第四十八節 唇は、青少年達の魅惑の入口。 その二




 陽はすっかり傾き、街の施設、車道、歩道もあかりは煌々こうこうと人々を照らす。


 およその大人達も仕事を終え、帰路や交遊に繰り出す時間帯だが、中高を問わず様々な制服姿の学生も溶け込む。


 二階に〝サンローア〟が入る施設は、店の人気や時間帯も手伝い、店内に流れる軽音楽が掻き消される程に込み合っていた。


 サンローアは、公式経済圏の一翼をになう、グラーエン財団が直営し世界展開する珈琲コーヒー飲食店。

 双頭の白獅子のトレードマークの背景には、グラーエン財団の社色の黒・白・青が配される。


 珈琲に加え現地の嗜好しこう飲料、えるに相応ふさわしい接客。飽きさせず、季節に合わせた質の良い商品。くつろぎの場所を厳しく管理され、保持された。


「有意義な時間だった。うん、満足」


「閉館時間まで過ごしてしまったが、大丈夫なのか?」


「心配するなよ。年頃の御嬢さんじゃないんだからさ」


 本日のブレンド珈琲コーヒーの、上質なかおりが漂う店内。図書館での余韻をも味わう、士紅シグレ昂ノ介コウノスケだった。



「お待たせ~。こっちが丹布ニフ君の紅茶のラテ。特級クリームを、たっぷり入れてもらったからね」


有難ありがとう」


「……昂ノ介、受け取ってくれ」


「ああ、悪いな」


 クジで負けた、青一郎セイイチロウ礼衣レイが買い出し係となり、店内飲食のための飲物と軽食を手に戻って来た。


「……丹布も、この時は紅茶なのか。この二人は珈琲コーヒー派だから、いつも肩身が狭くてな」


 街の夜景が見える窓に面した四人掛けの席。援軍を得た気分を含めた礼衣の言葉に、隣の席に座る士紅が握手を求めて、右の白い掌を差し出す。


 整い過ぎる士紅の顔立ちは、まるで「仲間、仲間。」と書かれているようだった。


 礼衣も右手を出し、躊躇ためらわず握手に応じた。


 礼衣は、元々興味があったらしい。中等科の入学式、士紅と出会った一年五組の教室で、昂ノ介が着目した、白の手袋の具合を確認出来るからだ。


「……失礼な事を言っても良いだろうか」


「どうしたんだ? 火関ホゼキ


「……手袋の質感が、全くないのだが。これは、まるで素手同士で握手をしている感じだ」


「凄いだろう。自慢の大伯父の作品だからな。ほら」


 特に気を悪くした気配も立てず、食事越しの非礼に対し詫びを入れてから、次は青一郎、昂ノ介の順に握手を交わす。


 確かに、礼衣が言う通りの感想を二人は持ったようだ。少しぬるめの体温が芯に宿る、人の手の感触そのものだったからだ。


「その大伯父様って、この間の放課後にいらしていた着物姿の?」


「うん、名前は彤十琅トウジュウロウおそれ多い事に、私に就いてくださった、最高峰の〝造り手ツクリテ〟だよ」


「〝造り手ツクリテ〟とは、また面白い言い回しだな」


「私が〝遣い手ツカイテ〟だからな。馴染なじみは、あるんじゃないのか? 巫覡ミカンナキ鍛冶カヌチの関係みたいなものだよ」


 含みがある物言いを残した士紅は、紅茶ラテの温度を確かめるためか、卓に置く白いマグを両の手で包み、すぐ離した。


 まだ、飲み頃ではないようだ。


 およそ一般的ではない巫覡フゲキを、士紅が〝ミカンナキ〟と呼んだ事に、青一郎達は問いもしなければ聞き返す事はなかった。

 言い換えれば、青一郎達も世間とは隔絶した響きを知っている事を証明している。


 だが、言いたい事も聞きたい事も、あふれている雰囲気を漂わせる三人だった。ところが、口を閉ざし紅茶ラテの温度に気を取られている様子の士紅に実行しても、期待を満たす反応は望めそうもなさそうだ。


 それだけは感じていたのか、代わりに三人は話題を店内に求めた。


「いつもの事ながら、ここは混んでるね」


「人の事は言えんが、こんな時間なのに学生の姿が目立つな」


「……娯楽施設もあるし、この辺りは進学塾も多い」


「そう言えば、そうだね」


「こ、こらっ、丹布ニフ。何を見ているっ」


 先程から、やけに静かな士紅が気になったらしく、様子を見た昂ノ介が、その視線の先を確認するなり、少々口早に小声でたしなめる。


「ん? あぁ、仲が善いなと想って」


「あはは。邪魔しちゃ悪いよ」


 青一郎も、人影を縫って視界に入れた風景は、高校生らしき男女が人目もはばからず、若い唇を重ね合う姿だった。


「あれは、見て欲しいからやっているんだろう?」


「……挑発的な。あまり見ない方が良い。絡まれては面倒だぞ」


「それもそうか。いただきます」


 礼衣にも言われて興味がれたのか。士紅はサッパルの特級クリーム入りのラテにくちを付ける。かなり、恐る恐るではあったが。


 見事な士紅の口元を目にした礼衣が、余韻を乗せた話題を振っても、何ら不自然ではなかった。


「……丹布の所には、あの手の愛情表現はないのか」


「もちろん存在するよ。公衆道徳を守るなら、何をしてくれても善いが、趣向の違いかな。あれは好きじゃない」


「ほほぅ」


くちくちだろう? どう考えても不衛生だ」


「う~ん。確かにね」


「……経口感染率は、跳ね上がるな」


 士紅の感想に、青一郎と礼衣も賛同したのは、ここまでだった。


くちなんか、臓物の出入口じゃないか。そんな部位を交わして、何が楽しいのか理解に苦しむ」


 三人は、動きを止めた。


 変だ妙だとは思ってはいたようだが、ここまで独創的な感覚の持ち主だったのかと、肝を抜かれたような衝撃が、彼らを縛り付けたらしい。


「臓物の」


「……出入口、か」


 青一郎と礼衣が、辛うじて反応出来たのは、言葉を反芻はんすうする事だった。


蚯蚓ミミズ海鼠なまこは、特に顕著けんちょだろう」


「止めろ。今は食事中だ」


 やや酸味が強い、ブローム・ナトス産の割合が多い珈琲コーヒーからくちを離し、真っ当な意見を昂ノ介は言う。


「あぁ、悪かった。私は、あれより握手や〝マヌレヴェーエ〟の方が善いな」


 士紅が言う〝マヌレヴェーエ〟は、西の大陸・ルブーレンの挨拶の一つだ。マヌ、と呼ばれる軽めの抱擁ほうようから、レエヴェーエは交互にほおを触れ合う挨拶。

 初対面や、やんわりと接触を避けたい相手には、ルブーレン式の一礼、もしくは握手で済ませる場合もある。


「それって、相手の体温を感じる面積が多い方が良いって事なの?」


「う~ん。そうなるのかな」


「……丹布は、案外寂しがり屋だな」


「それは自覚している」


 付き合いが長い三人は、臓物と蚯蚓ミミズの話しを掻き消したいがために、畳み掛けるように会話を続けていた。


「迷子になるわ、人肌は恋しいわ、まるで子供だな」


 子供と差されて気に食わなかったのか、言い放つ昂ノ介を見て想い至ったのか。士紅は似紅にせべに色の双眸そうぼうを、意味あり気にすがめて言い返す。


「成る程ね。柊扇シュウオウとは唇など、とうに交わし終えていたんだな」


「ナッ、何を言い出スンだ! 〝あま子さん〟は、アのような下品な女ではない!」


 普段、気は短いがきもわっているはずの昂ノ介の声が引っ繰り返る。


「ほ~ぉ。柊扇のと言うのか。しっかり覚えておくよ」


 この上なく満ち足りた笑みを咲かせた士紅とは反対に、昂ノ介は墓穴を掘った上に急所を穿うがたれた。耳のふちをも真っ赤に染め、うつむいてしまう。


 その肩に、軽く手を置いて慰める青一郎の顔には、微笑ましいやら可笑おかしいやらか、困り顔に見える笑みが浮かんでいた。





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