第2話 ポンコツと書いて魔法貴族と……読むなよ?

1.


 翌日の夕方、翔一はくたびれて家路をたどっていた。

 何が疲れたって、仕事の引き継ぎである。彼の後任は異動してくる職員、つまり未経験者であった。こいつが飲み込みの悪い奴で、

(お前それついさっき説明したじゃん)

 ってことを質問してくる。午後一杯かかって最後に放った言葉が、

「ま、いっか。やりながら覚えれば」

 これで顔だけはいい女で、周囲の男性職員どもはさっそく蠢いているのがむかつきを加速させて。

「メシ……外で食おっかな……」

 夕暮れの陰に沈むアパート。それを目の当たりにした時、翔一の胸が痛んだ。

 あの戦いから2日。向かいのメゾネットの門に、赤髪の女性――ミルって呼ばれてたっけ――の姿は無かった。ひょっとしたら、もう出て行ったのかもしれないな。

(調子に乗り過ぎだったな……でも、ほんとにいい匂いだったし、柔らかかったし……)

 そもそも、あの化物はなんだったんだ。それを倒すために、なんで俺だったんだ。

「おい! お前!」

 その時、説明ができそうな人物が向こうから声を掛けてきた。

 メゾネットの門から出てきたのは、先日の青髪だった。今日は剣を身に着けていない。

「遅いじゃないか。ずっと待ってたんだぞ」

 改めてよく見ると、細身だが均整のとれた体つきをしている。背は翔一より少し低いくらい。相貌もミルと比べて気品がある気がする。その形のいい唇がまた動いた。

「何を見とれている?」

「いや、綺麗だなと思って」

「心にもないことを」

「いや、心から言ったんだけど」

 真顔で言ったのに、青髪の女性は翔一を軽蔑するような眼つきに変わった。

「ミルへのあの言葉も、心から言ったのか?」

「あの? ああ、あれ。うん!」

「元気よく言うな!」

 まったくとため息をつくと、女性はメゾネットを親指で示した。

「ここで立ち話もなんだ。中に入れ」

「ひゃっほぉぉい!」

「……なんだその奇声は」

「女の子の部屋に入る時の日本男児の作法だ」

「嘘つけ!」



 部屋は綺麗に片付いていた。塵一つ落ちていない。

「へぇ、お前、キレイ好きなんだな」

「ん? 当たり前だ。貴族たる者、猥雑な環境なぞに身を置けるか」

 なるほど、それで品の良い顔つきなのか。

「つか、貴族ってどこの国の?」

「ん? ああ、この世界風に言うと、魔界だ」

 ……しまった、デンパちゃんの部屋に入り込んじまったのか?

 軽く後ずさりをしようとして、女性がきょとんとしているのに気づいた。

「……どうした?」

 そういえば、あの時のことを説明してもらうためにここについてきたことを思い出した。

 腹をくくるか。

「別に。それより、俺、なんか変か?」

 さっきからずっと見つめられていたのだ。

「いや。早くお茶を出してほしいのだが」

「お前が出せよ」

「この私が? なぜ?」

(こいつ……あくまで貴族を演じる気か……)

 翔一は正論で攻めることにした。

「俺は客だろ? お前の国では、客に茶を出させるのか?」

「うむ」

「即答しやがったな……」

 その時、玄関が開いて、同時に声も飛んできた。

「ただいまー! ごめんなさいイリューシュさん、お腹空いたでしょ?」

 声の主が、部屋に入りかけて固まる。

「や、やあ、先日はどうも……」

「あ、あの、どうも……」

 そう、先日の赤髪美女、ミルだったのだ。

(うはぁめっちゃキマズイ……っ)

 でも、本音を言いたくて仕方がない。

 ごちそうさまでした、って。

 だが今回は社会人としての常識が邪魔したため、当たり障りのないあいさつで逃げることにした。

「改めて、始めまして。丸目崎翔一っていいます……って、この前も名前呼ばれてたっけ」

「あ、はい。えと、ミル・ベサリオニスといいます」

「イリューシュ・トルドゥヴァ・シンモヴィクだ」

「ややこしい名前だな」

「なに?! 貴様! トルドゥヴァを馬鹿にするのか?」

 耳慣れない名前だって意味なのに。

 ミルがクスクス笑い出して、

「トルドゥヴァは魔界でも古い家柄を誇る御家なんですよ。ね? イリューシュさん」

 うんうんとうなずく青髪の女性を見るともなく見ながら、

(今、ちょっと顔が曇ったような……)

「ミル、お腹が空いたぞ」

「あ、はいはい。今作りますから」

「……部屋の掃除したのも、ミルさんだな?」

「いつ私が掃除をしたと言った?」

 パタパタとキッチンへ向かうミル。その買い物袋を下げた後ろ姿を――ここでついお尻を見てしまうのが男の性だ――目で追ったあと、改めて部屋を見回して、こざっぱりした良い部屋だなと再確認して、

「いやそうじゃなくて」

「どうした?」

「教えてくれ。昨日のあの化物はなんだ?」

 やっと本題にたどり着いた翔一であった。



 あの化物は、顕獣人と呼称されている。

 人間の持つ、様々な欲望や欲求を具現化した結果、それに全振りした姿をしたのようなヒト。それがアレなのだそうだ。

「なるほど……あ、この煮物、うまいっすね」

「え、そ、そうですか? 丸目崎さんの作った炒め物も、なかなかパンチが利いてて美味しいです」

「うむ、残り物でこれを作るとは。褒めてつかわす」

「有り難き幸せ……て、お茶くらい自分で注げよ」

 だから、心底疑問の眼で俺を見るなっつーの。

「で、さ」

「はい?」

「なんで、あれと戦うのに、俺だったの?」

 ミルは茶碗を置くと、居住まいを正した。表情も引き締まる。

「今から1年前、アスタロト様の御殿より、御託宣が下されました」

「アスタロト……魔界の大公爵、だっけ?」

 翔一のつぶやきにイリューシュが反応した。

「ほう、知っているのか」

「本で読んだだけだよ。その手の」

 続きを促すと、ミルはうなずいてゆっくりと語りを再開した。心なしか、顔が赤い。

「御託宣には、こうありました。『丸目崎翔一なるヒトを探せ』と」

「……またピンポイントな話だな」

 ショウイチという名前は、まあ無くはないと思う。ありふれたとは言わないが、いわゆるキラキラネームでもないし。でも、マルメザキという名字は、親族以外にお目にかかったことがない。

「その者と共に闘え。御託宣はそう結ばれていました」

「あの、顕獣人と?」

 こくりとうなずき、ミルは付け加えた。

「あの顕獣人と、それを作り出している組織と、です」


2.


 そこは、暗い空間。その中にいるのは、あえて性別で"色"を付けるとすれば、男2人と女1人だろうか。

 円卓に座る3人の距離は等分されていた。それはまるで彼らが対等であることを示すかのように。あるいは、誰かが誰かに肩入れして均衡が崩れるのを恐れるかのように。

 3人のうち、年長者と思われる男――ムスタの低い声がまず発せられた。

「体制側がようやく対抗策を取ってきたな」

「にしては、小規模だがな」と別の男――トキが受ける。

 その男の細い眼は、女に向けられた。

「君の手配だろう? あの、なんとか課というのは。なぜわざわざ表向きの活動のカバーを作ってやるのかね?」

 女――エニラは間髪を入れずに答えた。

「監視のためよ。集めといたほうが楽でしょ?」

 それに、と付け加えるのも忘れない。

「彼の確保に成功したわ」

 ちょっとアクシデントはあったけどね。そう付け加えて微笑むエニラ。計画に多少の遅れは生じるだろうが、些末事と見なしてよいだろう。

 ムスタは小首をかしげると、トキに視線のみを向けた。

「"オーガナイザー"は順調かね?」

「うむ」と重々しくうなずくトキ。あごひげをしごきながら、大物の風格を漂わせている。

「あの姿形ゆえ日中に活動できないのは難点だが、着実に任務をこなしている。問題はないよ」

 逆に、トキのほうから問うてきた。

「欲望の結晶を入れる聖杯は?」

「鋭意制作中だ」

 顔の表情を変えずに言い放つのには、少し苦労した。制作がうまくいっていないことを悟られてはならない。

 会合の締めは、いつもの合言葉で行われた。

「三界に混沌を 体制に破壊を 我らに勝利を」

 そしてムスタはこれもいつもどおり、心の中で合言葉を一つ付け加えるのを忘れなかった。

(混沌の世界を我に)


3.


 翌日。この課にいるのもあと2日だけど、当然のことながら仕事は続けなきゃいけない。というか、新設される課に異動するため、業務の引継ぎをしてくれる相手がいない。

「ほんと、なにする課なんだ……」

 訳知り課長補佐の情報によると、『雑用、雑用、雑用』らしい。要するに、いろいろな課が抱えている雑務を移管されて遂行するようだ。

 4月1日に課の職員全員が集合して、ミーティングがある。そこで課の業務が詳しく分かるらしい。

「雑用、ねぇ」

 ふと手を休めて、昨日の昼休憩のことを思い出した。

 津美零もあの課に異動になっていたので、昼食を摂りながら2人でああでもないこうでもないと(半分は愚痴を)言い合ったのだ。

 見知らぬ課に、同期がいるというのは心強い。一緒に食べていたほかの同期から、

『津美零ちゃんは特にねぇ』

 と言われて、なんだか妙な空気になったことも思い出していると、窓口が騒がしいのに気づいた。そして1秒後、気づいた瞬間に姿を消すべきだったと後悔した。

「マルくーん、お客さんだよ~」

 同僚のニヤニヤ顔の向こうには青髪が、もう一人の変身者パートナーの頭が揺れていたのだ。

「何しにきたんだよ」

 必死の小声を、この魔界貴族様は汲み取ってくれなかった。

「なにって、来ちゃだめなのか?」

 とたんにざわめく同僚たち、ウザし。

「当たり前だろ、つか、なんちゅう格好で……」

 そう、イリューシュはいかにも洋風の狩り装束な出で立ちに、背中に雌雄一対の剣まで背負ってるんだから。

「なんだ? 我が一族に伝わる戦着いくさぎを侮辱するのか?」

 うわああああああああ止めてくれこんなところでェ!!

「と、とにかく! あとであとで」

 頼む、とりあえず、帰ってくれ。そう手を合わせて拝む翔一の願いは、ようやくかなった。そうかとあっさり踵を返したイリューシュの髪が揺れ、ふわりといい匂いに思わず鼻をうごめかす。と、感づかれてしまった。

「お前は本当に変態だな。この匂いフェチめ」

「……すまん、つい」

 素直に謝って、次の言葉でとどめを刺された翔一であった。

「では、また家でな」



 足が重い。疲れた。マジで。

 あのあと、上司からは軽く小言を食らい、男性職員には冷やかされ、女性職員にはこれが絶対零度かという冷たい視線を複数突き刺され……

「なんでこう毎日疲れて……って当たり前か……仕事してんだもんな」

 今日のあれは、仕事とは無関係だけどな。

 で、向こうから駆けてくるのが無関係な関係者、と。

「おい! 現れたぞ!」

「マジかよ……」

 せめて夕飯を食ってからにしてほしかったけど、無理だよな。

 イリューシュに先導されて到着したのは、近所の公園。そこにいたのは、細長い円錐状の両手を持つ顕獣人だった。辺り構わずそれをぶっ刺して暴れているんだが、何がしたいのか今一分からない。

「ま、なんでもいいや。おいイリューシュ、変身するぞ」

「嫌だ」

「そっか」

 俺は踵を返した。

「じゃ、帰るわ」

「帰るな!」「お前が嫌だっつったんだろーが!」

 その時、絞り出すような低い低い声が聞こえた。

「オマエ……オマェェ……」

 それは、あの顕獣人から発せられたもの。こちらに正対すると、じり、じり、と歩み寄ってきたではないか。

「お、おう、なんだよやんのか?」

 身構える翔一とイリューシュ。顕獣人から放たれる殺気は、さほどケンカの経験のない翔一にも分かるほど濃いものとなっている。

 だが、次に放たれた言葉は、2人の意表を突いた。

「オンナ……オンナトイチャイチャ……」

「……は?!」

 ひいき目に見ても掛け合い漫才をやっているようにしか見えないと我ながら思う翔一である。

 だが、次に顕獣人が取った行動には仰天せざるを得なかった。

「サシテェ……サシテェ……オレモオンナニサシテェヨォォォォォ!」

 顕獣人が叫ぶと同時になんと、その股間から巨大な突起物がにょきっと隆起したのだ!

「あ、ああ、したいだけじゃなくてしたいも込みなのかよ……」

 正直この青髪の魔族になんの義理も無いけど、このままほったらかして、哀れ花を散らすってのもかわいそうだ。

「おいイリューシュ――あれ?」

 いないじゃん!

 敵から距離を保ちつつキョロキョロしたら、10メートルほど向こうの樹の陰に、さっと隠れる青髪の端っこを見つけた。と思う間もなく、顕獣人の突きが繰り出されてくる!

「うぉっと!」

「シネ、オトコハシネヨォォォォォ!」

 なんだか妙に動きが鈍い敵の腹に思いっきり蹴りを入れて吹き飛ばす。

「お、やっぱ結構硬ぇな」

 そうしておいて駈け寄った先のイリューシュは、真っ赤になっていた。

「どしたのお前?」

「ば、馬鹿者! あ、あんなもの見せられて……」

「ああ、見慣れてないんだ、アレ」

「当たり前だ!」

 確かに、見たところ男慣れしてなさそうではある。

 そして、貴族様は吹っ切れた。

「もういい! さっさとぶっ倒すぞ!」

「決意早ッ!」

 イリューシュは右手を高々と天に向かって掲げた。

「イレイ・オフストレーラ!」

 呪文の詠唱が終わると同時に、ぐにゅうっと広がり曲がる、翔一。呪文がミルの時と違うと思ったが、彼の身体は青い装甲として変形し、イリューシュの全身に鎧われていく。ご丁寧に彼女が背負う雌雄一対の剣を避けて装着が完了し、その双剣を彼女は抜いた。

「トルドゥヴァの業を馳走してやる。光栄にまみれて死ぬがよい!」

 疾走してすぐ顕獣人に近接し、裂帛の気合いと共に剣を振り下ろす! 先日の奴には弾き返されたそれが、今度は滑るように、そして生肉に包丁を当てたような感触とともに顕獣人の肩を裂けさせる!

 絶叫を発して二の太刀を避けた顕獣人は、反撃に転じた。痛みを感じないのか、突きの連撃を繰り出してくる。くるんだが、どうにももたつく。その理由を、翔一は即座に理解できた。

 そりゃあ理解できるさ、だって、

「あんなもんおっ立ててちゃあなあ……」

「おっ立ててとか言うな人の耳元で!」

「なんだよお前、お貴族様はやっぱ結婚するまで純潔をとかそんな感じ?」

「……そうだ! 当たり前だろ!」

 今の一瞬の間は、なんだったんだろう。などと考える間もなく、突っかかってきた顕獣人の腹をイリューシュは思い切り蹴飛ばした! 翔一の力も加わったケンカキック風前蹴りは――だぶんちゃんと狙ったんだろう――顕獣人のおっ立てた部分を外して腹に命中し、吹き飛んだ先の樹の幹に後頭部を打ち付けて、顕獣人は唸り声と共にうずくまってしまった。

「よし! とどめだ!」

 そう叫んだイリューシュは、意外な行動に出た。双剣を背の鞘に収めてしまったのだ。

 どーすんだよと問う間もなく、イリューシュが取った行動は――

(! なんだそりゃ?)

 両手を下げた彼女の口から荘重なメロディが紡ぎ出されたのだ。この戦場で朗々と、少しも臆することなく。そして、

(うめぇ……なんつうイイ声だよ……)

 歌詞の意味はさっぱり分からないが、状況を忘れて聞き惚れてしまう翔一。そんな彼の視界に、どこからともなく光が集まり出したのを知覚したのは、10秒ほどしてからだろうか。光はあるものはフワフワと、あるものは素早く寄って来て、翔一たちの身に音も無く吸い付いていく。

 彼は、同時に顕獣人の復活も知覚していた。打った箇所をさすりつつ、ゆっくりと起き上がってくるのだ。

 翔一が警告を発するのと、イリューシュの歌が終わるのはほぼ同時だった。光は既に翔一たちの全身を覆うほどに集まっている。

「いいか翔一、1、2、3でオルジャスニィ・ショークと一緒に唱えろ」

「何語だよそれ……って魔界語か……分かった」

 完全に起き上がった顕獣人が怒りの声らしき絶叫とともに走り出すのと、イリューシュのカウントが終わるのと、どちらが早かっただろうか。

「オルジャスニィ・ショーク!」

 詠唱と同時に、両手を組んで前に突き出す。するとそこに、全身の光が急激な勢いで集まり、轟音とともに撃ち放たれ、仰角45度の茜空へと飛翔していった。高く。高く。

「――ってお前! なんで打ち上げるんだよ!」

「うるさい! やっぱりケッコンしてもだめか……」

 だめ。そうつまり、装甲化した翔一が加勢しても抑えられず、発射の衝撃で仰向けに転倒してしまったわけだ。そして打ち付けた頭をさすりながら気が付くと、顕獣人は遁走したのか、姿を見失ってしまった。辺りには夕陽の朱に彩られた遊具と木しか見当たらなかったのだ。

 イリューシュは舌打ちすると、近くにあった空き缶を蹴り上げた。

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