第二十七節 雄飛、その兆し。 その三




 冬の鈍色を思わせる色調の監督室。人の声は途切れ、静音設計されているはずの、空調や機器関係の作動音が支配していた。


 言葉の一つ一つ。


 どれを取っても、質問責めになる深歳ミトセが語る内容。八名が、それぞれに発言を試みる気配と表情を押さえ込み、なおも続ける。


「結果を見て、君達は全国大会向けの強化選手になってもらいます」


「一つよろしいですか」


 挙手をして、発言の許しをうのは、典型的なルブーレンの美少年。金髪碧眼のメディンサリだった。


「どうぞ。メディンサリ君」


「こちらの慣例によれば、大会に参加する正選手の選抜は、最上級生の六年。そう、聞き及んでおります」


「七件」


「え?」


「ウチに対外試合を申し込んで来た、周辺校の数です。新年度の庭球部にしては、多いと思いませんか」


「……確かに、その通りです。蒼海ソウカイの成績は、地区大会すら突破していません」


 礼衣レイが、ここ数年来の蒼海学院中等科・男子硬式庭球部の戦績を述べる。


「その通りです。簡単に勝てるので、景気付けになるんですって。弱体化していても、伝統校ですし。まるで咬ませ犬。そんな扱われ方、どう思います?」


「冗談ではありません」


 深歳の言葉に、打つ鐘の勢いで応えたのは一層、不機嫌さを増した士紅シグレだった。


「犬は可愛いので大好きです。しかし、そんな扱いに甘んじているような者は、その性根を叩き伏せます」


「あれ、丹布ニフ君は伏せるだけで、直さないの?」


 青一郎セイイチロウが、士紅の言葉に反応する。


「起き上がって来たら考える」


「うむ。それは、俺も賛同する」


 毎朝欠かさず整える眉を寄せ、昂ノ介コウノスケうなずいて見せる。


「私は、蒼海で全国へ行くために入学したのです。ここは茶話室や、社交場ではありません」


柊扇シュウオウ君、丹布君の理念は横暴ですが、全部員が横並び、仲良く手を繋いで通れるほど、甘い舞台ではないと覚悟をしております」


 静かに、改めて蓮蔵ハスクラが一同の様子を確認し、自身の思いを伝える。


「それは、全国への挑戦状を叩き付けたと、受け取っても構いませんか?」


「はい!」


 八種類の声は、打ち合わせもなく揃う。


 深歳の黒い瞳に鋭い気迫が宿り、いどむ色を込め、新入部員八名に視線で確認を取る。


 世界をり、渡った者だけが持つ、稀少な圧を鼓舞と変換し、彼らは受け止めているようだった。


 間髪を入れず、決意を放った八名の返事を腑に落とし込んでいるのか。深歳は、いつもの締まりのない笑顔に戻ると、一つ、長く瞳を閉じ、開く。


「君達は、私の事を知ってくれているようですし、これ以上の御託も、必要なさそうです」


「庭球に触れる者として、気付かない方が珍しいです」


「……先輩方の、知らな過ぎる態度には驚きました。中には、気付いた先輩もいらっしゃいましたが」


「そんなそんな~。現役引退から随分経つし、気付かない人の方が多いですよ。それより、君達は、私の奥さんの方に馴染みあるんじゃないですか?」


 昂ノ介と礼衣の言葉に照れながら、深歳は年令の割に若い笑顔を浮かべる。


「話しには聞いとりましたが、お子さんの事までは、気ぃ回りませんでした」


「あ、お子さんのお名前、聞いても良いですか」


唯至タダシです。自分で決めた事を信じて、真っ直ぐ生きて欲しくてね」


 千丸ユキマルと青一郎の言葉に、深歳は競技者の顔から父親の顔になる。


「良い名前~」


「それでは」


 都長ツナガの感想を笑顔で受け止めた深歳は、話しを戻すため、大きく厚い手の平同士を二度と打ち鳴らし展開を促す。


「対外試合は一週間後。それまでは、普段通りの部活動に専念してください」


「はい!」


「誰かに尋ねるも良し。家名を頼るも良し。好きにしてくださいね。では、解散~」


 八名は、もう慣れた様子で声を揃えて返事をする。満足顔で深歳は指示を閉める。


「よ~っし、今日も球拾い、気合い入れてやるぞ~!」


「頑張るしかないのぅ」


「これにて、失礼します」


 八名は、退室の挨拶を深歳に送りながら練習場へ向かう中、深歳は狙って士紅を呼び止める。

 偶然、近くにいた青一郎に遅れる旨を伝え、仲間を見送ってから、士紅は静かに顧問室の扉を閉じた。


「何でしょう」


「〝群狼グンロウさん〟も、中学生相手に加減をするんですね」


 普段より増して表情を消した士紅の変化に、即座に気付いた深歳は焦りもせずに言葉を切り出す。


「本当に怖いですね。殺さないでくださいよ。イ=セース様より、学校生活の補助を頼まれたのです」


 深歳ミトセは、士紅のを心得ていた。その点を把握した上で、士紅は会話を続けるつもりのようだ。


「ついでに言うと奥方は、グランツァーク系列の製薬部門の一翼〝深歳医療製薬〟の跡取り。しかも、プリヴェール=グリーシクとは、連堂レンドウ学園時代からの大親友だ」


「妻の伝手つてとは言え、懇意にしていただいて有難ありがたい限りです。と、言う事で、学校生活を思う存分に楽しんでください」


「楽しむって、遊びに来た訳ではないよ」


「私には、分からない事です」


 深歳の眼鏡の奥が、締まりなくゆるんでいるが、決して油断ならない剣呑とした物がひらめく。


 下手をしたのなら、会話の一文字も伝えられず果てる可能性がある状況で、明らかに楽しむ節が見え隠れする。


 しかし、士紅はくちにした深歳に、不審感を露わにする事はない。


「さすがは、の知り合い。喰えない御仁ごじんだ。


「いえいえ、恐縮の限りです」


「では、失礼致します」


 言葉と姿勢を整え、改めて一礼したのち、出口へと向かう士紅は再び深歳に呼び止められた。


「丹布君」


「はい」


「全国へ行く約束、今更いまさらナシなんて言わないでくださいよ」


「当然です。私は、対陣にいる相手に負ける訳には参りません。改めて、失礼致します」


 今度は、いとまも与えず、士紅は退出した。ほとんど音を立てずに閉じられた扉を見詰め、その姿に何かを感じ取ったと思われる深歳は、吐息と共につぶやく。


「確かに、あの様子は、何かを抱えていらっしゃいますねぇ。イ=セース様」


 視線を落とせば、欲が満たされて安心したのか、愛する我が子が小さな寝息を立てている。


 この平穏。この多幸感を何よりも尊いと思えるのは、ただ親になったと言える現状だけではない。死力を尽くし、支え護られる場所があってこそだと気付けた事だろう。


 日々の感謝の思いにひたっている気配を立てる深歳は、ある事に気付いた。いた声がむなしく一室に散る。


「しまった! させるの忘れてた。だ、大丈夫かな」





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