わたしと兵殻外装してくださいッ!!

タオ・タシ

第1話 ケッコンしてくださいッ!

1.


「あ、あの、あのっ!」

 丸目崎翔一まるめざき しょういちは、その上ずった声が自分に向けて発せられたことに気づき、右後ろを振り返った。

 3月も24日となり、早春の暖かい朝日が、翔一が立ち止った道路だけでなく、彼の住んでいるアパートとその向かいのメゾネットに降り注いでいる。声は、その茶色いメゾネットの周囲を囲む塀に開けられた門から投げかけられたものだった。

 そこにいるのは、一人の女性。

 年のころは翔一と同じくらいの、20代中頃に見える。ちんまりとした顔はふっくらとしていて、美人というには愛嬌が勝っている感じで可愛らしい。その顔と実にアンマッチなのが、形のいい頭を飾る赤い髪。そのロングヘアーは腰まで届き、燃えるようにうねっている。

 そしてなにより目を引くのが、下世話な一言で済ませるなら"ナイスバディ"。ぐんと突き出した双丘にくびれたウェスト、お尻は彼女が翔一に正面を向けているため見えないが、あの腰間の張り具合とボリューミィな太もも――くるぶしまであるロングスカート越しにも容易に伺えるくらいの――から見ても、まさか貧相とは思えない。

 これだけの麗しい女性を視界に収めても、翔一の心は悔恨と不審に支配されていた。なぜならば、彼女がメゾネットに引越ししてきたと思しき3ヶ月前から、勤務先への行き帰りのたびに門の角から凝視されていたからである。

 そのまなざしは真剣そのものなのに、翔一が声をかけるどころか見返すだけで素早く退避されてしまうのだ。ではと目的地へ向かって再出発しようとすると、いつもの瞬きすら感じられない視線を再び背中に感じる。

 正直怖い、というのが翔一の素直な感想だった。

 その人が、ついに声をかけてきた。ついに。反射で振り返ってしまったからこその後悔を捨てて、来るなら来いと覚悟を決めた翔一が、

「なんか用ですか?」

 と正対すると、赤毛の女性はびくりと震え、ついで盛大に慌て始めた。

「あ! あああああの――」

「はい?」

「け、けけけけけけ――」

「?」

「ケッコンしてくださいッ!」

「ごめんなさい」

 一言のもとに断った翔一はぺこりと頭を下げると、勤務先である加東市役所へと足を向けた。息を飲み、そしてあたふたしだす女性の気配を背中で感じながら。



 就業前のルーチンで業務用パソコンを立ち上げながら、翔一は机に頬杖を突いた。

(もったいないこと、したかなぁ……いいチチしてたもんなぁ……)

 でも、日常会話どころか朝の挨拶すら交わしたことがないのに、いきなり『ケッコンしてください』というのは、あまりに重過ぎる。というか、

(諦めてくれるのかな?)

 諦めてもらえなかったら。ストーカールートに分岐する可能性に、翔一の心は暗く沈む。

(どう見ても外人っぽかったけど、ああいう風習のある国出身……なわけねーよなー)

「マルくん? なーにたそがれてんの?」

 その声に横を向くと、いつの間に来たのか、同期の菱津美零ひし つみれが立っていた。

「たそがれてないよ、別に」

「あ、じゃあなんかいやらしいこと考えてたんでしょ」

「うん」

「即答で肯定した?!」

 津美零の目が、とたんに剣呑なものに変わる。態度だけでなく身振りでも引き気味にショートカットを揺らすと、津美零は翔一に諭すような口ぶりで話しかけてきた。

「マルくん、もうちょっとそーゆーとこ、隠しなさいよ」

「大丈夫、相手見て言ってるから」

「あたしに対して隠してくれって言ってんの! 事と状況によっちゃセクハラ対策委員会に訴える事案だよ、これ!」

「事と状況?」

 翔一は、へっと口を曲げた。

「どうせ、ただしイケメンに限る、ってことだろ?」

「うん」

「即答で肯定されたよ……」

 パソコンにパスワードを入力するため、翔一は会話を打ち切ってキーボードに目を向けた。

(マルくんも黙ってりゃそれなりなのに……)

「なんか言ったか?」

「別に。ああそうそう、忘れるところだった」

 津美零には別の用件があったようだ。

「同期の飲み会、4月中旬にやるから。また都合の悪い日を教えて」

 立ち上げ作業を続ける翔一が黙って頷くと、津美零は手を挙げた後、自分の所属課に帰っていった。

(なんでわざわざ来るんだ? メールで聞けばいいのに)

 疑問が頭に浮かんだところで始業のチャイムが鳴り、翔一は事務処理に頭を切り替えて集中する。市民からの申請書に加えて、他課職員からのメールや問い合わせを処理していると、一息ついたときには11時を回っていた。

 ちょっと休憩と気を抜いた翔一の耳に、ふいに年配男性職員の会話が飛び込んでくる。係長と課長補佐だ。

「……あれ、ほんとにできるんですか?」

 と係長は不審げ。対する課長補佐は、見なくてもわかるくらいのニヤニヤ感が声色に出ている。

「ああ、どうも確定みたいだぜ。なんたって当初予算にもう載っちまってるし」

「課名はなんになるんでしょうね?」

 ということは、昨今庁内を騒がす、『新しい課を創設する』という話題のようだ。

「……まだオフレコだぞ」

 普段から事情通を気取る課長補佐は、オフレコに声を低めようともしないで語りだした。声が上ずり、明らかに面白がっているように聞こえる。

「なんでもやる課、だってよ」

 聞かされた係長は吹き出した。翔一も周囲の職員も、幾人かつられて含み笑いをしている。

「なんすかそれ! 何十年前のセンスですか!」

「だろ?」

 課長補佐の声が逆に低くなる。

「でもな、副市長が市長や総務部長を押し切ったんだってよ。『名は体を表わす。シンプルでいいじゃないか』って」

 おまけにな、とまた声が低くなる。

「議員の連中も全員賛成したんだと」

「マジすか」と係長は呆れた様子に声が裏返った。

 副市長とか議員とか、ヒラ職員の翔一にとっては雲上人であり、そこらへんの機微はよく分からない。しかし課長補佐や係長の驚きようを見ると、どうやら意外なことのようだ。

 議員の話題が出たことをきっかけに、課長補佐のリークは別の話題に移ったため、翔一はまた仕事に意識を戻して事務処理に没入した。


2.


「だいぶ明るくなったな」

 毎日夕方5時半過ぎには庁舎を出るのに、今日はなぜかそんな感慨を翔一は抱いた。と同時に、心臓がきゅっと縮む。

 あのナイスバディさん、またメゾネットの前で待ってるんだろうか。

 割と穏やかそうな外見だったが、にべもなく断ってしまったことで豹変される可能性もある。それを考えると、このまま帰宅するのはリスキーだが、だからといって時間をつぶして暗くなってから帰るのはもっとリスキーだろう。今日はジムに行く曜日でもないし。

 むしろ時間を与えることで、家屋進入による盗聴器やカメラの埋設などのリスクが高まる――

「なわけねーよなー」

 我ながら被害妄想が過ぎる、と翔一は口を歪めて声もなく嗤う。では、家屋進入から潜伏のコンボで、夜中にふと気がつくとあの豊満な肢体に馬乗りされて――

「……燃えるな、それは」

 翔一は、被害が頭に付かない妄想に浸りながらスーパーに立ち寄り、今日の夕食に使う食材を買った。スーパーを出て5分ほど、夕日で伸びに伸びた我がボロアパート2階建ての黒い影に、ついに足を踏み入れる。

(さあ、ナイスバディさん、勝負!)

 メゾネットの前に、赤髪の女性の姿はなかった。翔一の妄想警戒レベルが徐々に上がってゆく。

 アパートの庭、敵影無し。

 共用玄関、気配無し。

 レターボックスの中、赤い髪の毛その他不審物無し。

 ふと気配を感じて天井を見るが、張り付いて無し。

 2階への階段を慎重に上がるも、上り端の床に伏せて凝視してくるヒトガタ、無し。

 階段を登りきったところで後ろに人の気配、感有!――って、あの後ろ姿は隣の部屋の住人だ。

「こんちわー……?!」

 翔一の挨拶に振り向いた隣人は、隣人には見えなかった。顔が思いっきり膨れ上がっているだけじゃない。エンジ色のパーカーの袖から生えているのは拳ですらない丸々とした、そして妙に生々しい肉の球体。隣人(?)はその球体を振りかざすと、こちらに向かって駆け出してきた!

「ナグラセロォォ!」

 そう叫びながらの横殴りを、翔一は後ろにすっ転ぶことでかろうじて避けた。腰に続いて背中を廊下のコンクリートで打って痛いが、それすら忘れる轟音に耳が痛くなる。パーカー男の繰り出した右フックが廊下の鉄柱に激突し、ぐにゃりと飴のようにひん曲げてしまったのだ!

 転倒したついでに手放した買い物袋を放置して、翔一は這うように階段を下りた。今度は前につんのめりそうになるのをかろうじてこらえて、どうにか1階へとたどり着く。反射的に振り仰いだ階上から、おいおいウソだろ?!

「ナグラセロヨォォォォ!!」

 階段を全部すっ飛ばしてきやがった!!

 跳躍と落下の勢いで振り下ろされた両の拳がぐんぐん迫ってくる。跳ばなきゃ、飛ばなきゃ、ヤバイヤバイヤバイヤバイ――

「はぁっ!!」

 共用玄関の脇から飛び込んできた叫び声に続いて、肉と骨同士がぶつかる激しい音が響いた。半ばあきらめて背を丸め、目を堅く閉じていた翔一の頭上で。

「丸目崎さん! 早く立ってください!」

 腕を取って引き起こしてくれたのは、あのナイスバディさんだった。顔には緊迫感が溢れていて、詳細を問うのもためらわれるまま、玄関の外へ引っ張り出される。階段の角に打ちつけられてうめき声を上げているパーカー男を横目に見ながら走って、ひとまず距離を取った。

「ありがとう。助けてくれたんだ」

「あ……はい! でも――」

 彼女が何かを言おうとした時、騒ぎを聞いたのだろう、付近の住民が近づいてくるのが見えた。いかにも恐る恐るといった風情で、その中の一人――翔一のアパートの大家が尋ねてくる。

「丸目崎さん、何があったんですか?」

「隣の部屋の人が、いきなり襲ってきたんですよ」

 ほら、あれです。

 翔一の説明は簡潔にして要を射ていた。だが、ちょっとシンプルすぎたのかもしれない。のっそりと共用玄関から姿を現したパーカー男を見て、翔一とナイスバディさん以外の人間は呆然と立ち尽くしてしまったのだ。その不気味な声を聞いても、なお。

「ナグリテェ……ナグラセロォォォォ!」

「皆さん! 逃げてください!」

 ナイスバディさんが赤髪を振り乱して周囲に叫ぶと、少ないながらも人垣を形成していた野次馬は、どっと崩れた。

「俺たちも逃げようぜ!」「いいえ」

 見開いた翔一の目には、赤い髪に縁取られた女性の顔に強い決意が見えた。とはいっても、どうするつもりなんだ?

「あいつを倒すんです」

「いやだからどうやっ――わあっ!」

 見物人を追う素振りをしていたパーカー男が、こちらに迫ってきたのだ。しかし、翔一が思わず取った逃げ腰と真逆に、女性は敵に向かって走り寄ると、気合いとともに右ストレートを繰り出した。

「速ぇ!」

 だが、パーカー男はそれをすっとかわした。続いて繰り出されたコンビネーションも、難なくさばいてゆくではないか。

(そういや、ボクシングやってるって言ってたっけ、こいつ)

 そのことを伝えようとした矢先、今度はパーカー男が反撃に転じた。こちらもコンビネーションを駆使して女性を殴り飛ばそうとするのだが、

「当たらないな……」

 女性もあの豊満な肉体に似合わない軽いフットワークで、男の拳をかわしているのだ。打ち合いに持ち込まない(持ち込めない)のは、さすがにあの大振りな球体を食らえば無事ではすまないからだろうが。

 2人の攻防に見とれること2分ほど、破局が訪れた。女性がバックステップをしようとして、敷石の出っ張りに踵を引っ掛けてしまったのだ!

 翔一は叫ぶより速く、突進した。女性に覆い被さって護るのは間に合わない。だから、

「この野郎! やめろ!」

 男の腕に飛びついて、打ち下ろそうとしていたのを食い止めようとした。体重を掛けて押さえ込めば、その隙に――

「ナグラセロヨォ!」

 甘かった。いや、とんだ見込み違いだった。この痩せた身体のどこに秘めているのか、凄まじいパワーでぶん回されて、翔一は玄関脇の植え込みまで振り飛ばされてしまったのだ。

 だが、翔一の時間稼ぎは吉と出た。転んだままの女性が右脚で蹴り上げたのだ。男の股間を、それはもう、グシャッって音が脳内で響くくらい勢いよく。

「うわ……ひでぇ」

 背広越しに植え込みの枝先がちくちく刺さる背中の痛み。それを脇に置いて、翔一は敵に思わず同情してしまった。

 その時、第4の人物が乱入してこれたのも、時間稼ぎのおかげだろう。

 走ってきたのは、これまた女性だった。青い髪をポニーテイルに結んで左右に揺らし、息を弾ませながら止まることなく肩越しに背中に手をやる。そこに装備しているのは雌雄一対の剣。すらりと抜き放ってすぐさま一閃! 金的の激痛でくの字に曲がったパーカー男の背中に斬りつけ、ついでにとばかりに向こうへ蹴り飛ばしてしまった。

「ミル、大丈夫か?」

 あの赤髪の人は、ミルていうのか。それはともかく敵が斬られて一件落着――かと思いきや、

「服を切っただけかよ」

 少女が手にしている剣が血糊で濡れていないことに気づくのに、そう時間はかからなかった。ゆえに思わず口を突いて出たツッコミは、青髪の女性を傷つけたようだ。美人と形容するにふさわしい端麗な顔を朱に染めて、翔一をにらみつけてくる。

「う、うるさい! ケンジュウジンの皮膚が剣で破れるわけないだろうが!」

 ケンジュウジン? なにそれ? と問う間もなく、ミルが警告の声を発した。一連の痛打からようやく立ち直ったケンジュウジンが、激怒の咆哮を上げながら向かってきたのだ!

「おいミル! まだそいつに付けてないのか?」

「は、はい、いろいろありまして」

 青い髪の少女は舌打ち一つすると、敵と正対した。

「早くそいつとケッコンしろ!」

 ……ちょっと何を言っているのかまったく分からない。心なしか、青髪の口元がにやけている気もするが、それは赤髪の赤面と深い関わりがあるようだ。

 赤髪――ミルは、青髪の少女がケンジュウジンと戦闘に入るのにかまわず、翔一に駆け寄ってきた。戸惑った彼が問いを発するより早く、意外に厚ぼったい唇が開かれて、

「私と、一緒に戦ってください」

「……俺が? どうやって?」

 急展開のお願いは、ミルの潤んだ瞳を直視する限り、冗談でも嘘でもないようだ。

「丸目崎さんの力が必要なんです」

「あの子では、あいつを倒せないの? つか、倒さなきゃダメなの?」

 うなずくミルは、短い説明をしてくれた。あれ――ケンジュウジンは自分を取り巻く日常に不満を溜め、暴発してヒトであることを止めた怪物なのだと。あれを倒さない限り、命の炎が消えうせるまで際限なく暴れ続けてしまうのだと。

「お願いします。わたしと翔一さんと、2人でないとあいつは倒せないんです」

 ふと見やれば、青髪の少女がケンジュウジンの攻勢に押されていた。どうにかかわして飛び退ったが、肩でする息が荒い。

「分かった。俺がどうしたらいいのかは、分からないけど」

 同意を告げると、可愛い顔がぱっとほころんだ。なんとなく恥じらい成分が含まれているその表情に、"ケッコン"という単語が突然思い出されてしまう翔一。それに気づかないのか、ミルはジーパン――こんな状況下であれだが、見るからにむっちりとしたいい脚と腰回りだ――のポケットから、黒く細長い物を取り出した。

 それは、小さく細い棘が一列に並ぶ、幅1センチほどのバンド。指でつまんでみると、素材の滑らかな感触がどことなく動物、いやヒトの皮膚のように感じる、ちょっと薄気味悪さを覚える代物であった。

「ヒトの皮じゃありませんよ」

「心を読まないでくれよ」

 つか今、さらっと言ったね? ヒトの皮って。怪しい……

 翔一の不審などお構いなしとばかりに、左手を前に出してほしいとのお願いがなされた。黙って差し出すと、手首にくるくると巻かれたとたん、

「痛っ!」

 バンドの内側の棘が、伸びて刺さったのだ! 痛みにたまらず声を上げようとすると、ミルが翔一の手をきゅっと握ってくれた。

「大丈夫です。すぐ治まりますから」

 その優しい言葉が緊張した顔と裏腹で、なぜか面白い。ミルの言ったとおりすぐに痛みは治まり、左手首の表側には真っ黒な表面に複雑な文様が渦を巻く、アーモンド形の固形物が生成された。

「あ……!」

 彼女はどうやら翔一の手を握っていたことを忘れていたらしい。日が落ちて点った街灯の薄明かりでもわかるくらい頬を赤く染めてうつむいてしまった。翔一もそのはにかみを見てほっこりしていると、

「おい! なにイチャイチャしてるんだ!」

 青髪の少女がまたも叫び、ついで振り下ろされてきた顕獣人の右腕を剣でいなして左へ跳ぶ。

「よし、行こうか、ミルさん!」

「あ、はい!」

 イチャイチャと怪しげなバンドを装着していたあいだに、敵とイリューシュは翔一たちからやや離れていた。そちらへ向かって歩きながら、翔一は考える。

(2人で一緒に戦うって、どういうことなんだ? 2人で腕を組んで合体変身か? それとも昔やってた仮面マスクドライバーみたいに、俺がソウルサイドでミルさんがボディサイドってか?)

「丸目崎さん?」

「ん?」

「いいですか?」

 顕獣人まであと5歩というところまで来て、ミルの表情が、緊張ではなく明らかに戦闘的な精悍さを見せるものに変貌した。いっそうの決意を込めて頷く翔一も、覚悟と高揚感で全身に血とアドレナリンが駆け巡る。

 そしてミルの唇から呪文が詠唱された。高らかに。

「イレイ・クラーク!」

 同時にミルと翔一、2人の手首の固形物が赤く光る! エネルギーが頭の天辺から爪先まで満ち満ちる感覚に翔一は震え、総身が発光し、そして――全身が変形を始めた!

「え? えエ!? なんで?!」

 と予想外の展開に頓狂な声が出る。いや、展開してるのは予想じゃない。翔一の身体のほうだ。それこそ頭の天辺から爪先まで、薄く平たく伸びに伸びて、伸びたかと思えば前に向かって丸まり始めたのだから。

 そしてその丸まり始めた翔一の身体の前に毅然とした後ろ姿をさらすは、これまた全身を光に包まれたミル。彼女の頭部に、腕部に、胴部に、腰回りに、太ももから爪先まで。翔一が、翔一の意志など関係なく覆っていく。

 そして翔一が吼える!

「オレが装甲かよ!!」

 シークエンスの最後に彼女の厚ぼったい手、その指先に沿うように翔一の手が重なり、彼と彼女の変身は完了した。

「よし! 片付けましょう!」

 ミルは手を音高く打ち鳴らすと、顕獣人目がけて疾走する。

「速い!」

 と翔一が驚嘆の声を漏らす間もなく間合いが詰まる。そしてミルは怒涛の勢いそのままに、右ストレートを繰り出した。

 敵はこちらの変身に警戒して、イリューシュのほうと両にらみで半身の姿勢を取っていた。ゆえに体をそらして避けるかと思いきや、なんと唸り声と両腕を上げてミルに襲いかかって来るではないか!

「やべぇ!」

 このまま打ち合えば、リーチの差で奴の硬い拳がミルの頭部、いや翔一の頭部にジャストミートしそうだ。思わず腕でかばおうとし力を入れた翔一は、次の瞬間鈍い打撃音を右の耳で聞いた。続いてミルの右拳が相手の顎にヒットする。

「い、痛てて……って、なんじゃこりゃあ!?」

 眼がなぜか右にスライドして、自分の現状を確認できた翔一はまた仰天した。赤色に装甲化した彼の右上腕から骨が飛び出していたのだ。肩を起点に、ちょうど頭部を守るところまで起き上がっている。

「丸目崎さん、ナイスです!」

「え? ああ、いやいや」

 褒められて謙遜しながら腕を動かしてみると、腕の骨は彼の意志に従い、装甲表面にできたスリットから中に潜った。

(俺の意志で骨を出し入れ自由なのか……ていうか、骨直撃なのに痛みがこの程度って、かなり硬化してるんだな。いいんだか悪いんだか……)

 翔一とミルのやり取りの間に、たたらを踏んで後退していた顕獣人は体勢を立て直していた。かわしてばかりのイリューシュではなく、こちらを主敵と認識したらしい。濁った目を見開いたまま、雄叫びを上げて突進してきた。

(うは、闇夜で出会ったらチビるな、これ)

 と翔一がお気楽な感想を抱く間もあらばこそ、ミルはサイドステップで敵の猛進を紙一重でいなし、お返しとばかりに左フックを繰り出す。

 ミルにかわされて動きの止まっていた顕獣人の耳の辺りにヒットして、ぐらついた敵に今度は右フック!

「あ、遠い――」

 確かに拳は空を切ったが、今度は手首を起点に装甲から飛び出した腕の骨が顕獣人の横っ面に命中!

 だが、汚い悲鳴を上げて及び腰になった敵に追い討ちをかけようとして、敵がむやみに振り回した腕が脇腹に当たってしまった。今度はこちらが後ずさりする番だ。

「ぐ! 大丈夫か、ミルさん!」

「く……だ、大丈夫、です。慣れてますから」

(あー痛ってぇ……やっぱ腹んところは装甲が薄いというか、痛覚が集まってるのか)

 ミルが気合を入れなおして、もう一度敵に挑みかかる。細かいステップで顕獣人の殴打をかわし、ジャブで距離を測って右ストレートと見せかけてボディーに痛打を突き刺した。

 嘔吐物を撒き散らしながら海老のように体を曲げる顕獣人を見据えて、ミルが叫ぶ!

「翔一さん! わたしが今から言う言葉を一緒に言ってください!」

「! わかった! 何て言えばいい?」

「インフィニィ・プラーツェ、です!」

「分かった! つか、なんの呪文なの? 今度は」

 翔一の疑問を置き去りにして、ミルが駆け出す。顕獣人が逃走を開始していたのだ。だが、

「おいおい、わたしの存在を忘れたのか?」

 とイリューシュが双剣を構えてそれを妨害する。

 顕獣人は、もう一度気力を振り絞ってイリューシュの妨害を跳ね飛ばし、遁走すべきだった。もはや戦意を失ったかのように左に逃れようとして足がもつれ、ふらつく敵にミルがとどめを刺すべく右拳を引き付ける!

「いきますよ!」

「おう!」

「インフィニィ・プラーツェ!!」

 そろっての詠唱が成功し、ミルが力強く繰り出した拳が赤い光に包まれる。まるで業火のようなエフェクトを撒き散らしながら拳は顕獣人の正中線に命中した! 四散した硬い皮膚の中から全裸の男性が吹き飛んでいく。

 イリューシュがグッと拳を握る。

 翔一もガッツポーズ。上腕と手の骨を露出させて、骨だけで。

 ミルは抜け殻に近づくと、鈍く光る人差し指くらいのサイズの棒状の物体を拾い上げた。拾い辛そうにしているのは、顔を背けているからで、

「どうしたの?」

「あ、いえ……あ、あのー、丸目崎さん?」

「どうした? ミル」と近寄ってきたイリューシュも怪訝そう。

「あの、この『くんかくんか』っていう音は、丸目崎さんが出してるんですよね?」

「うん」

「何してるんですか?」

「いや、だってさ」と翔一は悪びれずに答えた。

「戦ってる時はいっぱいいっぱいで気付かなかったけど、ミルさん、いい匂いがするなぁ、と」

 ミルは震え始めた。そのせいか、声にも震えが混じる。

「ああああのっ! それから、その……」

「どしたの?」

「……お尻に、何か硬いものが当たってるんですけど……」

「ああ」と翔一は、またも躊躇しない。

「ミルさん、どこもかしこもふかふかだから、男としてはそりゃもう」

 それを聞いたミルの震えが、止まった。

「あれ? ミルさん?」

「キ――」

「キ?」

「キャァァァァァァァァァ!!!」


3.


「丸目崎君、そのほっぺた、どうしたの?」

「……ちょっと昨日の晩、しくじりまして」

 初戦闘の翌日、翔一は左の頬に大きめのガーゼをサージカルテープで止めて、出勤していた。

 少なくとも嘘は言っていない。ミルに絶叫された後、即行で変身を解除されて、くるりと向き直った彼女から平手打ちを食らったのだ。その勢いで吹き飛んで頭を路面で打って以降の記憶がない。気が付いた時はもう、自宅のベッドで寝ていたのだから。

 あれは夢などではない証拠に、左頬には平手打ちの跡がくっきりと残り、しかたなく出勤途中でガーゼとテープを買い求め、その店の洗面所で処置してきたという成り行きだった。

 この頬のことを聞かれたのは、翔一の目の前に座る課長で10人目だ。もちろんヒラ職員が課長席と向かい合わせなはずがない。いつもの事務処理をしていたら、課長と課長補佐に呼ばれて、課長席の横に設置された応接セットに3人で座っているというわけである。

「あの、それで、何かご用でしょうか?」

「ああ、うん」

 課長はソファに座り直すと、翔一のほうをまっすぐ見ながら告げた。

「キミ、異動だから」

「――は?」

 青天の霹靂に、翔一の首は知らず前に突き出される。

「どこの課へですか? ていうか、なんでですか?」

 この組織では、ヒラ職員はおおむね5年は同じ課に配属されるのが慣例である。慣例ゆえ、例外は存在する。だがそれは、よほどの事情がない限りありえない。来たる4月でも在籍マル3年にしかならない翔一が異動するための"例外"とは、いったい。

「向こうの課から、どうしてもキミが欲しいと言われたからね。がんばって職務に邁進してくれよ」

 そう言いたれる課長補佐のにやけ顔がむかつく。

「向こう、ってどこなんですか?」

 翔一の当然の疑問に、課長と課長補佐は顔を見合わせて、にやりとした。

「なんでもやる課だよ」

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