第五十五節 二四二八年度・全国中学校硬式庭球選手権大会・準決勝進出戦。 その二




 学年の割に上背がある士紅シグレは、志宝シホウ中学校監督の太々ふてぶてしい顔面の位置と変わらなかった。そのまま、似紅色にせべにいろ双眸そうぼうめ付ける。


「なッ、何だ、その目つきは! ボクは年長者だぞ。もっとうやまいの目で見ないか!」


「お気にさわりましたか。申し訳御座いません。生まれついての形なので、どうか広い御心で受け止めてくださいますように」


 風体に反して意外な一人称に、周囲は笑いそうになる気配があった。ひそかに、その数に入っていた士紅だったが、鋭い視線をゆるめるつもりなど毛頭ないらしく、苛烈かれつあつを与え続けている。


 この状況で、まだ残しているのか志宝側の二人組ペアが仲良くネットに近寄って来た。安全圏の向こう側と信じ切る様子が態度に出る。


「ワザとじゃねーつってんだろ! 大体、この坊ちゃんが盛大にスッ転ぶのが悪ィんだよ! 文句があるなら、ミスばっかの相棒パートナーに言えよ」


「本当、その通りだよなァ。お坊ちゃまって連中は、人の気を引くのがお上手、お上手。目立ちたくて仕方がッ!?」


 志宝側の前衛が口を開いて主張を並べ終わる前、妙な息を発した後、言葉が途切れてしまった。


 原因を探ろうと起点を辿たどり見てみれば、士紅が、ネット越しから伸ばした右手で、相手の胸倉を鷲掴わしづかみ、吊り上げている。


 突然の出来事に、周囲は士紅によって時間を奪われた。


「なッ、何しやがるんだ! この外圏がいけんの野蛮人!」


 ようやく、志宝側の後衛が裏返った怒声を上げ時間を取り返す。周囲が反応を連鎖させる前の絶妙な間合いで、士紅は乱雑に、志宝側の前衛をネットの向こう側へと解放する。


 勢い余ってか、志宝側の前衛は体制を崩した。無残に倒れ込むと、脊髄反射の要領で、またとない機会を利用すべく、被害者を演じるため大きく咳き込み、気道を確保する素振りに出た。


「おやおや。無様で、どうしようもありませんね。自陣の都長ツナガは、転ぶ姿も優雅なものでしたよ」


 倒れ込んだ相手を、士紅は上背から見据えた。


 試合になると目深まぶかに巻く、くれない八塩色やしおいろの布地から垣間見える同系色の双眸そうぼうは、夏に咲き誇る百花すら凍えさせる冷気を帯びる。

 異郷の色彩が見下ろす端整な容貌ようぼうは、その迫力に拍車を掛ける。


 士紅の言動は、払う価値もない演技をする志宝側の前衛も含め、観戦席の声すらも凍結させた。

 度重たびかさなる事態に、片腕一本で相手を吊り上げた異様な士紅の腕力に気付いた者は、どれ程いるのだろうか。


「り、両校の選手! 落ち着きなさい! これ以上の暴挙を重ねるなら没収試合にします」


 矜恃きょうじを氷解させたかのような審判が言いながら、落ち着きを取り戻した。厳しい公正の光を底に現し、毅然きぜんと警告する。


「我々の無礼をお詫び申し上げます。このまま没収されては、お互い寝覚めも悪い事でしょう。あくまでも、決着の手段は庭球の技量。そうですよね? 私立志宝中学校の方々」


 士紅は一転し、初夏の青葉からの木漏れ日に似た爽やかな笑みを添え提言する。

 今、Cコートを支配下に置くのは間違いなく士紅であり、その謝罪と発言は志宝中学の退路を断ったも同然だった。


 蒼海ソウカイ学院側も勢いで参加している訳ではない。端末の持ち込みが禁止されているはずもなく、ここにも無料の無線回線は飛んでいる。

 急な組み合わせが来たとして、調べると済む事だ。元より、私立志宝中学校の部活動理念は音に聞こえ、蒼海側に〝坊ちゃん〟が多い情報を知り得ていると想定していた。


 ラフプレイに慣れる志宝側の手順も隠し方も、審判や相手校が正当性を主張して来た時の対処でさえも、蒼海側には筒抜けに等しいと言える。


 蒼海側が勝つためには、志宝の流儀を黙らせる圧倒的な庭球を叩き突けるしか残されていないが、彼らにとっては十分だった。


「都長君、治療は終わりました。試合続行、出来ますか?」


「当然ですよ~。最近の坊ちゃんは、案外丈夫で勝ちに貪欲ですから! それに、返球や何やら怖いなら庭球部に入ってませんっ」


 士紅の意図を正確に把握したらしい深歳ミトセの言葉に対し、都長は右側一の腕の新しい治療痕を一睨みした。

 都長も、同じく意を受けて立ち上がり痛みや恐怖も言い訳も迷いもないと脳に、心身に、言い聞かせているようだった。


 団体戦は、一人で戦況を変えられるはずもない。ダブルスとなれば尚更なおさらだ。

 冷静に役割を果たさなければ、勝ちを自陣に繋ぐ事など叶わない。


 都長は、浅い戦績の中で刻み込んでいたと見えた。




 ○●○




 観客席にいる、丹布ニフ士紅シグレの家族達は共感を確認し合っていた。


こわっ、判ってても怖いよ。士紅」


「士紅さんは、黙る、笑う、怒っているかの、どれかですから」


 八住ヤズマの次男・センと、同じく三男・リツ安堵あんどの息をいていた。


「あれくらいやらないと、没収試合だったよね?」


 旋は、隣のルブーレンの美しい貴婦人・プリヴェールに声を掛けた。


「残念ながら、旋様の仰る通りですわ。一応、〝おあいこ〟だと審判も認めたようですし」


「そうなるよね~。ねぇ、律。さっき、士紅が都長君に耳打ちした内容って、何だったの?」


 問われた律は少々の間を置いた後に、追随を許さない美形なおもてを義理の兄に向けた。


「〝対峙する前衛のミザッサ=デジムンは、ブローム・ナトス群島方面の出身者で、都長家を個人的に恨んでいる。眼が合った後に、相手が持ち場を離れたら気を付けろ〟です」


 距離もあり、物理的には決して把握不可能。それでも正確な情報を届ける事が出来たのは、律が黙しているに理由があった。


「ふぅん。あの前衛君は、そっちの出身だったのかぁ、志宝中学も手広いね。それにしても、都長君の家を恨むのは、お門違いじゃないの? 何を吹き込まれたのかな」


 旋や律、プリヴェールは、観戦席の解放を見計らい感想を交わす。

 コート上の士紅の態度にも、慣れた様子で語る辺り付き合いの長さを、それぞれ誇示してる姿をはしにしながら、八住の長男・カイは別の対応に追われていた。


 〝淑女達の憧れの的〟。その肩書きは伊達ではなく、プリヴェールの姿に気付いた人達が、握手や署名、ケータイの写真に収めたいと求める。それらの意向を、話術を巧みに繰り丁重になし追い払っていた。


 階段状の観戦席も手伝い、良識もあってか無茶な行動を起こす人がないのが、幸いしているとも言える。

 観戦席の一角に、有名無名はさて置いても、別世界の美丈夫の競演とあれば相応に目立つ。


 電子回線網トーチを介する携帯型個人端末の普及は、個人に情報発信者の地位を与えてしまう。それは、どこの世界も共通していた。


 軽い気持ちで無許可の発信者になるため、ケータイの撮影機能を起動した面々は、異口同音を走らせる。「カメラ動かない?」「トーチに載せられなーい!」「回線不具合って何だよ!」と。


 それは、Cコートで試合が復旧した場面を、ケータイで撮影しようと試みる、無邪気な観客にも起きている事象だった。





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