんとなく気まずくなって、翔一が黙々と皿を洗い、ミルが拭くという分担になってしまった。
イリューシュが来た。残りの皿を流しに入れながら、
「おい真変態。ミルにちょっかいかけると、ヴィッサリオ氏のお仕置きをくらうぞ」
「お、おう」
夢魔のお仕置き。とくれば、言わずもがなだろう。
(嫌過ぎる……)
ロマンスグレーのインキュバスに精を抜かれる。ヘテロ・セクシャルな翔一にとっては、地獄すら生ぬるい行為に違いない。
むしろ新たな地平が開けるかもと一瞬だけ考えて、すぐに打ち消した。
(どうせ抜かれるならミルさんのほうがいいな)
ちらっと横目で盗み見たミルは、無心で食器を片付けているようだった。
コーヒーを淹れてもらって、ヴィッサリオの元に戻る。その口から出た言葉は、
「マルサン、ケッコンしてみてドデスカ?」
「?!」
まさか、妄想がドンピシャ?!
(なわけねーよなー)
「ああ、兵殻なんとかのことっすね。なんというか、変な気分ですよ」
「オウ、体調が悪化するデスカ?」
「いや、そういう意味じゃなくって」
ミルが人数分の飲み物を持ってきた。
「お父さん、体調じゃなくて、わたしたちの装甲に変身するというのが妙な気分だって意味ですよ」
訂正されて胸を撫で下ろしているのを見ると、このプロジェクトになんらかの関わりがあるのだろう。そう推察して尋ねてみたら、なんとあの変身アイテムの開発者だった。
「あの、なんでまた俺を装甲にしようって考えたんですか?」
「嫌ですか?」
「いえ、ミルさんやイリューシュと触れ合えるのでそこはグフォアッ!」
ナイスフックと言いたいところだが、自分で食らって気持ちのいいものではないな。つか痛い。
そのパンチの繰り出し手、イリューシュはまさに虫唾が走るという顔で吐き捨てた。
「ううう、ご託宣がなければこんな奴、消し炭にしてやるのに」
「へっ、お前のポンコツ魔法が当たるかよ」
「試してやろうか?」
「なんで剣を抜くんだよ魔法関係ないじゃん!」
その時、ミルのスマホが振動した。それをつかむ真っ赤な手が、通話を経て白く戻る。
「現われました!」
やれやれ、美味そうなコーヒーだったのに。
3.
ムスタは受話器に向かって怒鳴り声を上げていた。相手はトキである。
「なんだあの顕獣人は! やる気があるのか?」
『私に言うな』
向こうも苦々しげである。
『君も分かっているだろう。オーガナイザーはヒトを顕獣人に変える。だが、どんな奴に変わるかは操作できん』
そのヒトの持つ強い欲望に左右される。分かってはいても、モニターに映るその情けない姿に、愚痴りたくなるのを止めようがないではないか。
「オーガナイザーを増やす計画の進捗状況は?」
『それは進行中……というより未定だ。それなりの才能がないとダメだからな』
「いっそ君がなったらどうだ? 得意だろう? 扇動は」
「君もな」
ふん、と鼻を鳴らして、通話を終了した。
ボトルネックはそこか……確かに扇動の才能はそうそうあるものではない。
ま、その分時間がもらえるわけだがな。
ムスタはそれを慰めとすることにして、ココアをすすった。
4.
翔一たちには顕獣人がどこにいるのか、すぐには見つけられなかった。
「……もしかして、あれか?」
それは、歩道の隅にへたり込んでいる黒い影。よくよく見ると姿形は顕獣人だが、覇気というか闘志というか、そういう類の元気が感じられない。
雑居ビルの壁に向かって何やらブツブツとつぶやいているその背中に、ためらいがちに声をかけてみる。
「おーい、大丈夫か?」
三度ほど呼びかけてみても、反応がない。
「どうする、これ?」
「いや一応顕獣人ですから、処理はしないと」
律儀に任務遂行を主張するミルだったが、その声に反応したのか、顕獣人がのっそりと振り返った。
「……バンカイシテェナァ」
「? は?」
「……オレ、ナンデコウ、ツイテナインダロウナァ」
「いや、そう言われても……」
思わず答えた翔一をぼんやりと見ていた顕獣人が、突然立ち上がって叫んだ!
「ア! オマエ! アノトキノ!」
「え? えっ?! あの時?」
さっぱりわけが分からない翔一に、顕獣人の激しい指弾が飛んできた。
「オマエ、リコントドケヲダシタトキノコウムインダロ!」
「……そう言われても」
前の所属課で毎日、少なくない数の離婚届を窓口で受理していたわけで、
「オマエノセイデ、オレノセイカツグチャグチャダ!」
「言いがかりにもほどがあるな……」
イリューシュの呆れも意に介さず、わめき続ける顕獣人。どうやら『平日にしか提出できないせいで仕事を休まざるをえず、そのせいで会社の人間と口論になり、辞めざるをえなくなった』とか。
「頭おかしいんじゃないのか?」
今日のイリューシュは辛らつだ。そのしかめ面は、そのままミルに向けられた。
「成敗」
「どこの上様だよお前は」
俺もリアルタイムで観たことないけどな。しかもイリューシュに通じてないし。
だが、ミルは律儀だ。さっそく承って、ケッコンのための呪文を唱えたのだ。
装着完了後、即座に攻撃に入る。パンチとキックのコンビネーションを次々に決め、つたない反撃を軽くいなしてまた攻撃。
「なんだ、ずいぶん弱いな」
「ええ、一気に決めましょう」
うずくまってしまった顕獣人がなにやらつぶやきだしたのは、その時だった。
「……イヤダ。マダマダココカラダ」
「インフィニィ・プラーツェ!」
「バンカイシテヤルヨォォォォ!!」
必殺技を繰り出そうと前がかりになったミルの身体を、下からの激しい衝撃が襲う!
悲鳴と、声にならない絶叫と。ミルと翔一はそれぞれのダメージにふさわしい音を口から発しながら宙を飛び、向かいの歩道に上から叩きつけられた。
変身が解除されてしまい、冷たいアスファルトの上を転げる。
「ミル! 大丈夫か?!」
イリューシュの叫びが遠くなっていき、翔一の意識は途切れた。
5.
津美零はバス停に降り立つと、ぐっと伸びをした。降り注ぐ朝日の中を舞い散る桜の花びらが、西部庁舎までの道を彩っている。
その花びらの中をくぐりながら、職場へと向かった。時々、キョロキョロしながら。
(マルくん、来ないな)
この時間くらいに来るかと思って、乗るバスを選んだのに。
昨日の勤務時間は、課に移管される予定の業務を確認することに費やされた。その前に自己紹介があったのだが、
(まさか臨時職員が全員外国人とはね……)
幸い、全員日本語が達者だった。執務室の掃除や荷物の搬入の時の会話では、意志の疎通は問題ない。
問題は――
「あ! おはよーございまーす!」
さっそく頭痛の種が現われた。ミルとイリューシュ。どちらもかわいく、そしてやけに翔一と親しげな、お年頃女子だ。
自転車から降りて横に並んできた。あいさつを返して、彼女たちが来た方角をさりげなく見やる。
「ああ、真変態なら休みだ」
「マ、マヘンタイ?!」
ミルが慌ててイリューシュを抑えながら訂正してきた。
「あ、あの、翔一さんはちょっと怪我をされてですね」
「……ふーん」
不審さをむき出しにしながら、スマホを取り出す。だが、メールもSNSも着信が無い。
「連絡入ってないけど」
「ん? ああ、重傷でな。それどころじゃない」
「じゅ……!?」
「イリューシュさん、嘘ついちゃだめですよ」
なんだ嘘か。
「痛みが引かないからオクスリで寝てるだけじゃないですか」
それ、ほんとに嘘なの?
津美零は唖然としながら、足の速い2人を必死で追った。
彼女の唖然は終わらない。
まず、課長がいなかった。正確には、始業のベルと同時に『ちょっと散歩に行ってくる』と言い置いて帰ってこないのだ。今日は研修だというのに。
そして現われた講師は、ミルたちが所属する派遣会社社長のイケメン細マッチョだった。
もしかして、これから担当する雑用の心得でも講義するのだろうか。そんな彼女の読みは、まったくもって外れた。映像も交えて行われた講義、いや説明は、津美零のド肝を抜くものだったのだ。
彼女と翔一は、人間界・神界・魔界を乱そうとする一味と戦うためのプロジェクトに参加させられていた。どうやら副市長も了解済みらしい。
敵の一味が手先として使っているのは、顕獣人と呼ばれる化物。どうやらヒトが強制的に変身させられているらしい。昨日も装甲に変身してミルに抱き付いて――ミルは真っ赤になって否定したが――戦ったのだ。結果は逆転負け。イリューシュが急遽参戦してどうにか撤退に成功したようだ。
彼らを倒すと手に入る『欲望の塊』も見せてもらった。5センチほどの細長い白色の物質で、触ると仄かに温かい。
『ヒトには、いや、我々にもですが、欲望が少なからずあります。それを結晶化したものがこれです』
明日田社長はこれを使った何かを考えているようだが、まだ教えてもらえなかった。
それよりも、映像で見せられた変身――本人がいないから映像でと断わりがあった上で――は、唖然以外にどう表現したらいいのだろうか。
「簡単だ」
イリューシュはお昼のサンドイッチをぱくつきながら、事も無げに言い放った。
「真変態、だ」
「イリューシュさん、翔一さんはそういう意図で装甲に変身してるわけじゃないんですけど」
ミルのフォローも、右から左へ通り抜けていく有様。
「さ、津美零さん、ご飯食べましょうよ」
「……おかしいって、気付くべきだったよね、あたし」
物問い顔のミルには申しわけないが、
「赤毛はまあいなくもないけど、青はいるわけないじゃん。どうみてもヘアカラーじゃないし」
「うむ! よくぞ気がついた」
イリューシュが自らの髪を束で掴んで、胸を張った。
「この色は『トルドゥヴァの青』と言って、調合が不可能な色なのだ」
「いや、そこじゃなくて……」
この二人が悪魔、じゃなくて魔族。ロマンスグレーも、魔族。社長も。
つまりこの課で、彼女と翔一(と課長)以外はヒトじゃないわけで。
そういえば、課長はどこへ行ったんだろう。帰ってきていない。
津美零がようやく弁当に箸をつける気になって10分後、外がやけに騒がしい。
課長のご帰還……なわけがなかった。
「ハイハイハーイ、あなたがたはココマデデス」
ロマンスグレー魔族ことヴィッサリオが昼食から帰ってきたのだ。大勢の女性を従えて。西部庁舎の敷地境界を越えてこようとする女性たちをソフトに押しとどめている。
泣き出す者まで現れた女性たちに爽やかな笑顔で手を振って、ヴィッサリオは悠々と執務室に帰還した。
(確か、インキュバスだよね、この人……)
研修の休憩時間にトイレに籠もってスマホで調べたのだ。『女性を誘惑して精を吸う』と。
(まあ確かにかっこいいけど……泣くほどかな……)
で、ミルがその子でサキュバス。イリューシュがセイレーンと。
知らず知らずのうちに、津美零は二人を見つめてしまっていたようだ。怪訝そうな顔を向けられて、
「ねぇ、その、魔族としてのお仕事とかないの?」
「ああ、わたしの種族はその……男性の精を集めてくるのが仕事です」
首まで真っ赤なミルは、集めた精を魔術薬の原料にするのだと続けた。
「我が種族は儀式でさまざまな歌を唄うのだ。儀式に華を添え、かつ効果を高めるためにな」
「ふーん。で、このプロジェクトに参加してるあいだはしなくていいんだ?」
尋ねながら、自分の声色が刺々しいものになっているのを感じる。こんなことで雰囲気を悪化させてもしようがないのに。
そのまま黙って米をほおばり、ふと思い至った、
「わたしはダメとして、ほかに翔一君以外にその、変身できる人いないのかな?」
「探してはいるみたいだぞ?」
とイリューシュは言う。
「ただ、かなり特殊な体質じゃないとダメらしいのだ。だから本当に――」
ここでものすごく力が籠もって、
「本っ当に残念ながら、あれしかいないんだ」
(マルくん……この子にいったい何したのよ……)
津美零はこれからを思いやって頭を振ったところへ、明日田がやって来た。
「さあ皆さん、今からお出かけです」
「どこへですか?」
「翔一君のベッドへ」
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