ただいま、戻って参りました。 その三




 現場に入れば、単独行動を任される。後方支援は、皆無かいむに等しい。だとして。今日こんにち、私が存在し得る理由は唯一ただひとつ。


 背にかばい、手に取った大切な家族がいてくださる。こんな私を受け容れ、支えて戴けるからだ。


 しかし、現在。


 私は、孤立無援を味わっている。


 伯爵とカイは、グラーエンが用意した特別機の定刻だと言い立ち去った。


 センリツは、中間考査を控えているからと部屋を出た。


 私を案内してくれたテレーズ、プリムに付いていた使用人は、うに辞している。


 寝るためだけに帰宅し、自室にいる私に逃げ場はなかった。


「エレアノール=ロゼル=ロートレーグ。どんな教育をなさっているのかしら」


 どう、しよう。怖い。物凄く怖い。


 その前に、ロゼルの正確な氏名フルネームを言わなくても善いじゃないか。恐怖が割り増しになるから止めて欲しい。


「基本的な所は、アーレイン=グロリネスだし、私は戦闘訓練を」


「今。この、リュリオンにおいて。によって、八住ヤズマ様を保護していらっしゃるのは、どちら様だったかしら」


「その、私です」


「ですわよね?」


 威圧が凄いな本当に。ゆるされるなら、窓を破って逃げ出したい。


「ロゼルの御役目が、どれ程に過酷で尊いのか。わたくしは存じ上げているつもりです」


 また説教か。何故なんだよ、本当に。


 私は立場も名前も体格も違うのに、これ程までに懇々こんこんと説教を食らうんだ? これでハジメさんが現れたら大変な事になるぞ。


 この時ばかりは、ヒトの身の上ではない事に感謝する。こんな状況下など耐えられない。血色を失い、触れ伏して震え、穴と言う穴を解放する事になるだろう。


 顔色も変えず、表情に動揺も浮かべない。四肢を不動にし、無礼のない程度を保ち真摯しんしに向き合えるのはだからこその特権だ。


「引き続き、警護対象に当てて下さる恩情は心から感謝しています。わたくしにとって、伯父様にとってもロゼルは大切な家族も同然ですが、見過ごせない事もありますのよ」


 ビュスコー=ジット銘柄ブランド、黒いサテンクレープの夜会服イブニングドレスと装飾一式。ヴァロノエーク銘柄ブランドの金の靴。


 善いな、女性は。朝も夜も、夏も冬も服飾は輝いている。羨ましい。私が履いても到底似合わない。


「ロゼル? 聞いていらっしゃるの?」


「はい、勿論もちろんです」


 まずい、怖くて敬語になってしまった。それに、プリムの服飾についての感想を察知されしまっては、彤十琅トウジュウロウ様が渾身こんしんの作を何十足と造ってしまわれる。


 落ち着こう。集中しろ、私。


 そうだ、祈ろう。この場を切り抜けるためには、祈るしかない!


 曲がりなりにも私は、太神オオカミつかえる巫覡ミカンナキだ。その上、ゼランシダルのセゼン神教にも籍を残す永世の大神官エイセイノダイシンカンでもある。


 加護は満載だ。見放される訳がない。


 問題は、どちらに願おうか。


 うん、セゼン神にしよう。


「教育現場は、変わり始めたばかりだと聞きます。そうは言いましても、一朝一夕で激変するはずがありません。日々、積み重ねと研鑽けんさんが必要なのです。その上で」


 来た、着信だ!


 陽の主たるセゼンの御神よ、魂からの親愛と感謝を捧げます。祈りの所作を添えられませんが、どうか赦したまえ。


「プリム、済まない。着信が入ったから出ても善いかな」


 プリムは無言で、イブニンググローブに包まれた綺麗な手をを差し出し、了承の仕草で伝える。

 嬉々とした雰囲気を抑圧するのは大変だが、平静をよそおう事には慣れている。


 馬乗りセンターベントから、いつものケータイを取り出して、と。


 二つ折り状態の小窓ディスプレイに表示されている相手は。


 変質者シグナじゃないか!


 これ以上、プリムを刺激する勇気も気力も残っていないのに。対応など出来る訳がない。


 祈る相手を間違えたのか!? 何だよこれ、罰か。罰でも受けている最中なのか?


 そうか、考えてみれば、モルヤンには太神オオカミの大社があったよな。だが、ではないのだから、鎮守ちんじゅ末社まっしゃと言えなくもないだろう。


「あら、いかがなさったの? ロゼルへの着信コールは、重要案件でしょう?」


「相手を確認したから大丈夫だよ。管制塔カンセイトウからの催促もない」


 言いながら、私は黒の群狼ミスクリージ専用の通信機器を入れている、右耳を差し指で示した。


「遠慮なんて、なさらないで。さあ、掛け直して下さいな」


 普段なら妖艶ようえんに映えるのだろうが、獲物を前に昂揚する捕食者のように見えて仕方がない。

 もしも私がヒトの子ならば、寿命が縮む程の微笑みを浮かべないで欲しい。

 

 二重の大祭フタエノオオマツリの次くらいの恐怖と緊張感じゃないか。何なんだよ、この仕打ち。


「もしかして、長官様かしら」


 魔女、いいや。女性の勘は怖ろしい。


わたくし、何と呼ばれているか御存知でしょう?」


 表層を読まないでくれよ。管制塔三等官ヴァイレルドではあるまいし。


「判ったから、もう勘弁してくれ。普段ですら、シグナと話しをしていると殺気立つのに。おのれ自身で、火に油を注いで退路を断ちたくない」


「あら、まるでわたくしが嫉妬に狂っているような言い方ですわね。お忘れになられて? わたくし、夫がおりますのよ」


 距離が空いていると、匂わない薔薇の芳香が強くなる。女性の中では、背が高いプリム。ヒールも手伝い、顔の位置も詰まる。

 努力を重ねた、女性らしい線、弾力を持つ四肢を寄せて来た。


「姫君、言動が合っていないぞ」


瑣末さまつな事です」


 上質なイブニンググローブに包まれた腕が、私の首や背に回される。耐えられるかな。変な声が出そう。


わたくし、一つだけ長官の長所を見出みいだしましたの」


 蛇蝎だかつの如く嫌っているのに。その辺りの表現は、上流階級を想わせる。シグナとプリムは似た者同士だからな。余計に反発しているようだが、たまに歯車が噛み合うように相乗する。


 結局、仲良しだと想うんだよな。

 

 などと考えてながら、私はプリムから少し顔を反らす。貴夫人に対して無礼千万だが、何かのはずみで初夏の新色に彩られる唇と、口付けしそうな位置になっている。


 ジルに刺されるのは御免だ。プリムも、私の動きを特に非難しない。


虫除むしよけです。ロゼルの心や身体を狙う不埒ふらちな輩が寄り付かないのは、あの長官様がロゼルのそばを離れないからですわ」


「狙うって、気持ち悪いな」


籠絡ろうらくの怖ろしさを知らない権力者など、いらっしゃらなくてよ」


 確かに、欲望にちてふけるのは、ヒトの子だけの話しに止まらない。


 〝姿なき沈黙の市場・マルーレード商団〟のように、でありながら浸潤しんじゅんし、ヒトの子を取り込み、我欲を満たし続けている。


 気付いた頃には、ヒトの子の手に余る災禍さいかが世界に刻まれる。二度と、元には戻らない。


 我々は抵抗するため、何度も商団連中の末端と衝突した。洒落では済まされない危機もあった。


 背後を支え切れない可能性に、呑まれそうになった事もある。


 その時、私の左側で支えてくれたのは――


「ロゼル?」


「ん?」


「気を悪くなさって?」


 翡翠色ひすいいろの瞳が、私への気遣いに揺れている様が、一室の淡い間接照明に浮かび上がる。


 考え事、読まれたかな。


顔になっていましたわよ」


 下品な顔になっていたわよ。


 プリムは遠回しに、そう言っている。育ちが善いと、相手を非難する直接的な表現をしないものだ。予想外のプリムの一言に、私は反らした顔の位置を元に戻す。


 絶妙な間合いで、プリムの唇も魅惑的な肢体も離れていた。


「冗談よ。とてもなまめかしい表情でしたわ」


 そう言われると、見透かされた羞恥で顔が火照る。私には血も涙もないが、赤面だけはする。


 これも、初恋の君に調教されたせいだ。


「誰を思い浮かべたのかしら。白状してもらいますわよ」


 言いながら、プリムは白を基調としたシシュトーブ王朝中期の特徴を持つ椅子に、見る者を引き寄せる腰を下ろした。


「それと、お小言はまだ終わってなくてよ」


 罪なき悪戯いたずらを想い付いた少女のような笑みを浮かべ、プリムは私に向かい側の席を勧める。


 八住兄弟が持ち込んだダイニング一式がうらめしくなる。


 諦めるしかない。判断した私は、上着ジャケットぼたんを外す。席に着くためではなく、肩や背中がき出しのホルターネック型ドレス姿のプリムに羽織はおってもらうためだ。


有難ありがとう、ロゼル」


 プリムの素直な礼を受け、私は向かい側の席に着く。


たのしい夜になりそうね」


 長い夜になりそうだ。


 プリムは声に、私は喉の奥で発した言葉は、ほぼ同時。英傑を生み出した、古い血統の主を表すような荘厳な空間にはやがて、積もる話しが尽きる事なく私達を繋いでくれる。


 一室をへだて、静寂しじまに染まる夜は、先に起きるであろう喧騒の萌芽をも閉じ込めているようだった。









   【 白の遣い手シロノツカイテ ~君達と華咲くえにし・春~ 幕切れ 】





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