ただいま、戻って参りました。 その二




「お養父とうさ~ん、お帰りなさい!」


 戸口にいる私に気付いたセンが、操作制御器コントローラー珈琲卓コーヒーテーブルに置いた途端、私に向かって来た。


 私を〝おとうさん〟と呼ぶのは、旋が全力で甘えたい時だ。私も、迎え入れるために両腕を広げる。


 しかし、善いのか? 世界の誰かと共闘しているはずなのでは。


 私の思惑など消し飛ばすように、旋の抱擁の挨拶マノゥンに包まれる。ついで、両頬付けでの挨拶レヴェーエ。合わせて、ルブーレン様式の歓待の挨拶マヌレヴェーエ


 兄弟の中では、旋が真っ先に飛び付いて来る。その様子は遊び足りない猟犬の子のようだが、血統書付きの優美な猫にも想える。

 ゲーネファーラの本邸マナーハウスで留守番をしている、シバーシュ=ペンテネル種のスサみたいだ。


 焦香色こがれこういろが混じる黒髪が、砂時計のような音を立てて、私の腕の内で揺れた。普段は整髪剤ワックスで、側頭部分の髪を後ろへをで付けているから、こんな風に味わえない。


 善かった。私も入浴後の上、乾燥洗濯ドライクリーニング済みの帰宅用スーツ姿で。


「ただいま、旋」


 芳香に包まれた旋の髪を手でくと、つられたのか小さな顔を上げ、大粒の金色と視線が合う。

 いつまでも抱き付いて来るから〝おしまい〟も込めて、梳いた手を旋の肩に乗せ引き離す。


 この時の次男坊は、とても不服そうだ。私が意地悪をしている気分になる。


 それはそうと。服装は、どうかな。


 淡い茶色の寛ぎ用の装いラウンジジャケットは脱いでいるが、トラウザーズパンツと同色のウエストスーツベストを着用。一番下の飾りボタンは外しているな。


 学生やリュリオン人なら仕方ないが、古式ゆかしいゲーネファーラ邸で身を置く以上、シャツ一枚で過ごす事など許しがたい所業だ。


 最近では簡略化も進み、上流階級でもシャツ一枚でまかり通るようだが、上着ジャケットなしは、上半身が裸の状態に等しい。伝統が合理化によって淘汰される時流は、本当に嘆かわしい事だ。


 私だけが気になるのかもしれない。タイに結び目の下に作る雫型の窪みディンブルもあるので満足した。


 言い出せば尽きないが、細かい事を言っても煙たがられるだけだからな。


 ん?


 濃い青の三つ揃いスリーピースを、ルブーレン様式通り隙なく着用するリツが、我々と少し間を置き立っている。


 気付いて欲しそうに、水色の視線を私に注いでいる。耐えて待つ豆柴のような三男坊。


「ただいま、律」


 私がマヌレヴェーエを誘うように両腕を広げると、律は遠慮がちに近寄る。が、割りと力一杯ちからいっぱい抱き付いて来た。


 傍目はためがあっても、自己主張をしてくれるようになったな、律は。


「ロゼル、お帰りなさい。無事に帰って来てくれて、本当に嬉しい」


 旋も含め姿退中等科へ通わせているが、律の強い希望で本職黒ノ群狼に即対応出来るよう、専用通信機を入れたままだからな。

 管制塔カンセイトウから情報を引き出せるし、無線放送よろしく、が耳から入る。


 心配性の律の態度も判らなくはないが、もう少し信用してくれないだろうか。


「無事は、いつも通りだろう? そこまで不安に感じる必要など」


「ロゼルが死んだら、俺も死ぬ」


 何を言っちゃってるの、この子!


 いけない。知己ちきつかうような、御行儀が悪い言葉を浮かべてしまった。


 違う違う違う。何故、そんな話しになるんだ。普段から表層意志領域で考えていそうな事だが、声に出す律でなはい。


 もしや、ヒトで言う所の心理面も後退するのか? 以前、九央で過ごした頃、律を幼児姿に改変した事があるが、かなり感情的な言動だった。


 これは興味深いが、それはそれとして。


「ほら、次はカイだぞ」


 律の、絹布けんぷに似た手触りの黒髪を整えてやり、最後になった廻に場所を空けさせる。


「俺は結構です。お帰りなさいませ、


 衿穴フラワーホールに右手を添えて一礼する。マヌレヴェーエを拒否する仕草。善い度胸ではないか。


「ただいま、廻」


 仕方ないから、この場で挨拶を伝える。


 この長男坊の姿。指示があるまで待機を貫き、自発的に任じられた役割を果たす、大型の軍用犬のロットワイラーみたいだ。


 アーレイン=グロリネスの場合と大違いだな廻は。迷わず飛び付くだろうに。


 少し寂しいぞ。廻の髪にも触れたかったのに。黒髪とは言うが、ヒトの場合はとても濃い茶色に相当する。正確には黒ではない。


 廻や律は、自然界の生物にもあるような黒と言える。当然だが、旋も触れ心地も抜群だ。


 近頃は、都長ツナガヨータの綿菓子コットンキャンディのような軽さとつやも気に入っている。


 とは言うものの本来、狙っているのは在純アリスマ青一郎セイイチロウだ。


 しかしなぁ。都長のように、勢いで触れられる相手ではないんだよな。


 あの手合いが、最も対応に苦慮する。既に手の内にあるとは言え、籠絡までには時間を要するだろう。


 在純青一郎は一見いっけんすると人当たりも愛想あいそも善いが、一重ひとえ八重やえ規制線きせいせんを張っている。


 在純青一郎が最も信頼を置き気遣きづかっているのは、いつも行動を共にしている親戚筋の柊扇シュウオウ昂ノ介コウノスケと、火関ホゼキ礼衣レイの二名だけ。


 それだけではない。在純青一郎は間違いなく、リュリオンで最も強大な巫覡ミカンナキだ。


 巫覡ミカンナキは、必ず境界キョウカイを護っている。


 私も、境界キョウカイを護る者だ。だからこそ相手が巫覡ミカンナキだと判る。


 平穏は、それぞれにあって当然だ。


 定住して育み、安堵あんどを得る生活を営む者がいる。流れてかり取り、剣呑けんのんの中でしかせい見出みいだせない者がいる。


 は、その境界キョウカイ一重ひとえ八重やえと敷き続ける必要がある。


 日々の日常が、どれ程に尊いのか。与えられた役割を、真面目に一生懸命果たしてくれるからこそ、起こり得る奇跡だと言う事を理解しようともしないがいる。


 は、火種を撒き散らし安全圏内で見物している。ならば私が、刈り取ってに突き返すだけだ。


 私の背後にあるものを、マルーレード商団連中に、吐息の一つすら触れさせるものか。


 いつもいつも私に不快な開かない鍵デッドロックを与えて来る。人界こちら側の世界で言う所の盤根錯節ばんこんさくせつに相当するのだろうな。


 そうだとしても、私には不退転ふたいてんしか残されていない。


 私は、げなければならない。


「ロゼル、怖い顔をしないでおくれ。私にも、お帰りの挨拶をさせてくれないかね」


 実は気付いておりました、伯爵。考え事をしている最中にあって、ずっと両手を広げて待機していらした事を。


「失礼致しました、伯爵。ただいま、戻って参りました」


 変わらずの位置で、帰還の報告をする部下と想われても仕方がない一礼を捧げる。


 一礼を解き、再び伯爵を視界に入れると、老練の美しい御尊顔が泣きそうになっていらしたので、吹き出しそうになった。


 そこまで? そこまでの価値、私にはないと想うのだが。う~む。


 伯爵も気になっていたが、もっと気になる物がある。画面モニターだ。通路を歩いている頃から気になっていた。


 聞き覚えのある声で、悲鳴が聞こえる。今まさに、負傷しいびつな拘束具に四肢を繋がれている、血塗れの女性操作自機キャラクター


 これ、プリムに酷似していると感じるのは、私だけか?


「あ~、気付いた? 操作自機キャラクター、プリムちゃんにソックリでしょう! この電子映像操作遊戯ビデオゲームって、かなり細部まで作り込めるんだよ。だから、プリムちゃんに」


「あら、わたくしがどうかなさいまして?」


 私の視線に気付いた旋が、画面モニターを説明するために戸口に背を向けていた。


 伯爵と廻が、歴史的価値がある調度品と一体化しようと試みる気配がする。


 律が、回線を引き抜き画面モニターから証拠を一掃した。


「ねぇ、。報告義務を果たしてくださらないかしら」


 よりによって、私を御指名!? 振り返りたくない。これ、確実に無事では済まされないだろう?


 不退転。ここで、適用されないようにするためには、誰に祈るべきなのだろうか。





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