第六十二節 公と、私と。ロゼルの場合。 その一




 セツト区の東側境界と、西側にあるミリス島の間には、シラルエント島と呼ばれる中洲がある。


 セツト区とシラルエント島をへだてるフスク河を、二層式吊橋・斜張橋しゃちょうきょう併用のヴラッケイン橋で渡る。すると、大戦と公式経済圏コウシキケイザイケン参入をた現在、シユニと名の付く古くからの臨海商業区がある。


 厳格に整備された格子状こうしじょうの幹線道路に地下鐵道チカテツドウ、ミリス島の空路へと繋ぐ対戦時から維持される、二層式吊橋・海門カイモン橋。


 都市計画になぞられた美しい摩天楼群は、さながら天へ還ろうと競うように腕を伸ばす姿。しなやかな肢体と、着飾る宝石に彩られた女神の群れにも見える。


 誘致された有名飲食店舗に、夜景を見据えた高級宿泊所。植物園を思わせる公園。遊興施設がない分、商業人による、商業人の為の、商業人のすいが整備されていた。


 わずらわしい交通渋滞も起きにくいシユニ区に、グランツァーク財団・モルヤン本社屋が、社員専用の福利厚生施設や託児所を含めた教育機関を抱え、堂々たる敷地と高さを誇りそびえ立つ。


 本社屋の三六階は、七階層を貫く流水階段の終着階層にあたる。その圧巻の眺めは一般にも解放されていた。グランツァーク職員に混じり、軽食店舗や休憩所、商談場所として重宝される区画の一つだ。


「会食はどうしたんだよ」


 その三六階に点在する観葉植物へ、追肥用の液体肥料の面倒を見ている者がいた。白い帽子に白い作業着姿の長身の青年に、黒の頭巾、黒の長衣姿の、これまた長身の青年が語り掛ける。


「商談も煮詰まらぬ食事よりも、自社屋を清潔に保つ作業に勤しむ方が、余程有意義だ。そのような事よりも」


 白い青年はおもむろに、目深に伏していた白の帽子と、作業用とは想えない光沢のある白の手袋を脱いだ。黒装束の青年との距離を、優美な歩調で詰める。


「よくぞ無事、戻って来てくれた。有難ありがとう。ロゼル」


 あらわになる極上のかんばせには、見せる者を限定する微笑ほほえみが浮かぶ。生きた銀色の滝をゆるく三つ編み、左側から前に流している。


 白い青年が持つ、苦労知らずに見えるだけの極上な線を宿す長い指。その白皙はくせきの手が、黒の青年の頭部を覆う厚地の頭巾に差し入れられ、背後に流れる。


 そこには、眉を隠す程に深く巻くくれない八塩やしお色の布。


 双眸そうぼう似紅色にせべにいろ。鼻先まで掛かる、量の多い髪は岩群青いわぐんじょう。壮絶とも言える端整な容貌ようぼうあらわになる。


 その凄まじく整う薄い表情に、白の青年の手は掛かったまま。唯一無二、最愛の相手に触れ続け、白の青年の極上の口元くちもとが、吐息といきが触れんばかりに近寄る。


「ロゼル」


「何だよ、シグナ」


「突き立てる二本指を、収めてくれないだろうか。ロゼルの指で突かれては、私の眼も潰れてしまう」


「潰されるような事をしているからだろうが。離れろ。気持ち悪い」


 距離を取る気配がないと諦めたのか、黒装束の青年・ロゼルは自ら後退した。


「唯一の敬愛する我が主。無二の最愛なる我が親友に、この言われよう。底も限界もない思慕の深淵しんえんに堕ちようと私の愛はロゼル、君だけに注がれる」


 白い作業着姿の青年・シグナは、悲嘆に暮れる心情をうた上げるように相手へと注ぐ。


「先程のブローム・ナトス群島の事だが」


「ああ、〝管制塔カンセイトウ〟から聴き及んでいる。現地との折衝せっしょうは、グラーエン側で取り仕切る手筈だと。ロゼルは、了承済みなのか?」


「特に問題はない」


 元より無視を決め込んだ態度を崩さず、仕事の話しで切り返しをするロゼルに、いつもの事と割りとあっさり、シグナも流れに沿う。

 この二名に、伝説の会話手法〝ボケ・ツッコミ〟など求めるのは無謀だと言う証明のようだった。


 事後の確認も含め話しが調ととのうと、ある事を想い出した様子のシグナが付け加えた。


「君はな。野遊びではないのだから、試作品を紙袋に入れて出掛けるのは止めてくれ。仮にも、Mの三七五六四号・二三一なのだぞ」


が大丈夫だって言うから」


「真に受ける者があるか。大体だ、君はモルヤンに来て、どれだけ備品を壊せば気が済む? 地下練習場の壁も、何をすれば庭球の練習だけで穴が開く? 〝管制塔カンセイトウ〟もなげいていたぞ。君には途方もない稼ぎがあるとして、。財団が生み出す利益は、社員の潤沢じゅんたくに費やされるべきであり、我々上に立つ者が」


「シグナ、次の要件が控えているのだが」


 ロゼルの端整な無表情に、不満と不機嫌が織り交ぜられたような色が差す。


らぬ。その程度の口上こうじょうで、逃げられると想わない事だ。今に伝えずして、いつ伝える。ロゼル、そもそも君は」


 最凶最悪の集団の頂点を差す称号・アラーム=ラーアを持つロゼルは、時間の限りシグナから日頃の素行についての問題点と改善点の講釈を受ける光景が続く。その情景は、周囲の好奇の視線を集めに集めていた。


「シグナ。そろそろ、本当に時間が迫っているから、この辺りで勘弁かんべん


「四分十五秒ある。この間の補正予算では、君の過剰破壊行動に幾ら投じられたのか把握しているはずだろう。黒の群狼クロノグンロウの隊長が率先して、範疇はんちゅうを破るなど」


 ロゼルの表情は、元の無表情に戻っていた。そのまま、相変わらず微動だにしない。だが、誰にも気取られぬ思惑の淵玄えんげんで、つぶやいたように思われる。


「何故、私の周りは説教好きが多いのだろうか」と。


 〝不滅の狼フメツノオオカミ〟を背負い、視野も広く私情を挟まず任務を果たすロゼルだった。一転して〝巣〟に戻ってしまえば、おのれの行いは俯瞰的ふかんてきにはなれず、周囲に甘える傾向が強いようだ。





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