第四十四節 プリヴェール=ルーヴメイア=グリーシク。 その一




「おはようございます」


 通い慣れた施設のエントランスは、時間帯を問わず清められ、庭球を愛する人々を迎え入れてくれる。


 ここは、リメンザのセツト支部。朝も早い頃合いに、〝リメンザの申し子達〟が揃って訪れた。


「おはよう。この時間にお揃いで来るなんて、久しぶりよね」


「部活は楽しいかい?」


 幼少の頃から通う彼らは既にお馴染みで、受付にいる職員も見知ったもの。会話も砕ける。


「……同じ年頃の仲間が多いと、雰囲気も変わり楽しいです」


 使用者受付簿に、氏名を記載していた礼衣レイが薄く笑顔を浮かべるながら答える。


「それにしても驚いたわ。あんなに嫌がっていたのに、蒼海ソウカイ学院の庭球部に入っちゃうんですもの」


「聞いた時は、正気を疑ったよ」


「我々もです」


 昂ノ介コウノスケの言葉に、エントランスは老若男女の笑い声が重なって響く。早朝との事もあり、思わず大きく通る声に留意したのか、職員の一人が声を落として話しを進める。


「おおっと、そうそう。丹布ニフ士紅シグレ様が、Aコートに入られたよ」


「丹布君、もう来てるんだ。早いね」


 赤いバッグを肩に掛け直し、青一郎セイイチロウが素直な感想を述べた。


「ああ、そうだな」


「美しい女王様と一緒よ~」


「失礼だぞ」


は、女王様と呼ぶに相応ふさわしいと思いますけど」


 職員達の会話から性別を聞き取った青一郎が、馴染みの二人に話し掛けた。


「丹布君が話していたって言う、お連れの方かな。女性だったのか」


「性別は聞いていないが、連れがいるとは聞いている」


 昂ノ介は、流れで青一郎に目を向けると、そこには見慣れない表情がある。


 青一郎の平素は、穏やかで欲を表に出さないが、今は感情の色が差す。それはまるで、嫉妬に染まる思いを抑えるような、にがみを含んでいた。


 まさかな。そんな、内心に生じそうな見えない芽を折った素振りも見せない昂ノ介は、青一郎と礼衣をAコートへとうながす。


 もちろん、後に来るであろう都長ツナガ蓮蔵ハスクラを案内してもらえるように、受付職員に礼をもって委託する事を忘れなかった。




 ○●○




 早朝の屋外コート。澄んだ空気が、都市部とは思えない広さと、緑地帯を満たしている。


「肘に変な力を込めるなよ。怪我するぞ。腕と得物ラケットの重さで、振り抜く感じ」


「こんな感じかしら」


 振り抜き様、女性が手にする黒地に黄緑が入るラケットが、空を切る最小限の音が立つ。


「うん、善いね。やあ、おはよう」


「あら、お噂のお友達ね。ご機嫌いかが?」


 気付いた士紅が、まずは挨拶。続く異なる声色の主に、否が応でも三人の視線が釘付けになる。


 女性が立っていた。女性と言う、生きた文字に服を着せたなら、三人の視界を奪う相手になると迷う事なく言い切れる。


 そこには、女性がうらやみ妬む総てを集約した姿がある。華麗な生まれ、学歴、経歴、美貌でさえも。


 成人には珍しい、プラチナブロンドの艶やかで長い髪。今は首の後ろでまとめられていた。翡翠色ひすいいろの瞳は、多くの罪を誘引した事だろう。


 婉然とする表情。有名銘柄で薄桜色うすさくらいろの冬用運動着に包まれていても、隠せない魅惑の曲線。やや低いが蜜の声音。


 淑女達の憧れの的。それが彼女の肩書きである事を、彼らは知っていた。


「今日は、突然お邪魔してしまって御免なさい。庭球は久し振りなので、色々教えて下さると嬉しいわ。改めまして。プリヴェール=ルーヴメイア=グリーシクです」


 綺麗なリュリオンの、お辞儀を披露する淑女。その姿を受け、三人も動揺を伏せ、礼を欠かす事なく返す。


「な? どこかで会った事があるだろう」


 遠慮がない士紅シグレの言葉が、気付けとなって三人を現実に引き戻したらしい。


「ルブーレン社交界の薔薇の君。その上、リメンザ創始者に連なる方だもの。色々な意味で恐れ多いよ」


「ルブーレンの神話になぞられ、女神・フレク=ラーインの別称を持つ姫君でもありますよね」


 青一郎の言葉尻に乗り、職員の案内で到着した蓮蔵が名を差した。随伴ずいはんの都長は、深い一礼で挨拶に代えている。


 フレク=ラーイン。


 ルブーレンには、前王朝から引き継がれる権威ある土地がある。その名はマーレーン地方。その場所の古い言葉で〝金糸の束を紡ぐ女神〟にあたる。

 無実の罪で非業の死を果たしてしまった、気の毒な魂を包む布を織る、慈悲深い女神。紡がれる糸にあやかり、跡取りを失った大家を継ぐため、縁組みされた者の敬称として使われる。


 およそ、二〇〇〇年前にシシュトーヴ王朝が倒れた頃には、血統に頼らず実力者や縁者を養子に引き入れる、名跡みょうせき制度が積極的に取り入れられている。

 ルブーレンでは、十六歳になると成人の扱いになる。成人式に当たる〝雛鳥の巣立ち〟に参加者した者は、国籍家名を問わず〝紳士・淑女〟の爵位が与えられる。

 最下位ではあるが、社交界の出入りが許され、それだけで平等に機会が広がると言えた。


 幼い彼らだが、フレク=ラーインに込められた、古い時代から続く願いや皮肉も心得ていた。





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