第六十六節 公と、私と。士紅の場合。 その三




 商社のようなかたさもないためか。動きやすい、初夏の社会人姿の運動競技出版社の記者・日重ヒオとルーフスが、やや足早に距離を詰める様子が見えた。


「やあ、ゴメンゴメン。待たせちゃって」


 早過ぎる準決勝・決勝戦の終了時間。


 交通渋滞に巻き込まれた日重の事情が合ってしまい、少々彼らは取材待ちを体験していた。

 二度目の顔合わせだが、初見での印象、何よりも顧問・監督の深歳ミトセが信頼を置く日重達に、選抜組の態度は軟化なんかを示している。


 軽い質疑応答と、賑やかな記念撮影が済んだ頃合。礼衣レイが日重に尋ねたのは、中学生男子硬式庭球界の絶対王者・連堂レンドウ中等部の仕上がり具合だ。


「残念ながら付け入る隙がないね。不自然なくらい」


「……妙な言い方ですね」


「数年前からたまに感じるんだが、だまし絵を見せられている感じ。確かに上手くて強いんだ。でも、ちゃんとしているのが至極数名。それと、気を付けて欲しい選手が一名。四年生の、フレンヴェイリ=ハーネヴェリア。ついに〝壊し屋〟の通り名が付いてしまった、パワープレイヤーだ」


 日重は、肩掛け鞄から紙の束を引き出し、付箋ふせんを目当てにめくり上げた。すぐさま彼らに向け、顔写真入りの資料を見せる。


 寄って集まる、視界に入った対象。証明写真だと言うのに、顎を上げて見下みくだした格好。ルブーレン人の特徴を持つ、茶髪碧眼ちゃぱつへきがんの少年が収められている。

 目を合わせる相手を小馬鹿にする表情をしているが、メディンサリとは、また異なる方面の貴族然とした顔立ちだった。


 顔写真の正体を知る深歳は、厄介者を見るような形に眉をひそめる。ついで、日重の言葉を拾ってくちに出した。


「彼は、連堂中等部に流れ着いた訳ですか。ご想像の通り問題がある生徒ですが、家名もあって下にも置けない。何とか、体面だけは保ちたいんでしょうね。公立ではありますが、ゲーネファーラの一統いっとうが、強大な影響力を持っていますからね。そこが、最後のとりでのつもりなのでしょう」


「社交界でも有名ですけどね。この人」


「は~ぁ。確かにのぅ」


 既に、大人社会に引きずられるメディンサリと千丸ユキマルは、隠しもせずと毒を吐き出す。


 それをたんとして、少年達が口々くちぐちに情報交換の輪を広げ始めた。


 その中にあって。士紅シグレは仲間の声を背景に、気を休めている様子だ。


 そんな士紅が視界のすみに入れたのは、昂ノ介コウノスケが少し間を置いた場所から手招きする合図。疑問も投じる事なく、迷わず士紅は従った。


青一郎セイイチロウの意をんで形式上、丹布ニフに伝えておく事がある」


「待ってくれ」


「どうした」


「この流れ、もしかして説教が始まるのか?」


 つい近い時間に味わったばかりの気配に、士紅は拒絶反応を起こした。


「そのつもりだ。お前の事情に立ち入るつもりはないが、同級生に、サボっていて何故に注意をしないのか問われる事がある。既成事実のため、厳重注意を掛けなければならない」


「真面目過ぎるだろう。そんな必要は」


「そこだ」


「ど、どこだよ」


「こちらは、至って真面目に丹布と向き合っているつもりだ。先程の話し通り、言いたくない事も多々あるだろう。その中で、学校生活とは」


 滔々とうとうと流れ始めた昂ノ介の言葉の連鎖は、士紅が止めに入る隙も得られないまま。その勢いをぐ機会をも失ったらしい。


 士紅は、何とかくちはさむなり、昂ノ介を止めようと、果敢にも言動に移そうとする。

 結果は、にらみ返され語気も強く「黙って聞け!」と圧で伏せて来るばかり。


 士紅は早々に、戦わず、抗わず、諦めたようだ。


 士紅は整い過ぎる容貌ようぼうに、仲間も見慣れてしまった無表情で決め込む。昂ノ介の滾々こんこんき立つ説教を、切々せつせつと聞き入れているように見える。


「おかしい。何故に私は、立場も名前も体格も違うのに、これ程までに懇々こんこんと説教を食らうんだ? これでハジメさんが現れたら大変な事になるぞ」と。


 そこでは、やはり気取られる事のない淵玄えんげんで、こぼさずにはいられなかった、と思われた。


 士紅は、ヒトの子ではない。


 世界の境界キョウカイを越えた。あるいは、境界キョウカイの作用によって、生命のカラから乖離かいりしてしまった形骸ケイガイとも揶揄やゆされる。


 とは言え、その存在が伏せられているのかと問われるなら、〝イナ〟だった。


 ヒトの子でありながら領分を超越し、の存在に触れ得る者もいる。禁忌士紅達る者は畏怖いふを込め、次のように呼称する。


 〝天貴人アマツアテヒト〟あるいは〝逸脱者イツダツシャ〟と。


 例えば、天貴人アマツアテヒトに与えられ、名乗れるメイただひとつ。


 例えば、天貴人アマツアテヒトに与えられた形容けいようは不変。


 士紅は、優しくも凄惨な常識によって、堅固に護られた箱庭の内に存在する。相手を都合だけで厳選し、見合う情報と言う名の割り符を与え、あるいは提示し続ける。


 〝丹布ニフ士紅シグレ〟と〝ロゼル〟をつかい分け、保身と保安を張り巡らせている。


 それは、蜘蛛の糸よりも細く、える事のない舞台で、偽りを演じ続けるあわれな三文役者の姿に等しかった。


 士紅が負う、事情の総てを把握する存在は〝〟と〝〟のみ。


 〝彼女〟と〝彼〟より他に、る者が現れたのならば、世界の均衡きんこうを保つコトワリは大きく揺らぎ、あらぬ結末へといたらしめる。


 それを士紅は、り過ぎる程にわきまえていた。


「っふふふ」


 一つ、喉に息を留め小さく笑う癖がある、士紅の息が立つ。


「何が可笑おかしい」


 説教中、黙していた士紅が、小さく笑う様をいぶかしむ昂ノ介は、動かし足りない口元を結び、士紅の出方を見極めようとする。


有難ありがたいなと想った。貴重な時間をいて、憎まれ役を買ってくれるなんてさ。説教だろうと何だろうと、こんな風に構ってくれる内が、華だなと感動した」


「また、そうやって話しを折ろうとするな! 丹布、そもそも、お前はだな!」


 分かりやすい昂ノ介の照れ隠しと同時に、説教が再開した。端整な容貌に、表情がにじまないよう、士紅は懸命に耐えるようにも見受けられる。


 それは、場面に反して微笑ましい時間と空間を共有する、得難えがたい仲間達や顧問、偶然にも居合わせた記者達も同様だった。

 

 初夏を迎えつつある陽光は、まぶしさを増す。季節の巡りを迎え、移ろう事をゆるされた。


 彼らがせる願いは青嵐となり、優勝旗へ届くと確信しながら、一方をなだめ、また一方を救出し、囲んで破顔はがんする。


 それはまるで、日輪ヒノワの落とし子のように。





        【 次回・幕引きの挨拶 】

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