第二十六節 雄飛、その兆し。 その二




「フぎゃ~ァァァア!!」


 石段で高台へ向かった先には、高等科との共有する特別校舎がある。その一階部分に設置される、運動部顧問が待機するための一室に、八名は収まった。


 大音量の泣き声が、無個性な部屋に響き渡る。留守役・用事を処理する教師達が非難がましく一蔑いちべつし、関わりを断つように一人残らず顧問室から屋外へ退席した。


 役割を放棄する大人達に構う事はせず、八名は問題の打開を果敢かかんにもこころみた。


「おぉ~。部屋に入ると、一段と声がデカく感じるな~」


 声の大きさに感心した都長ツナガが、第一声を切った。


襁褓おしめが濡れているのでしょうか」


「う~ん。替えたばかりだな」


 蓮蔵ハスクラ危惧きぐ受けた士紅シグレは、左手で乳幼児を膝の裏からすくい抱く。右手で、その尻に軽く触れ、具合を確かめる。


 すると、間が短いもった電子音に数名が気付き、千丸ユキマルが音源を探し当てた。


 それは、誰かの私物の鞄。泣く幼子おさなご。タイマーの音。この二つを繋ぐ可能性の一つを、青一郎セイイチロウは言葉に出した。


「あ、もしかして、お腹が空いているんじゃないかな」


「……恐らく、この子は三~四カ月。人工乳も与えられる頃だ。その場合、食事の間隔は、およそ三~四時間。青一郎が言うように、空腹の可能性は高いな」


火関ホゼキ、良い親父になれるぜ」


 礼衣レイの知識量の多さは周知だが、まさか乳幼児の事まで範疇はんちゅうだとは思わなかったらしい。メディンサリが、なかば呆れつつ感心する。


 私物に触れるのは気が引けた。乳幼児用の鞄は、別扱いで分けられていた事に着目した彼らは、事後承諾を覚悟で乳幼児の食事を作成するに至った。


 持ち寄る知識と経験で、全員消毒し、哺乳瓶と人工乳を探す。そこで、士紅が乳幼児を片手で縦抱きをしながら探す姿に、昂ノ介コウノスケが仰天する。


「愚か者! 赤子を片手で持つな! 粉乳くらい、俺が探す!」


「心配するなよ。落とさないから」


「うるさいっ」


 広さとしては、教室が二つ分。空調も申し分ない温度と湿度が保たれ、脇には簡単な調理も可能な給湯室もある。

 男子生徒が数人寄り合い、乳幼児のために食事を用意しても余裕があった。


 粉乳を発見し、説明文から分量を確認する班。乳幼児を子守りする班に分かれ役目を果たす。


「うわ~、甘ったるい匂いだな~」


「乳幼児、特有の香りですね」


「何だか新鮮」


 士紅から引き継いだ蓮蔵が、乳幼児を安定した様子で腕に抱く。そこに、都長とメディンサリが興味深くのぞき込んでいる。


「もうすぐ、君のご飯が出来るから待っててね」


 青一郎の言葉に応えたのか、乳幼児は声量をを増した。空を探る小さな小さな手を、自らの指に掴ませ、安心感を与えてやる。


「ははっ。ちゃんと握ってる~。可愛いな~」


っせぇ手だなぁ。それでも動いてるし、生きてんだな」


 生命の神秘を前に、都長とメディンサリが感慨深い思いを巡らせているようだ。


「名前、聞いておけば良かったね。名前を呼べば、少しは安心してくれると思うんだ」


 青一郎の意外な着眼点に、周囲の目が集まった。


「え、あれ? 俺、変な事を言ったかな」


いいや、至極真っ当な意見だと感心していた。固有名詞には、意味などない。だが、特定や指示機能がある。それに、名を呼ばれると普通に嬉しいものだ」


 今度は、士紅に視線が集中する。論点の乱反射に、聞いていた者は笑い出した。情報処理が追い着かないための愛想笑いではない。理屈ではなく、心当たりがあったからに他ならない。


 彼らは、名家の出身だ。彼らが望む思いを込め、一体どれ程の相手が、彼らの名を呼ぶのだろうか。

 背負う家名や利潤業績の付属としてではなく、彼ら個人を差し、生身の彼らを直視してくれるのか。


 その不安を、笑い飛ばしているかのようだった。


 そんな中、共同で作り上げた食事の出来を、満足気に撹拌かくはんする昂ノ介がやって来た。乳幼児を抱えた蓮蔵の近くにいる上、手持ち無沙汰ぶさたの士紅へと、断熱の役割を果たしていた白いタオルごと哺乳瓶を渡した。


 今までの対応から判断した結果、士紅に給仕を頼むのが妥当だと、昂ノ介は踏んだらしい。そんな様子を見守っていた礼衣が、即座に忠告を放つ。


「……丹布ニフ。まずは、人肌に冷ます必要があるぞ」


「あぁ、そうだったな。危ない危ない。今は、どんな感じだ?」


 何の躊躇ためらいも、悪気もなく。当然の行動と信じて疑いもせず、士紅は手にする哺乳瓶を、隙だらけの昂ノ介の首へと当てた。


「ァあッついッッッ!!」


「そうか。まだ熱いのか」


「いきなり何をする! 丹布ッ!」


「人肌かどうか、柊扇シュウオウの首に当てて確かめた」


「本当に説明するなッ! 熱湯を入れたばかりで、人肌も何もあるか! 自分の首で確かめろ!」


「狭量な事だな。減る物ではないだろうに」


「くっ、こいつ!」


 昂ノ介と士紅の掛け合いを見ていた面々は、笑いを噛みこらえている。そんな昂ノ介を救助するため、それぞれ動き出す。

 見れば、徐々に赤味が濃くなっている。その首筋を冷やすため、保冷庫を物色していた千丸が、普通の透明な氷の他に、白い氷を発見した。


 容器に記された深歳の名前と色と、以前、母親が取っていた方法と、同じ事から察した蓮蔵が、母乳を凍らせた物であると見当付ける。


 渡りに船とばかりに、凍らせた母乳で温度を下げる。人肌に至ったかどうかを確認するため、士紅が昂ノ介を見れば、隙のない恨めしい視線が返って来た。


「隙がない。面白くないな」


「うん。大丈夫、人肌まで冷めているよ」


 代わりに、青一郎が温度を確認する。乳幼児が食事の匂いや気配を感じたのか、泣き止んで青一郎が持つ目標に向かって、小さな手を掻いている。

 その流れで、青一郎が哺乳瓶の口を添えたなら、懸命に口を動かし、生きる本能の全部を使って吸引し始めた。


「うわ~、すげ~すげ~」


「美味しそうに、飲んでいますね」


「ははっ。こういうの見てると、顔が締まんねぇな」


「……昂ノ介も、例外なくな」


「あははっ。本当だ」


「鬼瓦にも笑顔やの~」


 仲間達が、口々に感想を言い、最後は昂ノ介に焦点を当てて茶化す。そこで、自身の表情の変化に気付いたらしい昂ノ介は、顔を戻し体勢を整えた。


「何を見て」


 士紅の言動も含め、説教の一つでもしてやろうとした昂ノ介が、出入口の扉の変化に気付き、言葉が途切れてしまった。


 直後、深歳が姿を見せた。待たせた事と、愛息に食事を作ってくれた八名の心遣いに、謝罪と感謝を伝えた。


 士紅は子を親に戻し、青一郎は深歳に対して一同に整列を促す。受けた深歳は、姿勢を正し新入部員に伝達を開始する。


「一週間後。連堂レンドウ学園の中等部と、対外戦を行ってもらいます。相手は進級前の一年生ですが、ウチとは年度が違うので、実質的には二年生ですね」


 唐突な内容に、それぞれの声が出なかった。育ちが良い彼らの表情は怪訝けげんと不可解、驚愕に染め上げるだけで精一杯のようだ。


 ただ、一名だけが無表情を通していた。





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