第四十七節 唇は、青少年達の魅惑の入口。 その一




 運動部にとって、緒戦の入口に当たる地区大会が見え始めた、ある日の中休み。


 士紅シグレは部誌を届けるため、青一郎セイイチロウが在籍する一年四組を訪ねた。しかし、機が会わず隣の五組に移動した後だった。


 数歩で、目的地に着いたのだが。


「ねェねェ、昨日の『おとうた』見た!?」


「見た見た! 稲津イナヅクロモの『未来を信じない僕達』でしょ!? もう、すっごく良かったー!」


「アタシ、意味なく泣いちゃってー。すっごく、感動しちゃったー」


「でしょでしょ!? あれ聞いて泣かないなんて、人としてどうかと思っちゃうわー」


 地上波番組の感想で、盛り上がる女の子達に、教室の出入口を塞がれてしまった。士紅は構わず、その位置から窓際一列の前方、昂ノ介コウノスケの席にいる青一郎に呼び掛けた。


「お~い、在純アリスマ。監督から、部誌を預かって来たぞ」


「ゥわッ」


「び、びっくりしたー」


 会話に夢中になっていたらしく、女子生徒達は士紅の言動に驚いていた。


「あぁ、悪かったな」


「そんな入口で声を出さなくても、入れば良いのに」


 言いつつ、困ったような笑顔を浮かべ、青一郎は律儀に士紅に向かって歩み寄る。


「あ、すみません。アタシ達、邪魔してて」


「別に、邪魔じゃないよ」


「在純君、この人、部活の先輩?」


「違うよ。一組の丹布ニフ君。覚えてないかな、入学式で新入生代表で挨拶していたのに」


「え? そうだったっけ?」


「何か、背が高いし、迫力あるから先輩かと思っちゃった」


 先輩に勘違いされたが、一切の弁解も訂正もせず、士紅は目的を果たす。


「はい、部誌」


有難ありがとう」


 教室の出入口で話をしていた女子生徒達が、何やら色めく噂をしている。一方、青一郎と士紅は気にも留めていないらしく、昂ノ介の席へ向かう。


 その机上に積まれた、意外な物を認めた士紅は声を立てる。


「珍しいな。柊扇シュウオウが漫画を読むとは」


「俺の物ではない」


「あ~、それ、俺がメディンサリに借りたんだ。ルブーレンで大人気の〝魔法遣いマホウツカイ〟の話し。この主役が、破天荒で一々いちいち面白くてさ~」


 都長ツナガが、一冊手に取って読んでいた背表紙を士紅に見せた。『黒い狼達・巻の参』とあり、ルブーレンの言葉で書き記されていた。


「丹布も何か読むか? 別の漫画を持って来てるしよ。読んでると絶望するくらい落ち込むけど、絵や描写が細かくて綺麗なんだ。でも、柊扇に勧めたら、中身も見ずに持って帰れって言われた」


 持ち主のメディンサリが、念のためか仲間を増やすためか、士紅に勧める。


「漫画を卑下する気はないが、俺は小説の方が良い。丁度、佳境かきょうに入って読み進めたい所だからな」


「何を読んでるんだよ」


 士紅も漫画を無碍むげにする気配はないが、どこか話題を変えるために、昂ノ介へ話を向けた空気が立つのは、気のせいだろうか、と。いている椅子に座る礼衣レイは、そっと士紅を観察する気配が立つ。


「『椿姫の唄ツバキヒメノウタ』だ。この間貸した『阿形物語アガタモノガタリ』に出ていた、与ノ更ヨノサラ蔵次クラジが主役になっている」


殿しんがりを買って出て、最期の奉公を示した侍か」


「その通り」


「そっちの物語も、面白そうじゃね~の。漫画にしてくんねぇかな」


「だったら、まず原作小説の方を読んだらどうなんだ」


 小説派の昂ノ介と、漫画派のメディンサリが語り合う様子を、穏やかな黒い瞳に映していた青一郎に、士紅が話し掛ける。


「在純は何を読むんだ? 柊扇シュウオウ火関ホゼキと同じ歴史物?」


「あ、それはあまり読まないよ。純文学とか、ヤトモロ時代の古典文学かな。柔らかい言葉が好きなんだ。丹布君はどう? 好き?」


「うん、好きだよ。『キサ子のうた』は、今に残る名作だもんな」


「あはっ、俺も好きだよ」


 このやり取りに、昂ノ介と礼衣が目配せした。


 先日の〝魔女〟と同じ方法だ。都合の良い言葉を引き出したのしんでいる。この先へと踏み入れてしまえば、悪い未来しか描けなかった。


 在純アリスマ家は、柊扇シュウオウ火関ホゼキの本家筋に当たる。


 幼い頃から昂ノ介と礼衣は、家名よりも本家を第一に支えるよう教育を刷り込まれた。自らを「先祖から受け継いだ遺伝子を、子孫に運ぶ手段でしかない人生を辿る容器。」だと受け入れている。


 その時期が早い遅い。正しい、間違っていると言う次元ではない。彼らには、何より最優先しなければならない現実だった。


「在純の笑顔って、意外に可愛かわいいな」


「え? 本当に? 嬉しいな」


 士紅の言葉に応えた青一郎は、仄暗ほのぐらおりさえ払拭する陽光を宿すような、飛び切りの笑顔を浮かべた。これ程、見事な破顔一笑はがんいっしょうはない。


「丹布君の顔だって、凄く美人顔だよ。それに、声が良いよね」


「声?」


 美人顔には言われ慣れているのか反応はないが、声を褒められた部分には鸚鵡オウム返しをした。


「芯があるのに輪郭がかすみのようなんだ。でも、主張する音は直線で、重い油みたいな説得力がある。そうだな、ヘーゼルナッツオイルみたいな感じ?」


 言われた士紅は、ここで不可解な仕草をする。誰もいない左側に顔を向けそうになり、その気拙きまずさを打ち消すように右側へと素早く向いた。


「面白い表現するんだな」


 先程の動きに触れさせないためか、間髪入れず話しを入れる。


「ほら、入学式の次の日、俺達に話し掛けて来たでしょう? その時に思ったんだ。。いや、違うな。の声だなって」


 少しだけ前の思い出に、青一郎は話しと笑顔を咲かせたままの様子を見守るのは、昂ノ介と礼衣だった。


 厄介なのは、この二名が、どこまで本気なのかがはかれない事だ。昂ノ介と礼衣は、次第によっては手を打つ必要がある。腹の内で、同時に考えているように見えた。


 この雰囲気に、都長やメディンサリも読書を止め呆気あっけに取られている。


「そうだ。近くの中央図書館に、与ノ更蔵次が、松林で舞っていた原曲が載っている芸能書があるんだよ。持ち出し禁止の本だから、ちょっと不便だけどね」


「興味あるな」


 青一郎と士紅の会話内容が、いきなり一転していた。青一郎は、たまに突拍子もない話しの方向転換を実行する。

 付き合いが長い、昂ノ介と礼衣も追い着けない事がある。その青一郎と会話を成立させている士紅に、目配せで感心しているようだ。


「部活の後って、時間空いてる? 良かったら案内するよ」


「行く。丁度、読みたかった本が戻って来る頃だから」


「……我々も、加えてもらえるだろうか」


 既に話しがまとまってしまった所、礼衣が昂ノ介込みで参加を表明する。


「うん、もちろんだよ。都長とメディンサリも一緒に行かない?」


「俺を、〝我々〟に入れないで~」


「オレも。文字だらけの紙を読むのは、家の用事だけで勘弁して欲しい」


 都長とメディンサリは弱々しく辞退し、大好きな漫画の世界に短い癒やしを求めた。





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