第四十六節 プリヴェール=ルーヴメイア=グリーシク。 その三




 見当を付けた礼衣レイ蓮蔵ハスクラは、それぞれに内心で思ったらしい。


 そろそろ口火を切らないと、呑まれて今後の付き合いにも支障が出る、と。


 まずは、語り口に独特の間を置く礼衣が初手を出す。


「……丹布は、よく無事でしたね。背後から刺されたそうですが」


「ケータイに当たりましたのよ。ほら、よくご覧になるのではなくて? 馬乗りセンターベントの辺りから、出し入れしているでしょう」


 意図的なのだろうか。プリヴェールは、これ見よがしに腕を後ろに引き、女性特権の豊かな曲線を誇示しながら、背後にある架空の馬乗りセンターベント位置を差している。


 確認する場所を、に間違える事なく選択し、注視せず全体を視野に入れ、細心の気遣きづかいを果たす二人だった。


「黒いケータイの事ですね。随分、丈夫に出来ていると、お察しします」


わたくしは、黒いケータイで繋がっているより、貴方達の青いケータイの方が羨ましくてよ」


 相変わらず、絵画に時を止めておきたい程の、えんの笑みを浮かべているが、プリヴェールの翡翠色ひすいいろの瞳には、見えない針が込められるようだ。


 礼衣と蓮蔵は思い起こす。この種の視線には覚えがあった。相手も色も異なるが、放たれる想いはただの一つ。


 士紅シグレに近付く対象に誇示する、自らの縄張りと規制線だ。


「あら、怖い。先程から、ちらちらと士紅がこちらを睨んでいるわ。わたくし、おしゃべりが過ぎたかしら」


「……丹布、集中しないと怪我をするぞ。相手は青一郎セイイチロウだ」


 馴染みの強さと腕前を知る礼衣は、コートへ忠告を放つ。正式な試合でもなく、その辺りはゆるさを共有していた。


「こら! 俺を忘れんな!」


 すかさず、青一郎と組んでいる都長ツナガが、自らの存在を叫んで表現する。


「相手が誰であろうと、負ける気はない」


 有言実行か、言いながら相手コートの隙へと球の自重が最小限の曲を描き、士紅はゲームを取った。




 ○●○




 試合が終了した後、そのまま屋外で少々の休憩を挟む事になり、談笑が絶えない場面。士紅がプリヴェールに話し掛けた。


「そうだ、写真撮っておこうか? ルームの話題には持って来いだろう」


「あら、有難ありがとう」


 士紅は、いつもの背後から黒いケータイを取り出し、慣れた様子でプリヴェールを静止画撮影する。化粧直しの要求もせず、衣服の乱れもない貴婦人は、こうして電子の美へと変換された。


 ルームとは、電子網トーチ上にある情報発信・交流ツールの総称だ。プリヴェールのルームは、老若男女問わず閲覧数を重ね世間に少なからず影響を与える水準にある。


「……ケータイでの撮影機能は、手慣れているのだな」


 少々、意地悪と探りを入れる意図を隠さず、礼衣が頃合いを見計らい言葉を放つ。


「プリムのケータイで、撮影係をやらされるからな。この操作だけは自信がある」


「うふふ。ルームに上げている映像は、士紅に撮って貰った物が多いのよ。でも、残念ですわ。当の士紅と一緒に写る事が出来ないもの」


「え、それはどう言う事なのですか?」


 青一郎が、妙な言い回しに問いを投げる。


「士紅にはね、映像に写らない〝魔法〟が掛けられているのよ。このケータイや衛星監視装置だとしてもね」


 プリヴェールの答えと笑みは銀幕でもお目に掛かれない稀少さを宿しているが、未熟な質問や思考をねじ伏せる迫力を持っていた。


 知りたければ、相応の経験と対価を積み上げるように。と、言わんばかりに。


「皆を混乱させるような事を言わないでくれよ。プリムが言うと、洒落では済まされなくなる。皆も、気に留めず聞き流せ」


 やや不機嫌そうな気配を立てながら、士紅がケータイの操作を終え、一同を気遣う言葉を発した。とは言え、士紅が御曹子達が硬直寸前の空気を解かしたのは事実らしく、御曹子達の顔色は戻りつつあった。


 そんな安全地帯を得た余白を手にしたのか。場慣れしている都長は雰囲気を変えるためにも、プリヴェールの様相に着目した事を口にした。


「プリヴェール様の装い、まるで桜のようですね」


「あら。お気付きになられて? わたくし、春のリュリオンの桜の風景が大好きなのよ」


姥桜うばざくらとか?」


「士紅。何か、お言いになって?」


「桜は、どの経済圏でも好まれる樹木の一つだな。私も好きだよ、プリム」


 士紅の底抜けの度量と機転に、彼らは心の底から感心したらしいが、真似をしたいとは、全く思えなかったようだ。


 恐らくは、「好きだよ、プリム。」に重点が置かれが効いたと推察する。


 証拠に、この世の終わりを導きそうな気配を立てた、プリヴェールの機嫌が瞬時に良くなっている。


「あら、やはり桜は多くの方々の美意識に根付いているのね。とても素晴らしいわ。士紅は鈴蘭が好きよね? わたくしも、あの可憐な花は大好きよ」


 プリヴェールは、今にも士紅に口付けしそうな蕩駘とうたいさを表情に差しながら、言葉を続ける。


「けれど、椿つばきの花は嫌いです。特に、九央クオウの赤い椿も白い椿も本当に大嫌い。士紅には、似合わなくてよ」


「そんな事を言われても困る」


 うふふ。と、プリヴェールは掴み所のない笑みで唇を飾る。見た事もない一幕を、鑑賞した気分にさせられた彼らの一角から、舞台の終わりを認め声が立つ。


丹布ニフ君。この休憩が済んだら、俺とシングルスを頼むよ」


 穏やかな瞳の奥に、鋭い反骨精神を敷いているような青一郎が挑んで来た。


「ああ、臨む所だ」


「では、我々は見学させてもらおうか」


「……うむ。この試合は、見ておく必要がある」


 昂ノ介コウノスケ礼衣レイが、今後のかてと決め込んだようだ。


「来て良かった~、これは見ものだよな~」


「ええ。全く、その通りです」


 本格的な庭球を始めたばかりの都長ツナガ蓮蔵ハスクラは、純粋に高度な試合を観戦出来る期待を声に込めている様子だった。


「では、わたくしが審判を引き受けます。皆さんは、十分に見学してくださいね」


 恐縮しながらも、彼らはプリヴェールの好意を受け取り、全員が見学に集中する事が出来た。


 今日のこの日。少なくとも、礼衣と蓮蔵は確信したようだった。


 表舞台、社会的地位において、女神と称される裏側で〝魔女〟と称される、プリヴェール=ルーヴメイア=グリーシクの片鱗を。


 そのプリヴェールと、対等に付き合う士紅に恐れ入りはしたが、何故か、沸き上がる疑問を質そうとは思わなかったらしい。


 それは、自らの経験不足なのか。庭球が繋ぐ信頼によるものなのか、魔女が施す魔法の一端なのかも、はかれなかったからだろう。





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