第五十四節 二四二八年度・全国中学校硬式庭球選手権大会・準決勝進出戦。 その一 




 午後からは予定時刻通り、準決勝進出に駒を進める第三回戦が各コートで実施される。


 Cコートで雌雄を決するのは、私立志宝シホウ中学と、国立蒼海ソウカイ学院中等科。


 両校は色々な意味で周囲を沸かせる存在だけに、観戦者の数は自然に増えていた。試合開始前だが、声援にまぎ際立きわだっているのは、志宝側から上がる野次や罵倒。


 ただ、蒼海側を明確に名指ししていない分、蒼海側が反則や違約を申し立てる事も、審判が厳しい警告を積極的に発する事は出来ない。

 しかし、内容が内容だけに、運営側からも形式的な注意を渡される場面は見受けられる。それ以前に周囲が動かない理由もあった。


「間違ってはいないし、別に怒る事でもないよね」


 矛先の蒼海側は、気に留めず予備運動や談笑に余念がない。生まれや環境とは恐ろしく、多くの視線や悪意に満ちた空気には慣れているらしい。


 特に、〝リメンザの申し子達〟は試合慣れや実績もある。どちらに好印象が持てるのか、観戦者はその感性に素直に従っているようだ。


「ゲーム志宝。1-2。エンドチェンジ」


 審判の宣言は、志宝側の優勢を告げる。


 サーバーで先取したものの、そこからの試合運びは観戦者からの不興を買う事柄は多いが、勝ち点は勝ち点。

 ラフプレイに長ける志宝側の処世術に、蒼海側の都長ツナガ士紅シグレは、流れを奪われていた。


「わ、悪い。丹布ニフけ切れなかった」


 前衛担当の都長が、立ち上がりながら幼い口元くちもとぬぐった。そのこうには、かすれた血の跡が筋を引いている。


「審判。相棒パートナーが、先程の危険球で口角を切りました。治療の時間をください」


「分かりました。すみやかに手当するように。蒼海学院、負傷者手当てのため、一時試合を中断します」


 審判の処遇に感謝を述べる士紅は、都長をいたわりながら自陣へ導く。対して、志宝側の二人組は非難がましく、聞こえよがしに言い放つ。


「言い掛かりは止めろよ。審判も危険球の指摘なんざしてねーだろ」


「庭球ってのは危険なんだぜ? 当たると、俺達に点が入るんだぞ。帰って坊ちゃんらしい軟弱な遊びでもやってろよ」


 品のない言葉と笑い声を浴びながら、都長は口内に広がる鉄錆てつさびの味を、悔しさと共に噛み締めているようだった。

 相手の言葉に反応した訳ではなく、試合に潜む深淵しんえんに飲まれ、失望しそうになっていた自身に向けられているかのようだった。




 ○●○




「っ、痛!」


「済みません、こればかりは我慢してくださいね」


「だ、大丈夫です。有難ありがとう御座いました。監督」


 元競技者で、現役の保健医でもある、顧問・監督の深歳ミトセ手際てぎわ良く治療を終え、都長の顔色を確認している。


「監督。次、取られたら、前衛と後衛を入れ替えて下さい」


 士紅が、深歳に申し立てた。


「ちょっと待ってくれよ。もう少しで、あの球を打ち返せるからさっ」


「もう奪われるなよ。出来るのか?」


「出来なきゃ、蒼海の校章なんか背負えないってのっ」


 挑むような士紅の薄い笑み。受けて立ち上がる姿で返す都長に、深歳は迷いなく二名をコートに送り出す。


 無論、士紅の提案も胸に差し入れながら。


「よく、我慢していらっしゃる。あからさまな卑劣な試合運びに、正面から対峙たいじされる都長君は」


 生真面目きまじめで正義感が強い蓮蔵ハスクラは、痛々しい仲間の姿を見詰めている。


「何も、我慢しとるんは都長だけやないぞ。マコト」


 蓮蔵を下の名前で呼び、指摘する千丸ユキマル眠気眼ねむけまなこには、隠れた火薬庫を見付けている気配が込められているようだった。


「うん。丹布君も、よく耐えていると思うよ」


「丹布の性格上、こんな試合は耐えられんだろうに」


 新生した蒼海側の部長・青一郎セイイチロウと、同じく副部長・昂ノ介コウノスケが同調の言葉を重ねる。


「……再開するぞ」


「おうよ」


 コートに入った、都長と士紅の様子に一同の集中を促した礼衣レイに答えたのは、貴公子然とする綺麗な顔に、けわしい表情を浮かべるメディンサリだった。


 仮入部の時期がなつかしいとさえ思える程の努力を重た一同は、試合の場に立つ異郷の仲間を見る。

 言葉の鋭さや視線の冷淡さの裏に、かばい、支え、鼓舞する英姿えいしがあった。


 観戦席から、感嘆のうねりが大気を震わせる声に、彼らは確信したようだ。


蒼海ソウカイ! 3-2。エンドチェンジ!!」


 俺達は、必ず全国を制覇する、と。


 審判は、あれから立て続けに2ゲームを連取した蒼海学院の勝ち点を宣言すると、観戦席から拍手と声援が湧く。


 志宝側が起こす陰鬱いんうつな矢の雨の声を、掻き消すように。


「何、頑張ってんだよ坊ちゃん。諦めた方が楽でイイじゃんかよ」


「球食らってんのに、フォローにも来ねー奴と組んでたら、俺達に勝てねーぞ」


「金持ちの道楽なんだろ? これ以上、つまんねーケガしたくねーだろが」


 コート移動のすれ違いざま。志宝側の対戦相手が最後の足掻きか、都長と士紅に、志宝側の悪足掻わるあがきか、暗い恫喝どうかつを置き去る。

 歓声に覆われ、審判に届く事なく目的の聴覚に与える辺りは、手慣れたものだ。


 だが、蒼海側の二名が重ねた経験が上回る。


 都長と士紅は顔を見合わせると、次は同時に志宝の二人組に向かって声を立てず、薄く笑みを浮かべて見せ付けた。

 士紅が上背を傾け都長に何事かをささやく。都長は了承の意か、熊の子を印象付けるフカフカな質感の黒髪を小さく二、三度と上下させる。


 蒼海側は同じ行動、密談という物理的な距離を詰めた様子を見せ付けた。


 逆に、相手の術中にちたのは志宝側の二人組ペアだった。苛立いらだち隠す事もせず、舌打ちを連発する。

 悪態を重ねようと、志宝側の目的は一つ。どのような手段であれ蒼海学院を潰し、準決勝進出を果たす事だった。




 ○●○




 Cコートは、悲鳴と非難に囲まれていた。


 レフトサービスコートで都長が腰を着き、伏せた顔に手を当てるそばで、士紅が片膝を折って付き添う。

 審判も審判台から駆け下り、都長の様子を気遣きづかった。


「スミマセンネェ。ウチの部員達は試合に集中してしまうと、球しか見えなくなるんですよォ」


 志宝側の監督が、あごを上げ腰も折らず高圧的な態度。まるで上から叩き付けるような謝辞を示す。その背後では、志宝の二人組ペアが肩もそびやかして控えていた。


 崩れない陣形。誘導にも動じる事のない蒼海学院の庭球。


 技術ばかりか気概でされる試合に、短慮に支配された志宝の前衛が、士紅がストレートで返した一球を無理やり取りに行った。

 振り抜いたラケットが手から離れ、勢いそのままに都長の顔面へ放たれたのだ。結果、反射的に出した腕に直撃した。


 会場は、どよめきが収まらず、誰の目から見ても故意によるものと映ったようだ。


 即座に審判は試合を中断した。許可を得た深歳が、その場で治療をほどしていた。


 志宝側の監督の態度と不快な声を合図としたのか。左脇に得物ラケットを抱えた士紅が、音もなくほのおが昇るよう、ゆらりと立ち上がる。


「人死にが出ませんように」


 家族と名乗る各々は、観客席の一角で再び無言の祈りを重ねた。





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