第五十六節 二四二八年度・全国中学校硬式庭球選手権大会・準決勝進出戦。 その三




 当の試合風景に転じる。蒼海ソウカイ側は顧問・監督深歳ミトセの指示通り、前衛と後衛が交代していた。


 前提は告げられていたため、これには都長ツナガ温和おとなしく従っている。

 ここで少々問題なのが、一六九リーネル(約、一六九センチ)の士紅シグレが前衛にいる事だ。


 敵陣に対しては何かと有利だが、自陣にしてみると不利が働く。都長のサービスを挙げるにせよ、軌道上に士紅がいては正直邪魔になる。


 生憎、都長が組んだ相手は普通ではない。低く姿勢を保ち、都長のサービスを待つ体勢も余裕の構え。

 後衛からの一球も背後も見ずに、最小限の動きで相手コートに通せるのは、練習と感性の相性の賜物たまものだ。


 絶好球には猟犬並みに反応し、狙い澄まされた強烈なスマッシュを志宝シホウ選手の足元へ叩き付ける。

 あわや直撃とひるませて。いつでも狙えるのだと無言の威圧と共に。


 志宝側も、士紅を潰すため故意とも見受けられる前衛殺しの危険球を見舞う。当の士紅は予見の範疇はんちゅうらしく優雅に、的確に、処理を実行する。


 士紅が前衛に出てから、志宝にはいちポイントも触れさせない。圧倒的な技量の差を見せ付け、審判の最終コールがコートに響き渡る。


「ゲーム! セットアンドマッチ。ウォンバイ・蒼海学院。ゲームカウント・6-2!」


 会場は、卑劣な試合を正面から受けて勝ち取った都長と士紅に惜しみない拍手と歓声を送った。


 審判台から降りて来た審判と共に一礼の後、わだかまりも伏せての両校が握手。

 一通りを済ませた都長が、沈んだ表情で自陣に戻るなり開口する。


「悪かった。俺だけが空回りして、この様だ」


「そんな事より、監督に許可をもらって早く病院へ行け」


「大変な試合でしたね。後の事は、我々に任せてください」


 突き放し気味の言葉の裏に、気遣きづかいをにじませる昂ノ介コウノスケと、次の試合にのぞ蓮蔵ハスクラが迎え入れる。


丹布ニフ君、ちょっと来てくれる?」


 試合を見守っていた、一同が勝ちを届ける二名をねぎらう中。いつもの柔らかい笑みを封じた青一郎セイイチロウの呼び寄せに、士紅が無言で従った。


 その指示に深歳は意見も注意も差し込まず、次の試合を任せる蓮蔵、メディンサリに準備を促す。


 二人は、向かい合う青一郎と士紅に対し何か言いたいもどかしさを奥歯に残しつつ、目の前の時間と役割に集中する事を選択する。

 残る仲間も次の行動に移しはするが、意識は気になる対象へと向いている気配を立てる。


「さあ、目を閉じて」


「判った」


「歯を食いしばる事も、忘れないでね」


「御願いします」




 ○●○




 Cコートの整備の案内が放送で流れ、次の試合までの観戦席が、歓談でさざめく音の狭間に動揺の声が立つ。


「え? 嘘でしょ?」


「今、あの子。さっき試合に出てた、背の高い方の部員を殴ったよな?」


「そうなの!? でも、どうして? 試合には勝ったし、凄く上手だったじゃない」


「アレかなァ。志宝だっけ? そいつらのラフプレイに怒って、殴られた部員、胸倉を掴んでたっしょ」


「確かに驚いたけど、そんな事で? 見てる方は、ちょっとスッキリしたのに」


「一応、紳士淑女の競技だからねェ」


 正確には、青一郎が右のてのひらで、士紅の左頬をそこそこの勢いで打った。

 その様子は、観戦席の最上段に陣取る八住ヤズマ兄弟、銀髪と金髪の紳士淑女の元へと平等に届いたらしい。


「うふふ」


「なぁに? プリムちゃん。変な所で笑っちゃって」


「御免なさいね。可笑おかしいんですもの。士紅が頬を打たれる時、八住の皆様が揃って明後日あさっての方へ視線を、お外しになるんですもの。うふふ」


 予想外の指摘を受け、気拙まずそうな表情を出したのはセンだった。


「そりゃあ、見たくないに決まってるでしょ。士紅のお気に入りの子達だとしても、あそこまで付き合う必要なんてある?」


「あらあら」


「どんな理由があっても、士紅に手を挙げるなんて考えられない。だって、まず狙えないし。だから僕らは〝養子〟に甘んじて、すがり付いて、それでも善いからそばにいたい。そう、決めたんだ。後悔なんかしてないよ」


 旋は、自虐気味に吐き捨てる。表情を見られたくないのか、うつむき、決してぬぐえない劣情を、元の綺麗な宝石箱に収め切り、しっかりと施錠したようだ。


 一つ、大粒をまたたかせる。双眸そうぼうを太陽のような欠片に戻し、愛らしい顔を起こす。


「大体、約束を守れないモルヤンをゆるしているのは、アーレインと士紅だけだよ。僕は、まだ根に持ってるんだからね。大事な〝ララフ・ララ〟を殺した事を」


「っははは。あれ程に怒る君を見るのは、あいつも久し振りだと語っていた。それ以前に、あいつも劣らず暴れたものだ」


 今まで沈黙を通していたシグナが、想い出し笑いを含め、同性も羨む口元くちもとが妖艶にほどかかれる。


 ララフ・ララ。十年前、八住ヤズマセンが絶滅を確認したブローム・ナトス群島周辺でしか生存出来ない、貴重なヨーグルトの乳酸菌名称だった。


「話しは変わるが、八住ヤズマセン君の〝先生様〟は、いつ頃の御来訪だろうか。かしたくはないのだが、こちらの〝隊長様〟も、表には出さぬが焦燥しょうそうしている」


 カイを挟んだ右側にいるシグナの問い掛けに、旋はわずかに緊迫の糸を張ったように見えた。


「それは当然でしょうとも。僕の方が表立ってあせっております。今は、ブロエで足止めに遭い調査が難航気味らしいです。桐条キリエダ様も、遠隔で参加していらっしゃいますが相手が相手です。もうしばらくの猶予ゆうよをください」


 二名にしか通じず、共有も情報の交換もかなわないであろう会話が成立している。


「承知した。用があるなら、ブロエに行けと伝えておく。既に、届いているだろうが」


 シグナが鏡色の視線で差す相手を揃って追う先には、異郷の少年の姿。


 その士紅は、部長の青一郎から厳しいお達しを受けていた。


 来週行われる準決勝の出場停止。整理運動も兼ね私立志宝中学校との試合が消化されるまで、このセツト区第一運動技場の外周を走る事だった。


 承諾の深い一礼の後、深歳の許可も得る。


「はい、いってらっしゃい。志宝中学校には、私から謝っておきますからね。心置きなく走って来なさい」


有難ありがとう御座います。行って参ります」


 士紅が移動を開始すると、ふらりと千丸ユキマルが歩き出し、昂ノ介が見咎める。


「あ? 気にせんでくれ。飲み物をうて来るだけじゃ。水分補給は大切やろが」


「……昂ノ介。俺も自宅から連絡が入った。折り返しの電話をして来る」


 千丸に続き間をけず、礼衣レイが青いケータイを手にしている。


「仕方ない。二人共、手短にしろよ」


「へ~い。行って来ます」


「……失礼します。監督」


 深歳がこころよく、礼衣と千丸を送り出す風景を視界に収めた昂ノ介だった。本当の理由が分かってしまったらしく、珍しく溜め息を吐いた。


「便利な世の中ですね~。在純アリスマ君」


「確かに、その通りですね」


 顧問・監督と、部長の二人には見え見えの行動だったらしい。


「では、謝りに行くとしますか。柊扇シュウオウ君、留守をお願いします。とは言っても、すぐ隣ですけどね」


「承知しました」


 深歳と青一郎が背を向け、距離が開いた事を確認すると、昂ノ介はすそのスリットからケータイを取り出す。


 ある画面を呼び出し、親指を素早くフリックさせ続け、決定送信を許可する部分にタップ。やましい事をしている覚えはないが、お節介事せっかいごとだとは自覚していたようだ。


 証拠に、再び溜め息を吐いてしまう。


 ていの良い理由を付け、この場を離れた礼衣と千丸と同様に、士紅へと気遣きづかう文章を、短く送信したのだから。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る