三の幕 華の雲

第三十七節 質素だった士紅が、贅沢に成らざるを得なかった〝造り手〟の存在。 その一




 本日の放課後は、抜けるような晴天。気温の上昇は本格的な春の陽気を満たし始める、四月の入口。


 若い声が、抑え切れない期待と結果への積み重ねを、惜しまない努力と決意を込めたように響き渡る。


「この程度で顎を上げるとは何事だ!」


「だ~あ! 上等だっ。もう一球いっきゅう、来い来い!」


「良い心掛けだ」


柊扇シュウオウ君~、あまり都長ツナガ君を、追い詰めるんじゃありませんよ~」


「はい!」


 新生した、蒼海ソウカイ学院中等科男子硬式庭球部が、軌道に乗り始める。コートに立つ部員達が、生き生きと庭球との距離を近付けた。


 コート周辺に並ぶ、春の草木が花を開こうと、今よ今かとれているように見える。


「なあ、丹布ニフ。昨日借りた風呂敷ふろしきさ、どこの製品なんだ?」


 顧問・監督の深歳ミトセから、休憩を挟みながらの素振りを一〇〇〇本。左右それぞれに、言い渡されていたのは士紅シグレだった。

 最北の第一だいいちコートから少々離れた場所で、出された課題に黙して応じる士紅に、メディンサリが尋ねている所だった。


 話題に出ていた風呂敷。


 昨日、メディンサリは居残り課題を渡された。鞄に入る余裕もなく裸で持ち歩いていた所、士紅が風呂敷を寄越よこして器用に包んでくれた訳だ。


 無論。御礼と共に、朝一番で返却は済んでいる。


「実はよ。母が、あの風呂敷を気に入っちゃって。是非とも聞いて欲しいって頼まれちまってさ」


 素振りの数が飛ぶ事を怖れてか、士紅は沈黙したままだった。


「でさ、手に入りにくいなら、紹介して欲しいとも、言われて、その」


 無言で素振りを続行させる士紅に、徐々に罪悪感がにじんで来たのか。メディンサリの言葉が途切れがちになる。


「わ、悪ぃ。数えてるよな。また後にするぜ」


 メディンサリは状況を考え反省したらしく、一旦退こうとした。


 そこで、士紅は突然。右掌の内側で遠心力を利用し、握り部分グリップを甲に巡らせ一回転させる。流れで、肩の高さで水平に得物をコンチネンタルで取る。


 再び、てのひらで一転。握り部分グリップを逆手に持ち、さらに一転させ、腕と得物ラケットを下ろした。


 士紅なりの処理運動のようだが、演舞に見える辺りは、華麗な所作の成せる技と言える。


「お気に召されたのなら譲るよ。あれ、一枚しかないから」


「一点物かよ。そんなのわりぃに決まってるだろ。じゃ、店を教えてくんね~か?」


 士紅は、また黙ってしまった。


「もしかしたら、規定か何かで口止めされてんのか? 風合いから、あの風呂敷は〝九央クオウ〟の代物じゃないかって、母も言ってたからよ」


 メディンサリがくちにした物々しい内容は、一言で表すと〝超上流階級〟の常識だった。


 そもそも、九央クオウとは。


 宇宙空の海を、人の命を費やして渡るには、幾らあっても辿たどり着けない。そこで重要になるのが、各生命活動領域であり、経済交流圏の外縁がいえんを繋ぐ〝街道カイドウ〟と呼ばれるだった。


 街道カイドウの発見に始まり、使用・所有・管理維持を占有する事は〝公式経済圏コウシキケイザイケン〟の証しであり、必須条件の一つだった。


 街道カイドウは、使用権益によって莫大な富を生み出す。


 公正な競争かと思われるが、許可・範囲指定・分配は、公式経済圏コウシキケイザイケンでも、限られた三勢力に独占されていた。


 そのような、仕組みも維持管理の方法も独占される、いわく付きの街道カイドウ。だが、利用すれば、遠く離れた経済圏・九央クオウ公式経済圏コウシキケイザイケンの距離感で表すと、〝斜向はすむかいの御近所さん〟になる。


 正式には、公式経済圏第三等級指定・ゼランシダル。


 九央クオウは、圏内に属する国家の一つ。指定を受けてから既に、渡航制限が掛かる程の希少価値の宝庫。

 それは、かたくなに守られる人の手による工芸・農作物文化と、精神文化、景観の継承を保護するため。


 輪を掛けるのが公式経済圏コウシキケイザイケン双璧そうへき〝グラーエン〟と〝グランツァーク〟の最高執行責任者であり、総会長の双方が御自ら、経済圏参入の整備を行った経緯いきさつ


 好待遇とも言える、安全保障の観点においても尋常ではなく周囲からも特別視されていた。


「あ~、済まん。気ぃ悪くした?」


 人に囲まれて生きているメディンサリですら、士紅が普段から何を考えているのか掴み辛いらしい。表情が読めない事から、先に謝ってしまおうと、まず気遣いを立てたようだ。


「気を悪くするのは、メディンサリの方だと想う」


「は?」


「これさ。皆と同じ、学校指定の体育着に見えるだろう?」


「あ? あぁ」


 士紅はいている左手で、左側の肩の生地を軽くつまんで見せる。


 どこの学校でも見られる事だが、学年ごとに色が振り分けられ、この蒼海学院中等科も例外ではない。

 二四二八年度の、新入生に割り振られた色は、桃染ももぞめ色。

 女子生徒には受けが良いが、男子生徒にとっては流行色で桃色系統が来ない限り、ハズレと言えた。


 古来より、桃は生命力と魔除けの代名詞。ここ、リュリオンでは春の訪れの兆しを報せる善き象徴だ。

 しかし、六千年以上続いたとは言え前期〝ヤトモロ時代〟の風習を押し付けられても、現代を生きる男子中学生にとっては、複雑な気分にさせられる者は多い。


「違うんだ。が仕立ててくれた、立派な校則違反の体育着」


「へぇ~、仕立てって、はぁ!? 何で? そんな手の込んだ事すんの!? どっからどう見ても、オレらと同じ、桃色体育着じゃねぇか!」


「〝お前の身に触れる物は、総て私が造り上げる〟。ある意味、常軌を逸した方だよ。学生服から鞄から何もかも総て、私の周囲は大伯父の手による物であふれている」


 確かに、その〝遠縁の大伯父〟と言う御仁ごじんは、異常だとメディンサリは思ったとしてもくちには出せなかったようだが、母親譲りの顔には克明こくめいに表れてしまった。


「身に触れる物って、まさか、そのラケットも?」


 士紅は、大きく一つうなずく。量が多い岩群青いわぐんじょうの前髪が、凄まじく整う容貌ようぼうの鼻先まで覆う。


「道理で、見かけない配色してると思ったよ。黒・白・赤の配色。お手製って事は、他に特徴とかあんのか?」


「そうだな。あぁ、丁度善い所に。柊扇、これ持ってみろよ」


 都長を叩き伏せ、涼しい顔でコートから戻って来た、新副部長・柊扇シュウオウ昂ノ介コウノスケを眼に留めた士紅。


 握り尻グリップエンドを支点に回転を付けながら、士紅は昂ノ介に向けておのれ得物ラケットを放り投げた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る