第六十一節 簡素な肩書きを名乗らせる相手は、極めて要注意なのだと言う典型的な事例。 その三
逃げた。
デディアハ=デテンは逃げ出した。
地上の土の匂いがする路面とは違い、近代的で平らな化学構造の頑強な床や照明に、駆け走る靴音が通路に乱反射する。
息も絶え絶え、例の口元は彼の唾液や吐瀉物で
金属と樹脂が小さく立てる音に、新たな音が不意に彼の前方で重なった。
解錠出来ていないはずの、脱出口の二重扉が上下左右に解放される。黒装束を
「ハッ、ハッヒョアアアアァアアァァァ!?」
デディアハ=デテンは胎内から出て、初めて息をした赤子のような決死さを形相に表す。同時に、呼吸を再開させた。
「一発芸なら、間に合っている」
黒い来訪者の冷静な一言に、彼はその場で腰を、生きる芯を砕かれた。着の身着のままの様相で床に座り込むしかなかった。
「どうして、オレやオレの居場所が分かるんだ」
「そんな事、既に承知済みだろうに。私には常に〝
「いいのかよ。そんな事を認めてよォ。アンタ達は、誰の目にも留まらない。名乗りもしない、最悪の集団のはずだ」
画面越しから、生身の対面を果たしたデディアハ=デテンは、黒装束の正体を知っている
「判っているのなら、そもそも偽者を名乗るなよ。それさえ止めておけば、長官の
「誰だよソレ」
「長官には心当たりがないのか。我々の飼い主を買って出てくれた者だよ」
黒装束は、抑揚のない声で事実を端的に説明する。
「私としては、偽物は歓迎なんだ。莫大な費用をかける事なく勝手に宣伝してくれるから助かる。しかも世代や経済圏を越えて、尾ひれまで付いて方々に拡散する。本当に有難いよ」
個性的な現場の意見が、黒装束によって述べられた。目の前にいる存在の真偽についての確認は相手側に委ね、当の黒装束達はただ役割を果たすのみと言わんばかりの口振りだ。
「それに正直、私はデディアハ=デテンのような存在は嫌いではないんだ。生活臭が立ち込める、旧世界の文明に付属する懐古を、生きたまま保存してくれる生き証人だからな。そこに在る生きた欲望は、とても素直で飾りのない原初の姿だ。一層の事、美しいとさえ想う」
一気に語られた言葉に、彼は意外性を見出したのか。残された気力で首を伸ばした。
黒装束の長身は靴底も足せば、五ピト(約、二メートル)を越えると思われた。
そこから見下ろされる表情は、整い過ぎる口元しか
歴戦の
「それかよ。オレが死ぬ理由ってのは」
「他にも色々ある。私の気も変わったし、人の欲望よりも自然の美しさを多くの人々に共有して欲しい。それを可能にし、存続してくれる相手も見付かった。要するに、選手交代だ。悪く想うな」
「そう、か」
「一番
『ならぬならぬ。越えてはならぬ。
「アーレイン=グロリネスの逆鱗に触れたのも、致命的だったな。もう諦めろ。悔いも何も、残していないだろうに」
黒だけかと思い込んでいた彼だが、最後に見えたのは、左上腕部の赤い部分。
怪我をしているのかと考えたが、慣れた匂いも滴りもない。赤い布を巻いているのだと知覚した頃には、黒装束の長身は彼を置き去り、彼が来た道へと戻って行く。
「殺さないのか?」そう、問い掛けようしたデディアハ=デテンの
傷を越え、更に裂け目は奥へ奥へと侵攻する。
声にならない声は、やがて気泡を含んだ空気が抜けるだけの音と化す。
今に味わい尽くした、快楽を越える何かが、残る感覚に疾走し、初めて悔いが届かない声となって湧き起こる。
「ああ、オレはあの時、
●○●
<通り過ぎてますって。六歩お戻りになって、右側の扉を開いてください。右ですぜ、右。緑色の扉です>
例の黒装束の長身は、右耳から発せられる指示のまま従い標的を確認する。
一見すると、豪奢なシシュトーヴ王朝時代の調度に囲まれる一室だが、四方八方を死角のない撮影機材にも囲まれている。
「これだよな」
<間違い御座いませぬ。回収指定・〇〇三号です>
最初に話をしていた相手とは、口調から異なる
「〝
<お急ぎくださいやしよ。隊長
元の発信者に戻り、上質を
「手の掛かる元先輩だな。シグナの話しを素直に聞き入れておけば、こんな」
<隊長、差し込み口から情報回収してくださいな。本日、お箸を持っていらした方向にありやすから>
「そこまで
少々不満を
「何が
<人様の心理と真理は、
「着いた所で、分かち合えるとは想えない」
再び参加する丁寧な口調に対し、声を立てて黒装束が応える。仮に、現場に第三者がいたならば、黒装束の
<回収は終了致しやした。御帰還までは、御用心召されますように>
「承知した。これより作戦の終了を見届けた後〝シユニ〟の巣へ帰投する」
<洗浄準備も整えて御座います。お待ち申し上げます>
二名との、通信らしき会話は終了したらしい。黒装束の長身は意を決した様子で、回収指定・〇〇三号を片手に抱え、
●○●
グランツァーク財団には、最凶最悪の私設武装強襲集団が設置されている。グランツァーク財団の利益に関わる総てを死守する
残虐非道な言動は噂だけが先行し、名称を聞くだけで戦慄する者。嫌悪感を
その頂点に立つ存在こそが、この黒装束の長身だった。
軽く〝隊長〟と呼ばれはするが、正式には〝グランツァーク財団御預かり清掃局私設武装強襲集団・
全社員を家族と位置付け、災厄の全面に立ち
その正体は、大物中の大物〝
もう一名、〝
一方、グラーエン財団にも特殊な領分で行動する編成が存在する。創設者の
その〝特殊行動局・分室班〟の中でも、グラーエン姓を名乗る事を許され活動する数名の〝
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