第六十三節 公と、私と。ロゼルの場合。 その二




 潮の匂いと、大洋から運ばれる無数の波が重なる音の中。途方に暮れた現地人の声が混じる。


「あんれまァ。隊長さんも、どえらい事さしなすったなやァ」


「こげな穴、どうすんだァ? 村長ムラオサ様ァ?」


 男達が見下ろしているのは、変わり果てた風景。一夜にして、犯罪拠点の牙城とも言える集落が消え去っていた。


 綺麗な境界は垂直に穿うがたれ、底も見えない大穴が下へ下へと見る者を引き寄せるかのようだ。海岸線までえぐられたらしく、海水が流入し地形まで変わってしまった。


 ここ、ブローム・ナトス群島の一角。夜が明けの明度が届きはじめ、水面や懸命に生きる開拓者が、南洋の鮮やかな鱗をはじく。


「こんな穴さ、ポッカリく音なんてェ、何にもしなかったなやァ?」


「んだッ、すねかったッ」


「やっぱァ、隊長さんのとこの技術ってな、すんげーもんだ」


「んだッ、すげーすげーッ」


「騒いで穴に落ちんなよ」


 陽の出と共に、近隣の離島から村長一行いっこうが、変わり果てた風景を視察する背後から、なまりの少ない壮年の男が話し掛ける。


 一行と違い、組織に属する制服と階級章、古めかしい大型の猟銃を、たくましい肩に負っていた。


「おお、ドトルデア」


「でかい猫に喰われなくて良かったな」


「仕事は終わったけ?」


 などと、別れた間の情報交換が行われる。


 名前だけのブローム・ナトス群島の軍警察と言われるが、彼らは、たった一割残される土地に追いやられた、住民達の尊厳を守り抜くだけで手一杯だった。


 軍警察の備品を横流ししてまで、住民側の自警団の装備を固めさせたのは、非合法の餌に抱き込まれ、犯罪集団に傾く輩も多いからだ。


 食うや食われるかの軍警察組織の中でも、ドトルデア達は矜持きょうじにしがみ付く。


 限界まで受け続けた再生医療の数が、それを黙して物語る事を、一行いっこうは確実に知っている。


 ドトルデア達は、一行いっこうの誇りと希望そのものだった。


 そんなドトルデア達は、夜も明け切らない時間から、単独で暴れ散らした黒の群狼クロノグンロウの後始末に駆り出され、容疑者や被害者の捕縛や救助に当たっている。


 彼らは、一行いっこうと同じ島出身の軍属として、真っ先に編成部隊に歓喜と共に放り込まれた。

 旧交を温めるくらいの軍規のゆるさは、この際、見逃したい所だ。


 そこへ。


 衝撃波が高く抜ける乾いた音と、空に向け飛び立つ鳥の羽根音が重なる。


 談笑も寸断し、全員の心身に緊張が駆けたように反応を示す。嫌でも聞き慣れてしまった発砲音。


「残党か!?」


「いんや。銃声は一つだんべ。ありゃ獣除けの音じゃないけ?」


「誰か、襲われてるんだか」


 報復や残党対策として、村長一行いっこうは武装している。使い込まれた小銃や、野戦に適した銃器を手に触れ持つ。


 まだ安全装置は掛かり、薬室には弾は装填していない。


 彼らは見た目に反し、安全、銃口管理を徹底して教育されていた。それぞれの身構えは、臨戦態勢へと素早く移行可能な準備が整ったと誇示しているようだ。


「待ってくれ。連れからの通信が入った。妹が威嚇いかく発砲したんだと。餌も放り投げたとさ」


「あァ~、ムテナハが来たんだっぺや」


 同郷の馴染み相手とは言え、あっさり軍警察無線の内容を伝えてしまうのは問題だが、誰もとがめないのは最早もはやご愛嬌の域だった。


 気構えをきながら待っていると、知らせ通りの人影が真っ直ぐ一行いっこうの前に姿を現す。


「おっはよ~ございます! 村長様! 村役の方々! それと、兄ちゃん」


 似つかわしくない、消音器サプレッサー付きのショットガンを悠々と肩に担ぐ、群島出身が一目で分かる容貌の少女。

 年令が離れた、ドトルデアの妹でもあるムテナハが、元気良く挨拶を示す。


 年格好は高等教育を受ける辺りだが、その場所すら、ここ十余年、確保すら出来ずにいた。


 しかし、それも今日までと言わんばかりに、満面の笑顔で預かる手紙を村長に手渡し、たった今やり遂げた武勇伝を一行に披露していた。


 島にもよるが、犬科と猫科の大型肉食獣が生息しているものの、現地人は殺傷を目的としない。

 あくまでも、自衛の最終手段で発砲する。ないしは、あえて家畜肉を用意し、半ば餌付け気味に与えていた。


 現地人にとっては害獣でもあり、神聖な対象でもある。生態系の激変で固有種の乱獲も進んでしまい、保護種に指定されている理由もある。


 話しが弾む一行いっこうの雰囲気を、突然村長が指が欠ける手で、紫外線と苦労に満ちた生き様を引く、しわだらけの顔を覆い、号泣が上書きした。


 その様子に、一行いっこうは顔を見合わせながら成り行きを見守る。すると、村長は震える手で差し出した。読めと言わんばかりに。


 代表し、年長の助役が受け取り、皆に見えるよう、角度を付け手紙を開く。


「こりゃァ、村長様も我慢出来ねな」


「オレは、今でも、こらえ切れねッ」


いきな事するよな。隊長様も」


 言ったドトルデアも、南方特有の彫りの深さと肌の色が濃い顔が、一行いっこうと変わらず泣き顔になっていた。




 ●○●




 ブローム・ナトス群島は、観光資源や水産資源、海底資源の豊富さから、幾度も大国の支配に甘んじ続ける歴史があった。時々の支配国に言語をも奪われている。


 群島の名の通り、かつては島それぞれに風俗文化や言葉があり、織物の色彩や模様が組まれ、染め物一つでも特色があった。


 今となっては、死守していたはずの文化は時代の中で風化し、清潔と便利さだけが洗練された、近代都市へと人口は流出。


 挙げ句の果てに、違法を掲げた欲望の吹き溜まりは、追いやられた訳ありの外圏移民をも懐深く迎え入れ、肥大するだけの我欲の終着駅の一つと化した。


 およそ十年前。


 その流れを変えるべく、企業団体が出資し、資源開発と精製基地を整備した上、かつての採掘産業を復旧させ、犯罪ではなく労働雇用で厚生を図ろうとした。


 結果は、海風の侵食に沈黙する、敗残の巨棟群が物語っている。



 

 ●○●




 一行いっこうは皆、一様いちように涙を流していた。


 手紙は、かたくなに伝えて来た、村長達の出身島の文字。


 丁寧に手書きでつづられた、美しいララフ・エリィの文字が、時間と絶滅した存在以外を取り戻すための協力を惜しまないと、署名を添え明記されていた。


 島の人間以外には、読みも書きも出来ないはずの言葉は、外圏域の住民・ロゼルの直筆によってしたためられる事実に、尊厳を取り戻した思いに浸る姿にも見える。


 また、ロゼルが、島民に差し出した最大級の敬意は、崩れ去ろうとしていた存在意義を、魂を、奮い立たせる役割を買ったようだ。


「お天道てんとう様だァ。このお手紙は。見てみィ、今もいずる、お天道様だなやァ」


「こっからじゃ、見えねェけんどな」


「あたしは見える! 目を閉じていても、島や海の美しさァ焼き付いてるもの!」


「んだッ、見える見える!」


「お前ェは、さっきから、そればっかだなァ」


 涙をぬぐいながら、老いも若きも笑顔は明朗めいろう


 一行いっこうの目の前にある、広大に開けた正方形の風穴から上に抜ける空は、夜明けの階調かいちょうに染め上げていた。


 今日も一日中、晴れ間は続き気温も上がり、ブローム・ナトス群島らしい気候に包まれる気配を感じながら、いったん引き上げる話しが閉じられようとしていた。


「さ~ァ、忙しくなっぞ! 明日は早速、や〝八諸ヤトモロ財閥〟の奥方様がァいらっしゃる。粗末ながらも徹底的に掃除さして、精一杯のお持て成しの準備せねばな!」


 声の張りも出て来た村長の音頭は、一行いっこうときの声をいざなった。


 今度こそ諦めず、転換の好機を逃さず追い風に乗り、子供へ、孫へ連綿と繋がるブローム・ナトス群島の生きた証を刻み、蹂躙の歴史に終止符を打つために。





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