四の幕 陽炎の、燃ゆる姿

第五十九節 簡素な肩書きを名乗らせる相手は、極めて要注意なのだと言う典型的な事例。 その一




 流れも鈍いぬるく湿る閉じられた空気。


 確実に潜む、多種多様の生命の息遣いきづかい。


 夜行性の捕食者が漂わせる音も塗り潰す、月明かりもない夜。


 に照らされたとして、ここは方向感覚すら狂う、緑色の自然の造形が支配する。

 木々の根や堆積する腐葉土に時折、見え隠れするのは、かつての人工物を彷彿ほうふつとさせる残片。


 森閑しんかんとしていたはずの一角。闇夜を練り上げるように、不審な気配を立て席巻する何かが、唐突に現れる。


「結局さ。事態の改善が、どこにあるんだ。幻想を持つのも大概にしろよ。いつまでも構っていられないんだよ」


 その何かは、音の言葉を虚空に突き放す。


<んな事をおっしゃられましてもね、我々は応えられませんので、早く地図を開いてくださいな。印と御面相の情報送信しますんで>


「はいはい。判りました」


<隊長>


「何だよ」


<何故、地図をそんな風に向けちゃうんですか。海岸で磯遊びでもするおつもりで?>


「そっちの方が善いな。予定変更しない?」


<構いやせんぜ。拝見する我々がむなしくなるだけですから。それと、お戻りが遅くなるだけです>


 虚空に向かい言葉を吐く者の気配は、手にする端末の電子光によって照らし出され淡い形容が浮かぶ。

 それでも深い時間と常緑の天幕は、声の主を払わず離さない。


 電子の板に変化が生じる。何かの、絵図面の角度が微調整され、光源の移ろいにともい模様が持ち主の輪郭をなぞる。周囲の明度と服装のせいか、その姿はいまだに鮮明とは言えなかった。


「地図の向き、そっちだったのか。この大将が戻って来たと言う事は〝エフエオフイ〟の居心地が悪かったんだな」


 画面が素早く点滅し、老若男女の顔と簡易情報・処遇が消えては現れ更新される。

 常人では、識別不可の速度にありながら、声の主は事もなく把握しているようだ。


「仕方ない。そろそろ時間だし着手するかな」


<モルヤン公式時間一七〇二。現地ブローム・ナトス時間〇〇一二。行動開始予定時刻まで三分。くれぐれも、作戦範囲内におさえてくださいな>


「承知。あぁ、そうだった。ジルと源緒ミナオの、第二種戦線を解除する」


<またそんな急に。が、頭抱えやすぜ?>


「それがだろう」


<承知致しやした。この先の集落の回線は、総てで押さえやしたので、好きにお使いください>


「いつも有難ありがとう。助かる」


<それが我々のです。痛み入りやす>


 声の主が光源の端末を収めると、再び夜の森閑に閉ざされる。


 虫の鳴く声すら立たない、不気味過ぎる不自然な空間。夜行性の大型肉食獣も生息する、熱帯地方の密林を擁する島々の一角。

 いつ襲われても不思議ではない状況に立つ影は、生い茂る草や枝葉と闇の向こうにある多数の熱源を目指す。


 迷いなく、脚取りも確実に、状況にすら臆さず移動を開始した。


 虫も、活動期の肉食獣も、見えざるモノすら押し黙らせ、その結界に立ち入る事など許さない気配。


 血に飢えた捕食者が、獲物を定め静かに距離を詰める一場面いちばめんのようだった。実は、意志を持つ災厄が目標を粉砕するために、一歩。また一歩。狂瀾きょうらんの楽園へ迫り行く風景だった。


 その姿は、宵闇に浸り不可視だった。先程の、以外には。





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