第二十三節 仮面の隙間。 その一




 仮入部期間終了を、数日前に控えた放課後。屋内練習場、部活開始前の清掃中、事件は起きる。


 ラケット破損事件以降、年令を疑いたくなる嫌がらせは日々続き、仮入部員八名は毎日、生傷が絶えなかった。


 八名は、基本的に先輩部員の不要な言動には無視を決め込んでいた。しかし、無抵抗が裏目に出たのか悪意を助長してしまう。

 稚拙ちせつな精神の持ち主のように振る舞う部員達は、今日、持ち込みの道具を投入する。


 親元から持ち出して来たのか。子供には縁がないはずの高価な洋酒、巻き煙草を見せつけた挙げ句、屋内練習場の床に酒を撒く。

 咳き込みながら煙草に火をけ、その灰をコートに落とした。そこで、昂ノ介は堪忍袋の緒を引き千切ちぎった。


 昂ノ介は、決して手は出さなかった。その代わり、正面を切っての説教と、仲間に対して重ねて来た暴行と無礼を詫びるよう求める語気は、目上の者に対する物ではなかった。


 部員達は明らかに憤慨し、昂ノ介に対し、今にも込めた敵意を行動に移そうとしている。


 庭球競技者にとって、聖域に等しいコートをけがし、今まで耐えて来た自身の事ではない。あくまでも、仲間に対する中傷と非礼を思いながら、感情を爆発させている様子の昂ノ介を、この場にいる仲間では止められなかった。


 今日に限って、止められる可能性があった、青一郎セイイチロウ礼衣レイ士紅シグレが揃って所用で遅れるとの事だった。


 〝指導〟の名目で、昂ノ介に絡んでいた先輩部員が間を詰め始めた。

 一人は、昂ノ介が手にしていた床磨き用の清掃用具を奪う。もう一人は、空になった酒瓶を手に、武器を持った側の歪んだ優位を、ためらいなく振り下ろした。


 昂ノ介は、一歩も動かない。相手の挑発には剰らないようにと、仲間と堅く約束を交わし合っていた。

 にもかかわらず、破ってしまった昂ノ介は、おのれへの戒めとして、甘んじてむくいを受け入れる覚悟は出来ていたらしい。


 起きるであろう衝撃と痛みに備え、目力めぢからがある黒い瞳を閉じる。


 視界が閉じられた世界で、昂ノ介の感覚に触れたのは聴覚だった。骨や締まった肉、筋に無機物が当たって砕ける鈍いいやな音。


 それらの破片が、床に散らばる硬質な音が、周囲に響いた。


 どれもが、大怪我に繋がり苦痛に直結する物だったが、何故か、その痛みは昂ノ介には届かなかった。


「破片、踏むなよ」


 突然、昂ノ介の前方から発生した気配に、黒い瞳を解放した。そこには、振り返った士紅の顔が、不敵に笑っていた。


丹布ニフ?」


 愕然とする昂ノ介コウノスケの眼前には、丹布ニフ士紅シグレが立っている。昂ノ介よりも、少しだけ高い位置の背を向け、その凶行を身をていし防いだ事は明らかだった。


 床には、士紅の頑丈さに負けた清掃用具の柄が折れて横たわる。硝子片、庭球の球が数個が散らばっていた。


 くすみ、黒子が一つない士紅の左頬には、真横に打撲痕と深い擦過傷さっかしょうが走る。学年別に色分けされた冬用の体育着にも、得物えものが接した跡や、飛沫ひまつした残り酒が染みが範囲を広げていた。


 体育着の下には、想像するにしても大きな怪我を負って居るはずだ。だが士紅は、筋一つの苦痛を浮かべず、不敵な笑顔も崩れる事はない。


「丹布、お前」


 事態の前後を受け、喉が締まる思いの様子の昂ノ介。言わんとする事を、汲んだらしい士紅が先に言葉を繋いだ。


「心配するな。鍛え方が違うと言っただろう。折れた所も、潰れた所もないよ」


 端整な士紅の笑みは健在だった。昂ノ介の見立てでは、急所を外し凶行の八割は受け流し、顔の傷以外、痛めている様子は見受けられない。と、察しを付けたらしい。


 そのためか、少しだけ昂ノ介も緊張を解き、後ろめたさに支配されつつ口を開く。


「それは何よりだが、お前が受ける怪我ではなかったはずだ。邪魔をするな」


 心からの謝意が、詫びる思いをありありと言葉の裏ににじませている。

 愚直なのに、大事な所で素直になれない性格。本人も嫌になっている悪い癖。付き合いは短いが、士紅は余す事なく把握はあくしている雰囲気だった。

 

「私は、変態ではないが、この程度の悪意くらい、何度でも盾となって護ってやるよ。だから、こんな詰まらない事で怪我をするな」


 それは事実だった。仮入部期間、士紅は何度も仲間へ向かう凶行をかばっては生傷を作った。


「へ~ェ。外圏人の分際で、赤い血の色してんのかよ」


 怪我を負わせている事に、罪の意識も薄れて来たのか。本来持つ衝動をおさえるはずのたがを、簡単に外そうとする加害者じょうきゅうせい達が、あまりにも幼い欲求を満たそうと動き出す。


「案外、丈夫なんだな。じゃあ、別の道具で試そうぜ」


「面白そうじゃん。どれにしようか、な?」


 白を基調としたユニフォームを着崩した部員が目標を物色するため、屋内練習場の入口を視界に入れた瞬間。すくみ上がり、二の句が消える。喉の奥で、言葉が凍り付いたかのようだ。


 その変化に、昂ノ介達が同じ方向に目を転じた。そこには、いつもと様子が異なる青一郎が、ただならぬ気配を周囲の空気に伝播でんぱさせ、無言で現場をにらむ。


「青一郎」


 付き合いの長さから、この状況における危機感を察知したのは、昂ノ介と礼衣だった。立つ場所こそ異なるが、示し合わせたかのように声を揃え、その名を口にした。


 すっかり青一郎に呑まれ、顔色も、声も失った二人を、見守っていた都長ツナガ蓮蔵ハスクラ千丸ユキマル、メディンサリも。

 彼らも、入口に発生している不穏な空気に引き寄せられ、それぞれの視線を張り付かせていた。





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