第二十四節 仮面の隙間。 その二


 普段は、授業に使用される体育館。高い天井、煌々こうこうと照らす人工の照明は、過不足のない明度を満たしている。

 それでも、天然の明度にはかなうはずもない。陽光を味方にしているためか、青一郎セイイチロウの表情にかげが差しているように見える。


「あれ程、挑発には乗るなと言ったはずだよね。昂ノ介コウノスケ


「それは分かっているが、あいつらは、事もあろうに、コートを酒や煙草の灰で汚したんだぞ!」


 屋内コート上に散る濁った液体や、形を失った灰をし、正当性を主張したが、相手が悪すぎた。

 昂ノ介が全面的に正しくても、声を張り自身を奮い立たせようと、今の青一郎には一切通じない。静かに、確実に、昂ノ介の勢いをぐ。


「俺達が拭けば済む事だよ」


 昂ノ介は、もう黙るしかなかった。青一郎は、どこか突き放す言葉の余韻を昂ノ介に預ける。その後、澄んだ黒の視線を少し移し、士紅シグレに向けた。


「それと、丹布ニフ君。俺達をかばう必要はないよ。自己責任くらい負わせないと、昂ノ介のようになる」


「……青一郎。それは、いささか言い過ぎではないか? 昂ノ介は、そこまで愚かではない。少なくとも、自身の意見を通すために、丹布を盾にする者では」


 礼衣レイは、すかさず昂ノ介を弁護する。しかし、それすらさえぎり、青一郎は言葉を貫く。


「結果、そう言う状況になってるよね。昂ノ介は、もっと周りが傷付かないと分からないのかい? 個人の勝手な判断とおごりが、集団の輪を乱し、ほころびを生む。今のようにね」


「申し訳ない」


 青一郎の言葉を腑に落とし、恐れ入る様子を見せる昂ノ介だった。仮入部員達は、誰も責めようとはしない。この惨事に至るまで、一言も動きすら挟めなかったからだ。


 素直に謝罪する昂ノ介の姿は、潔く映る。見守る仲間は、自身の立場が昂ノ介なら、見苦しさなく果たせるかどうかを想像していた事だろう。

 それぞれが視線を交わし合う風景は、昂ノ介を尊敬せざるを得ないとの感想に至ったらしい。


 一方。増して態度をめた青一郎に見据えられ、先輩達は無様な声や態度で萎縮する。


「先輩方も、いつまでこんな事を続けるつもりか知りませんが、無駄です。ラケットが握れなくても、コートに立てなくても、我々は競技者としての自負があります。先輩方よりも、大きな誇りを持っています。我々のこころざしを折る事など、不可能です」


 普段は穏やかで、周囲の話しに気後れする程、相手を気遣きづかう青一郎の姿が、まるで別人のようだった。


「なッ、何だと! その態度が生意気なんだよ!」


 庭球の同士としての先達せんだつを立て、辛うじて敬語を残しているだけの青一郎は、その一言には反応せず、昂ノ介と士紅を呼び寄せながら口実を切った。


「負傷者の手当てのため、仮入部員八名、一時、退出します」


「保健室は勘弁かんべん。騒ぎになる」


 士紅は、この期に及んで冷静な発言をした。対した青一郎は、先程までの態度を一転させ、仲間達が見覚えている穏やかな雰囲気に戻っていた。


「傷が深いし、あとになったら大変だよ」


「っははは。歳頃の、お嬢さんじゃないんだから、気にしないよ」


「……そうかもしれないが、酒気を含んだ体育着は何とかした方が良い。揮発きはつする酒気を吸えば、支障が現れるぞ」


 本来の調子を取り戻した一人、礼衣が具体的な心配する。


「名前だけの、雑な保存で台無しになっている酒だし、悪酔いするかもしれないぜ」


 運動時にはポニーテールにしている髪型をほどき、上流階級の香り慣れた風な発言をするのはメディンサリだった。


「それは困るな」


「部室に行きましょう。今は部活動の最中ですから、生徒の姿もないはずです」


 出遅れた分を埋めるように、蓮蔵ハスクラは丁寧に提案する。


「だな~」


 短い賛同の割りに、都長ツナガは先導するつもりらしく、既に入口に向かっていた。


「しかし、在純アリスマは怒ると怖いのぉ」


 言葉とは裏腹に、千丸ユキマル暢気のんきな調子で流れに続いた。


「え? そんな事はないよ」


 許可も返事も待たず、八名は揃って屋内練習場を後にする。


 残された庭球の先達は、言い返せず、追う事も出来ず、遠く離れ、声も届かなくなった者に対する悪口雑言を吐き散らす事しか出来なかった。


「所でヨ。このままで良いのか?」


「良いワケないだろ! かまってやってりゃ、調子に乗りやがって!」


「でもよー、これ以上はマズくねー? 主に、ワケ分かんねー外圏人がいけんじんがケガ作ってるけど、他の奴は親が出て来ると面倒臭めんどくせーぞ」


「こりゃー、穂方ホガタさんに出て来てもらうしかねーな」


 二十人を越える集団が、口々に話題を変えながら部活動終了時間を待たずに、帰宅の途に就こうとしている。


 未成年が通う学舎に相応しくない痕跡もそのままに。


 その様子を、たっぷり間を掛けて見送った後。無残な庭球部屋内練習場を入口から覗き込む、白衣姿の男性の人影が飄々ひょうひょうと現れる。


「コレは、あの方の清掃能力を、今まで以上に発揮してもらわないとイケませんねぇ。うんうん」


 陽に焼かれ少しだけ茶色掛かる黒髪に、黒い瞳の典型的なリュリオン人。年格好は青年以上、壮年未満。

 厚みのある、藍色の縁をしたオーバル型の眼鏡の奥には、これから始まる変革の序曲の期待に瞳が輝いている。


 無論、本人も序曲を奏でる演者の一人として、参加する責任と成功へと導く事を信念に刻み、彼は再び戻って来たのだった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る