第六十節 簡素な肩書きを名乗らせる相手は、極めて要注意なのだと言う典型的な事例。 その二




 旧世代の不便さと、放つ臭気が理性の崩壊をうたい、欲望をほとばしらせる名もなき集落。


 屋外用の発電機が、あちらこちらで、けたたましい唸りを上げ、窓らしい窓もない木の板や錆が浮く、トタンが貼られる家屋。


 果ては、道と言わず場所も構わず、ヒトの皮を被る獣欲に溺れた肉塊達が、屋根や柱を渡る有電線に下がる、色とりどりの電球に照らされる。


 嬌声きょうせいとも怒号ともつかない肉声は、点在する情報画面や、音声拡張機と交錯し、ある意味において趣深さを漂わせていた。


 この場所に良識や倫理など存在しない。享楽きょうらくと好奇心のたがを外した望みを、提供する集団の拠点の一つ。

 簡潔に述べるならば、違法手段を資金源に手厚い庇護ひごを受ける犯罪集団、協力者、被害者の集落だ。


 モルヤンには、四大歓楽街が指定されている。


 歓楽街とは名ばかりで、自由と違法で満ちる危険地域。踏み込むのは勝手だが、そこで何があろうと、自己責任を堂々と押し付けられる、無法の都。


 ここ、ブローム・ナトス群島は、全体の九割を犯罪集団に蹂躙じゅうりんされ、法と秩序から見放された土地となって、早くも数十年が過ぎている。


 かつては、大小の島々が織り成す、風光明媚な観光地として、多くの高級保養地が整備され、人々の心身を癒していた。

 また、上質な珈琲コーヒー豆をはじめ、現地の特産物は人々を呼び寄せた。


 今は、ゆがむ欲望が、いびつな人々を、引き寄せて止まなかった。




 ●○●




「ガキは、大人しくなったのか」


「ええ、もうそりゃァ夢見心地でしょうよ。良い薬と、何人も相手にしたんですから」


 裸電球が照らす部屋には、見るからに上下関係が隔てる男二人が、確認と状況を交わし合う。


 少々彫りが深い顔。濃い肌の色は、蒸した夜の気温と湿度によって、皮脂と汗に濡れていた。

 粗末なソファーに腰を下ろし、厚い刃物を慣れた手付きでもてあそぶ男が、窓枠から外を見る。


「今日も、暑い夜になりそうだなァ、おい。御貴族様も、相当楽しんでるみてェだ。外の世界ってのは、本当に詰まらん事であふれているんだな」


 立つ男が、合わせるように薬物で染まる歯を見せながら下卑た笑いを撒くと、けっ放しのテレビから音が消えた。


 地方局番組の軽快な音楽が流れていただけに、二人の顔が画面に向く。


 彼らの視界に映った風景。どこか見覚えのある場所が、大量の赤で投げ塗られている場面。

 微妙な誤差に混乱している様子でいると、画面が赤から黒に切り替わる。


「やぁ。見ているか? デディアハ=デテン」


 黒い画面から音声が放たれる。凄絶なまでに整う口元くちもとが開く映像に、男達は驚愕した面持ちで視線が縫い付けられていた。


 画面越しに名を呼ばれたのは、事実上このブローム・ナトスを支配する頭目。

 粗末なソファーで、厚い刃物を手にしている方の男だ。


「生意気だな。こんな所に、結構上等な放送施設があるじゃないか。丁度善かったから、利用させてもらったよ」


 撮影機材から身を引いたのか、相手の像が現れる。それでも黒っぽい何かだったが、彼らは何かに気付いたようだった。


 画面の像が語る会話に合わせ、同時通訳の字幕で数種類の言語が流れている事。


 屋外の音声拡張の放送も、画面と同じ声でルブーレンの言語が流れている事。


 やや高く芯につやがあり、濃密な植物精油を想像させる低音。穏やかで張りが込められ、注意を集める響きは、この世界にあって異質に浮き上がる。


「説明が面倒だから、端的に告げる。今から十分後、この集落を粉砕する。死にたくない奴は、集落の境界線の外側へ退避しろ」


 一方的な宣言に、正気を保つ人々から、悲鳴や誰何すいか方々ほうぼうの屋外で沸き起こる。

 誰も確認出来ない、暴言の説得力と緊急性は、何故か危機意識に届いたらしい。


「実はさ。自社の携帯汎用型の、指定範囲高振動粉砕兵器の性能実験したいんだよ。丁度、善い機会だと想わないか? デディアハ=デテン」


 屋外の混乱は続く中、デディアハ=デテンは、無意識だったにも関わらず、てのひらで口元を覆っていた。


「デディアハ=デテン。約束は覚えているだろうな。そっちが覚えていなくても、私には関係のない事だ。。今から、果たしに行ってやるよ」


 画面の中の相手が、放送機材に向いた。デディアハ=デテンは、画面を冷静に観察する余裕を取り戻したようだ。


 さすがに全身は見えないが、黒の頭巾を目深に被り、鼻先と口元しか確認が出来ない。襟元すら隙間がない黒装束。

 熱帯の夜。閉じられた空間に、機材が通電する熱源がある室内で、異様としか思えない格好だ。


 この一帯で、最も頑強な造りの通信施設は、デディアハ=デテンが膠着こうちゃくする居室の目と鼻の先にある。

 しかも、常に武装する私兵が囲んでいるはずだった。


 最初に見えた、あの赤。切り替わる黒。


 画面は今、揃えられた白に包まれる指先が、凄まじく整う唇に沿って、水平に横切らせる仕草をして見せると、画面が暗転し沈黙した。


「お頭。あの黒いの、知ってるんで」


 そばにいた男が尋ねる先には、見た事もない頭目の表情。茶色の目を血走らせ、過呼吸を繰り返す姿。


 窓枠だけの空間からは、情け容赦を排除した、死を予見させる銃声に怒声。錯乱による勘違いの勇気に染まる一撃。


 それらが境目を失い、臭いと音が絶え間なく押し寄せる。




 ●○●




 も、そうだった。


 黒装束の陽炎かげろう達は、デディアハ=デテンの一党を、絶望的な戦力で圧殺した。


 戦力と呼ぶにはあまりにも非常識で、近代兵装では起き得ない現象が席巻せっけんする。


 理屈も理由もひねり伏せ、当時は相手の所属も何者かも把握出来ずに、百獣のたける轟音は、彼が持つ全てを穿うがち去った。


 五体が砕けているとしか思えない激痛の最中。地をめるデディアハ=デテンの狭い視界に、塵一つの曇りもない、黒い軍靴が映り込む。


 動かせる視線を上へった先には、整い過ぎる口元くちもとしか見えない黒装束。状況であるが故に、異国の死の神を思い起こさせる。


「今日の、この日を忘れるな。この次、私の視界に入ったら、屠ってやる」


 生物としてのぬくもりも、感じるはずの痛みさえ排した酷薄こくはくな声。それは、やや高く芯につやがあり、濃密な植物精油を想像させる低音。


 その黒装束は、デディアハ=デテンが離さない、厚みのある使い込まれた戦闘用のなたを取り上げた。


 皮脂と戦場の汚泥にまみれた、デディアハ=デテンの頭髪を掴んで身を起こしす。白い手が持つ鉈は、予兆も予告もなくくちの線に沿って、真一文を描き一閃した。


 あれから何があったのか、デディアハ=デテンは分からなかったようだ。


 に受けた一方的な折辱せつじょくの傷は、再生療法によって支障なく完治した。


 最後に黒装束から受け、くちに沿う横一線に走る、両頬に残る醜くく腫れ上がった、赤黒い線以外は。





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