第二十二節 思いに臨む、若き声。 その三




 だが、沈黙の願いは、共有外の仲間によって阻害される事態が起きる。


 後日の部活終了後、下級生にてがわれた部室に置く、庭球部仮入部員の荷物だけが荒らされていた。


 見せしめに鞄から抜き取られた、八名のラケットのガットが破られている。グリップ握り部分のテープがぎ取られた上、乱雑に一カ所に積み上げられていた姿が、陽が沈む明度に浮かび上がる。


 他にも、この場を共にする生徒は、少なからず残っているが、関わりたくないのか、誰も案ずる声や視線も絡めて来ない。


 もちろん、目撃情報を提供する生徒もいなかった。


「貴重品は無事か?」


 士紅シグレの落ち着き払った冷めた声に、事の風景に気取られて動けなかった数人の意識が戻ったらしい。青一郎セイイチロウがいち早く答える。


「うん。俺の方は大丈夫。皆は?」


「……問題はない。ラケットだけが目的だったようだな。他は手付かずだ」


 礼衣レイは、呆れ果てた声を立てた。


「もう、許さん!!」


 へその下に込めた声を利かせ、運動部・第三控え室の空気を震わせたのは当然、昂ノ介コウノスケだった。

 堪忍袋のはしを持ちながら、部活に参加していた彼は、よく我慢していた。しかし、この現状を目の当たりにして、も切れる寸前まで達している。


 今にも駆け出し、適当な庭球部部員を狩り取る勢いの昂ノ介に、声の冷水を浴びせたのは士紅だった。


「止まれ、柊扇シュウオウ。今、突っ込んだ所で証拠もないし、逆手に取られて終わりだ。得物ラケットは当分、部室に置くな」


丹布ニフ! お前、悔しいとは思わんのか! 俺達は庭球部員なんだぞ。その俺達が部室にラケットを持ち込めないとは、どういう了見なんだ!」


「どの道、このままでは得物ラケットを取って陣には立てない。権限は向こう側にある」


 中等科に入ったばかりの年令の割に、背が高い昂ノ介の上背から来る、腹の座った怒声。圧服あっぷくさせんとする雰囲気は、馴染なじみの薄い面々には強烈に映った。


 しかも、今の昂ノ介は、かなり本意気で怒りを巡らせている。


「こんな事くらいで、悔しいなんて想うなよ」


「は?」


 士紅は対照的に、この場の誰よりも冷静だった。


 昂ノ介の本気が通じていない訳でも、感情の齟齬そごによる理解力のなさを押し付ける様子もない。


 昂ノ介より、視線二つ分高い士紅は、その思いを残らず真摯に受け止める。

 重要なのは抱える悲憤ではないのだと、言葉と共に似紅色にせべにいろ双眸そうぼうは力強く語っているようだった。


「ここでの悔しさは、庭球が嫌いになってしまう事だけだろう?」


「丹布」


 徐々にに落ちていったのか、昂ノ介が巡らせた息と共に士紅の名字みょうじを口にした。


得物ラケットを傷付けられたのは不満だし、関わってくださる方々の労力は惜しまれるが、庭球を続ける限り張り替えてもらえば善い。何度でも」


「そうだね。うん。その通りだよ」


 士紅の言動を受け、青一郎が静かに改めて庭球への思いを確認しているように、柔らかな黒の眼差まなざしを閉じた。するとひとつ、ゆっくりと吐納とのうする。


あせる事はないよ。まずは、深歳ミトセ先生の復帰を待とう」


在純アリスマ君」


 青一郎の言葉に触れ、動揺が鎮まる蓮蔵ハスクラが、その名を呼ぶ。


「それでも好転しないのなら、その時に考えようよ」


「……青一郎」


 礼衣レイは、信頼する親友を静かに見据え、名を添える。


「ラケットが、こんな姿になったのは悲しいけれど、ここで自棄やけを起こしては駄目だ。こんなの、職業競技選手にはよくある事だよ」


 都長ツナガの黒目がちな瞳が不安に揺れながらも、青一郎の話しに安堵あんどを得つつあるようだ。


「今、出来る事。今、成すべき事に集中しよう。俺達は、ただの仮入部員だ。新参者で、何もない。ゼロの状態なんだ。そんな、俺達に誰が耳を貸してくれる。誰が支えてくれると言うんだ」


 青一郎の言葉に、激越げきえつの様子が徐々に収まる昂ノ介は、落ち着きを取り戻す。


「全国への気概も庭球への愛着もない人達に、今の俺達に何が伝えられるんだ」


 音の割りに、込められる熱量を確実に感じ入っているのか。千丸ユキマルは、青一郎へ注目する。


「ラケットがなくても、蒼海ソウカイ学院庭球部のために出来る事は、たくさんある」


 不用意な事態にも、慣れたつもりでいたメディンサリだった。ここへ来ての仲間の存在の大きさに、改めて心強く思う感想を、空色の視線に乗せているように、青一郎へと向ける。


盤石ばんじゃくをもってのぞもう」


「当然だ、在純」


 締めの一言に、士紅が応じる。


 青一郎は柔らかな視線に、揺るぎない決意を込め、昂ノ介、礼衣、都長、蓮蔵、千丸、メディンサリ、士紅へと見渡す。


 皆に、反意する色はなし。青一郎は自身が発した言葉を覚悟と共に噛みしめ、うなずいた。


「行くよ。全国」


「おう!」


 生まれた場所も、人種も違う彼らが目的を一つに。八種類の声を一つに。互いを鼓舞し合う。


 士紅だけが信じて言い放った、全国への道。いつしか伝播でんぱし共有する彼ら指針となっていた。その先に待つ何かを期待するのではなく、この仲間で全国の舞台に立つ。


 それだけを今は、願うばかりだった。





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