第五十七節 気にならないと言えば、嘘になる。 その一




 公休日を終えた翌日の授業。育ち盛りの年代と、栄養学に見合った給食。


 グリーンスムージー、もしくは牛乳。蓮根れんこんの肉詰めフライ。あたたかいバターロール。蕃茄トマトベースの野菜スープ。

 シメは評判も良い、季節の果実が盛り付けられたプディング。


 評判も上々な蒼海ソウカイ学院中等部の給食を終えた、昼の一時間休憩。睡魔に襲われる生徒は多い。


 それは、一年一組の教室から動かない士紅シグレも同じだった。


「あら、珍しいわね。部活仲間の所へは行かないの?」


 自席に座り、左手で頬杖を付いていた士紅。その声は、右背後の席から投げ掛けられた。

 赤銅色のブックカバーで保護する小説を読んでいた、赤縁の眼鏡姿の女生徒だ。


「最近は、人が多くて居辛いづらい。部活で会えるし、特に問題もないよ」


 赤縁眼鏡の女生徒に身体を向け、背もたれに右肘を掛け直した士紅が、白い指を組んで話しを続ける。


「それにしても、随分と眠そうね」


「ん? ん~、少し眠いかな。給食の後だし、こんなものだろう」


「昨日、庭球部は試合だったって聞いたよ? その疲れもあるんじゃないかな」


「へ~! 試合があったのか」


「知らないのか? 今年の庭球部のレギュラー全員、この丹布ニフを含めた一年なんだぜ」


「え! そうなの!?」


「丹布君って、庭球部だったんだ」


「おいおい、そこからなのか? 入学式から、何カ月も過ぎてんのに」


 近隣の席の生徒に始まり話しの波紋が広がると、周囲の生徒を引き込む。

 士紅は、見た目の印象とは違う事を級友達は知っていた。話し掛ければ物怖ものおじせず反応し、話題の手持ちも多いのだと。


 一組でも強面こわもてで、士紅よりも近寄りがたい扱いを受ける桔由キサルと、鐵道てつどう路線図や飼い猫の話しで盛り上がっていた。


「だって丹布君、いつの間にかどっか行っちゃってるし。他の庭球部の人は大きなバッグなのに、丹布君は違うんだもの」


「それは部室。在純アリスマ達みたいに何本も持たないし、普通の大きさだよ」


 級友に鞄の事を指摘され士紅は、ありのままを答えた。


「いつも身軽だと思えば、そう言う事か」


「あ、そうそう。在純で思い出したけど、お前、試合中に殴られたんだって?」


「ええ!?」


「在純君って、あの四組の在純君が? 何かの冗談でしょう?」


 級友達が、青一郎の噂を始めた。中学生の伝達網は、昨日の出来事が浸透していた。しかし、電子的伝聞ネットロアに限らず口伝を含めた民俗学的伝聞フォークロアは、外部干渉や齟齬そごによって必ずゆがむ。

 

 発信する側も受ける側も、芯に刻む確固たる意思と矜恃きょうじがなければ、それは決して果たされる事はない。


 情報リテラシー。メディアリテラシー。今、それを議論するつもりはないらしい士紅は、事実を語り修正を試みた。


 非はおのれにあり、新生した蒼海学院の方針を示すためには絶好の機会であった事。

 何よりも、青一郎には手段を選択するだけの真摯しんしと責任を負う覚悟がある事を。


「良いわね。腹の底では、理解し合える姿って」


「だな~。言葉にすっと、ちょっと恥ずかしいけどな」


「あははッ、それひど~い」


「なになにー?」


「何の話しー? アタシ達も混ぜてよー」


 他の組の女子生徒達が、ふらふらと会話の気配に近付いて来た。

 一組の生徒が簡単に内容を伝えると、表情も仕草も大仰おおぎょうに反応し、本来の目的を共有しようと提示する。


「キャー、知ってる知ってる!」


「アタシ達、試合見に行ったんだよー」


「さっきは、五組に行って来たんだー。そしたら、ちらほらレギュラーがいなかったし、おめでとうを伝え回ってるの」


「準決勝、決勝残ってるけど、頑張ってね!」


「そうだったのか、有難ありがとう。柊扇シュウオウはいた? あいつ、眉間にしわを寄せて〝こんなもの、真の勝利ではない〟って言っただろう」


 割り込んで来た他の組の女子生徒に、特に気分を害した様子もなく、一つ物真似ものまねを添えた。


「キャハハ! ちょっと似てたし、言ってた!」


「丹布! 丹布って、まだここにいる?」


 談笑の輪に、都長ツナガのやや高めな声が外から触れる。


 声に向いた数人の生徒が、その姿にいたわり、気遣きづかいを交えた声を掛ける。


「丹布なら自分の席にいるけど、どうしたんだよ都長! その格好」


「だ、大丈夫かよ、大怪我してるんじゃないのか!?」


 ちょっとした人垣になっていた輪を割り、都長は小さな身体を士紅の席に寄せた。


「え? 平気平気。病院の先生が、大層に巻いただけだから。それより、丹布。本っ当~に、ゴメン!」


「どうしたんだ。部室の冷蔵庫に残してある、私の非常食を盗み食いしたのか」


「ち、違うって。あぁ、あれって丹布のモンだったのか。名前書いとけよ~。だから違うんだって」


「ん?」


「昨日の試合だよ。俺のせいで相手と揉めた事で、在純から制裁を受けたって聞いたから」


「何だ、そんな事か。気にするな。あれは私が悪いし、在純に怒られるのは毎度の事だ」


「で、でもよ~」


 それでも、申し訳なさそうに落ち込む都長に、士紅は見たままの話しを振る。


「そんな事より、この時間とは言え、よく登校出来たな。一カ月くらい、病院に監禁されると想った」


「勝手な事を言うな! 本当に監禁される所だったんだって! 大した事ないって皆に連絡しようと思ったら、ケータイ取り上げられるし。親は過保護で即入院だって聞かないし、祖父は祖父で〝そんな危険な球遊びなんぞ、辞めてしまえ!〟って怒鳴るし」


 小等科からの繰り上がりの生徒も多いため、都長の実家を知る者は少なからず存在する。


「何だか、すごい話しだな」


「やっぱ、話しがデカい」


「う、うん」


 興奮気味に話しを続けていた都長だったが、急に静かになった。

 家族との様子からも、この場所に至る突破口が語り切れていない。


 要は、話しをしている内に思い出してしまったらしい。家族の恥を上回る、感情の波と出来事を。


「一番恐かったのは、収容先が桐子トウコ姫の病院だった事だよ。知ってる? 桐子姫」


「うん、大丈夫。御本人にも会った事があるよ」


「そっか。だったら話しが早いや~。何かの実験台にさせられると思ってたら、桐子姫が助けてくれたんだ。すみから隅まで調べ上げられたけど」


 都長は、年頃の少年が守っていた何かしら大切なものを失ったような、くすんだ目になってしまった。それは等価の代償として費やしてもらうしかない。

 無事、この場に立てる事の方が意義がある、はずだ。


「それでさ~、丹布」


「悪い、都長。着信だから席を外す。皆も済まない」


「へ? え~! ちょっと、丹布!?」


 士紅にしか判らない着信によって会話を寸断してしまった詫びなのか、誤魔化しなのか。はたまた、混乱させるためなのか。

 都長の小熊を思わせる、フカフカの黒い頭髪を掻き回した士紅は、早々に教室から出てしまう。


 白い旋風つむじかぜの被害にった都長は、脈絡が繋げ切れずに、ただ唖然あぜんとするしかなかった。





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