第五十一節 背に負うは、朽ちぬ誇り。 その一




 時折、吹く風が強くなり暖かくなった気温も飛ばされそうな放課後。男子硬式庭球部・選抜組せんばつぐみの面々は、部室へと収まって行く。


 つい、数カ月前に訪れた前部長の趣味満載の内装は取り払われ、ごくごく簡素な元の壁や床、備品に戻されている。

 選抜組は遠慮を申し出たのだが、慣例だけは守りたいと部室は選抜組専用にと押し切られた。


 そんな部室には、今日も絶える事のない話題から繋がる談笑が起き、本日の練習内容の確認も器用に混ぜ込む。

 几帳面な礼衣レイ蓮蔵ハスクラが白板に書き記し、部誌当番が写し取る。


 それを終えると透過防止付きの窓を閉め、着替えるのが、彼らの習慣となっていた。


「は? 何だこの服」


 個人用のロッカーを開けたメディンサリは、覚えのない複数の青い衣装が掛けられている様子に怪訝けげんそうな声を上げる。

 開ける前に鍵を使った分、不審を募らせるが礼衣の冷めた声と、千丸ユキマル暢気のんきな言葉で事態は氷解した。


「……監督も、粋な計らいをしてくれる」


「や~っと、届いたんか。試合着」


 言うが早いか、都長ツナガは自身のロッカーに飛び付き、昂ノ介コウノスケは低音が安定した声で感嘆した。青一郎セイイチロウと蓮蔵は静かに見入り、士紅シグレは迷いもなく既にそでを通して着心地を確かめた。


 校旗と同じ青地。右側のすそ付近で交差する白に縁取られる黄が、縦横に走る線。


 左半分は白地で切り返され、その胸には、〝蒼海学院ソウカイガクイン〟と縦に達筆仕様で文字をしつらえてある。機械生産には出せない、墨のような光沢は、一点物の主張を放つ。


 切り返しの白い部分や校章が見当たらない事を除けば、校旗を身にまとうに等しい試合着。白を基調としていた、これまでの造りが一新された分、蒼海の新しい波を見る者に感じさせた。


「こりゃ~、ぇ青やの~」


「……校旗を元にしている割には、野暮やぼったく見えないのが、また良いな」


 袖を通さず手元で見ている千丸の言葉に、礼衣が感想を添えて答えた。


「着心地も凄く良いよ。まるで採寸された一点物みたい」


難癖なんくせ付けるワケじゃないけどさ、ここまでやってくれたら、後ろも何か入れて欲しかったぜ。線がそのまま沿ってるだけじゃなくてさァ。背中、さおだぜ?」


 上着に袖を通した青一郎の言葉に、メディンサリが少々不満をらす。


 褒める点が多々あるが、確かに言われてみれば、背面が寂しい雰囲気だ。他校は、崩した文字や他国の文字で学校名を入れてる場合が圧倒的な数を占める。


 前面の慎ましい小さな文字だけが、蒼海学院を語るには重荷のように印象付けた。


「心配するなよ。そこの照明で、背中部分をかざせば判る」


 薄く、したり顔を浮かべる士紅のすすめに一同は従うと、言葉を、息を、見誤りを飲み込んだ。


 たくみの腕か、何かの魔法か。彼らが目にしたのは、照明の灯に透く白百合を背にする〝蒼海學〟の文字。


 蒼海学院の校章だった。


「これは、重い物を背負う事になりましたね」


「校章の透かし織り、なのか? 加減で、校章に配される色使いも見て取れるのだが」


 蓮蔵が、重責に耐えるように少し厚めの唇に言葉を乗せる。すると、昂ノ介が相手を限定せず、推測を混ぜた言葉を放つ。


「凄いじゃない、この仕掛け~。うわ~、これ本当に試合着にしちゃっても良いのかな~」


「スミマセン。背中が真っ青とか言って本っ当に、スミマセンでした」


 仕組みを理解しなくても、その感情を素直に表すのは、都長とメディンサリだった。


すその裏側に、名前が刺繍してある所を見ると、貸し借りは出来いな」


 士紅の情報を受け、身長も近い千丸とメディンサリが上着を交換し、互いの試合着を羽織はおる。


「うわ~、ぁ」


気色悪きしょくわりぃ」


 すぐさま無言で戻し合い、自身の名が刺繍された上着に袖を通し、違和感をぬぐい去っているようだ。


「これって、どう言う訳なの? 丹布君が何か知ってるって事?」


「知っていて当然だ。この着心地は、大伯父の意匠いしょうに間違いない」


「はぁ~ぁ。やはり丹布君には、バレちゃいましたか」


「うぉっ!? 何なんですか監督。入口からのぞかないでくださいよ」


 いつからなのか。薄く開いた扉から、顧問・監督の深歳ミトセが部室内をうかがい見ている様子を、メディンサリが指摘した。


「あはは~、失礼しました。どう? どうです? 新生・蒼海学院中等科・男子硬式庭球部の試合着は!」


 縫った訳でもないのに、何故か得意満面で両手を後ろに回し、深歳が中腰でゆっくり寄って来る。

 黙っていれば「私が作ったんです!」などと世迷い言を放ちそうで、対処しかねる空気を振り撒く。


「監督。このような素晴らしい試合着を手配していただいて、ありがとうございます」


 まずは無難に、部長の青一郎が妄言封じも含めるためか、一同を代表して感謝を述べた。


 後日談によると、この時の深歳は不気味で少し怖かったとの事。


「監督! ホントに、有難ありがとう御座いました! こんなに着心地が良くて、細工が凝った服は着た事ありませんよ~」


「へ? 何の事です?」


「こちらです。明かりや陽にかざすと、校章が透けるんです」


「ウッソだろ!? 何これ凄いじゃないか! 俺も欲しいっ。メディンサリ君。これ譲って!」


「ダメに決まってるでしょ! 監督も作ってもらえば良いじゃないですかっ」


 地を出しながら、示して見せたメディンサリの上着を奪って、自ら照明に向ける深歳から、どうにか試合着を取り戻したメディンサリだった。


「監督まで嬉しそうだね」


「皆、少々浮かれ過ぎではないか? 地区大会は目の前。もっと選抜組としての気構えを」


「誰よりも早く、一式を着込んだ柊扇に言われても、説得力に欠けるのぉ」


「くッ」


 千丸に事の次第を見られ、二の句も継げない昂ノ介を気遣いながら、蓮蔵が疑問を口にする。


「それにしても丹布君は、この試合着に携わった方を御存知のようでしたね」


「そ~言われてみれば」


 深歳に試合着を取られないように、上から掴んでいた都長が同調する。


「コホン、来ていらっしゃいますよ。早く、君達の試合着姿を見せてあげてください」


 ようやく気を取り戻したのか、深歳は元の調子を据えて、感動のご対面の場へと誘う役を買って出た。





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