第五十三節 二四二八年度・全国中学校硬式庭球選手権大会・地区予選。 




 春だった柔らかい陽射しは、もう鋭くなり始めている。初夏を思わせる気配を控えながら地上を照らす。


 青空。厚く横切る雲はなし。気温湿度は平年並み。外で行事を開催するには絶好の公休日和。


 会場を行き交う人々の装いは、春物と夏物が混在する。普通の散策目的の人々もいるが、本日の催し物と場所柄からしても目立つのは、各校の特色と集団意識を高める、学校指定の体育着に部活着。


 場所柄とは、改修工事を終えたばかりの、セツト区第一運動技場の屋外庭球場区画。全国大会を目指す区内の中学生達、各校応援要員、大会運営関係者。地区大会ながら、それなりの数が集まる取材記者等々の熱気で満ちていた。




 ○●○




「さあ! 皆さん。これから一回戦、各担当の出場者を発表します。三勝試合方式ですが、決して気を抜かないように」


 蒼海ソウカイ学院中等科の陣営に緊張の糸を巡らせたのは、部誌を片手に濃鼠こいねず色のスーツ姿の顧問・監督の深歳ミトセ


 前にして横一列で並ぶのは、蒼い校旗をまとい、幼さが抜け切らない面々をようする八名の選抜組。

 さらにその背後には、先輩部員の三十五人が整然と列を組む。


「はい!」


 前面の威圧。背面の期待。無言の圧に屈する事なく、選抜組八名は揃えた声で応えた。


よろしい。第二複合ダブルス・ツー蓮蔵ハスクラ君・メディンサリ君。第一複合ダブルス・ワン火関ホゼキ君・都長ツナガ君。第三単騎シングルス・スリー千丸ユキマル君。第二単騎シングルス・ツー柊扇シュウオウ君。最後の第一単騎シングルス・ワン、在純君。以上です」


「はい!」


 かつての帝王の座を、奪還するために揃えた手札。全員一年生の正選手。一年生の部長・副部長。奇妙な経歴を持つ監督。


 庭球に明るい観客や取材記者達にとって、今年の蒼海学院の見物と言えるのは〝リメンザの申し子達〟だけ。

 たかくくって観戦していたが、試合を重ねるにつれ、単なる苦し紛れの奇策ではない空気を、すぐさま感じ取る。


 彼らは、酔狂による付け焼き刃ではなかった。一方的に勝ち点を重ね、ゲームを連取する。蒼海学院を注目し、取材の視線は増え続けた。




 ○●○




 昼も過ぎると予想通り、気温も上昇し上着を脱ぎ、袖をまくり上げ、売店の冷えた飲物が売れ行きを伸ばす。

 頃合いとしては昼休憩とあって観客席から離れ、それぞれが思い思いの時間を過ごす。


「あれ? シグナさんじゃないですか」


 階段状の観覧席の最上段。優しい緑色のひさしが日陰を作り、涼しい土地柄の恩恵を受ける立ち姿を差したのは、連堂レンドウ学園中等部の制服姿の八住ヤズマセンだった。

 その連れは、休日でもタイを締め、ダークスーツ姿の八住長男・カイ。旋と同じく、制服着用の三男・リツ。ルブーレンの貴婦人・プリヴェール。そんな異色の組み合わせだ。


「これは、丹布ニフ士紅シグレの応援か?」


 青系統のダークスーツを、シグナも隙なく着用しているが、気温の上昇など気にも留めていない様子だった。表情が消える極上のかんばせと、蠱惑的こわくてきな低音が反応した。


「ええ。士紅は、わたくしの大切な家族ですもの。当然ですわ」


 紺碧色こんぺきいろのワンピース姿のプリヴェールが、その返事に割り入った。単なる挨拶代わりの会話のはずだが、不穏な空気の混じり具合に、八住兄弟が表には一切出していないが、胸の内は穏やかではないようだ。

 薄い桃色の日傘を差すプリヴェールに、席を勧め座らせるシグナを見ながら、八住兄弟もならい席に着いた。


「時間的に、準決勝・決勝は来週になるのでしょうか」


「間もなく始まる試合で、準決勝進出校が順次決まるからな。そうなるだろう」


「左様ですか」


 無難な問い掛けから始まる会話を展開するのは、廻とシグナだった。所属も血縁も異なるが、この面々は〝丹布ニフ士紅シグレ〟を仲介した絶妙な均衡の元、繋がりを保っていた。


 旋の黄金色の双眸そうぼうが、大型掲示板から情報を得るために機能を果たしていた。大切な家族の一員が参加する試合の情報を読み取った旋が、いぶかしげな声で周囲の気を引き付けた。


「うわぁ。士紅達の対戦相手、志宝シホウ中学校かぁ。大丈夫なの?」


「創設五年目の、比較的新しい私立中学校です。運動部の活躍は目覚ましく、今では連続して州大会に参入。校区外編入、特待生・奨学援助制度を利用し、有望な学生を身分国籍問わずかき集めています」


 年功序列が染み付く律は、旋の言葉に敬語で応える。だが、この説明は旋に対するものではなく、隣に座る愁眉しゅうびのプリヴェールにささげられていた。


「勝つためには、かなり荒っぽい試合するって先輩が話してた。が怪我したくないからって、去年は急遽きゅうきょ恩村メグムラ部長達が出たって言ってたよ。部長って言っちゃった。別に善いよね」


 旋の口振くちぶりは、とやらの集団を歯牙しがにもかけない様子だった。


「お怪我などなくて?」


「負傷者が出たって。熱中し過ぎて、つい口汚くちぎたない言葉を吐いちゃったりとか」


「まぁ」


 天下のゲーネファーラ商会の跡取りに対し、敬語不使用の旋だが、誰の咎め立てもない。礼節に厳しい廻でさえも。


「志宝中学の相手は、棄権したのですね」


 その廻は、再びシグナへ話し掛けた。温度を感じさせない鏡色かがみいろ双眸そうぼうは、他者を隔絶かくぜつする精神的な壁を思わせる印象だ。

 しかし、向けられた言葉は丁寧で、距離感はしたしい者に届けられる声音こわねだった。


「一回戦の試合内容や、控え選手の様子が酷かったからな。気概のない部活動ならば、避けて退くのは賢明だ」


「士紅さんは、次の試合に出るのですか」


「あぁ。一試合目の第一複合。都長ツナガヨータ君と組んでの出陣だ」


「あら。士紅のダブルス風景が、また見られるのね」


 そばで発生した情報を拾い、プリヴェールは嬉しそうにひとりごちる。それを、右隣に座る旋がすく上げた。


「この間の、セツトのリメンザの事は聞いたよ。ずるくない? や、坊ちゃん達ばっかり士紅と遊んじゃってさぁ。僕も混ぜてよ、誘ってよぉ」


「あの日の旋は、御多忙でしたでしょう? 士紅も気をつかったのですわ」


「そんなのらないってばっ」


 むくれた駄々っ子を、年上の貫禄でなだめる様子にしか見えない。旋とプリヴェールのやり取りを、声で、気配で感じ取っているそれぞれの面々は、奇しくも危惧きぐしていた。


 起こり得ないと判っていた。信じている事も共通しているようだった。


 実は、無言の祈りを唱える内容も同じ。「どうか、こんな所で人死にが出ませんように。」と。





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