二の幕 雌伏と雄飛

第二十節 思いに臨む、若き声。 その一




「それで、昨日は家に帰れたの?」


 曇天の割りに、明るい放課後の屋外練習場。仮入部員の内、五名はこぼれ球を拾う作業に勤しんでいた。


 その一員でもある青一郎セイイチロウが心配半分、可笑おかしさ半分で、付近にいる士紅シグレに話し掛けた。


「話したなぁ。柊扇シュウオウ


「む、済まん。はずみで、少し話しをしてしまった」


 同じく、声が届く場所で作業をしていた昂ノ介コウノスケは、士紅から恨み声と一緒にめ付けられる。昂ノ介も、冗談だと分かっているようだったが、失言をした事に対し居心地が悪そうだった。


 その様子を、安全圏から眺めていた都長ツナガも、学校指定体育着の襟元の隙間を押さえながら、会話に入って来た。

  

「でもさ~、隙がない丹布ニフが方向音痴って、なんだか可愛かわいいよな~」


「その事を、身内が本気で心配して、危うく病院に収容されそうになった」


「……人の脳にも、方角や位置を測る部位があるからな。それを心配されたのだろう」


 空のカゴを持って来た礼衣レイが、少し間を置き会話に加わる。涼しい目元が、多くの知識を読み取った片鱗をうかがわせる内容を添えて。

 持って生まれた気質なのか、年令不相応に得た知識を披露しても、押し付ける響きや、厭味いやみだと感じる事もない。


「心配してくださるのは嬉しいが、度が過ぎる事が度々あった」


 士紅の語尾には、小さく溜め息が添えられた。不服ではなく、心配される事に遠慮しているような響きにも聞き取れる。


「じゃあ、毎日大変だね」


「身内とは、仕事の都合で普段から分散して暮らしている。顔を合わせる機会も少ないよ」


「そっか~。やっぱ、寂しいって思う?」


 慕ってくれる弟が、一人離れてルブーレンの寄宿舎に入っている事を都長は思い浮かべている様子だった。いつもの陽気な表情に、陰りが差している。


 そんな都長が士紅に顔を向けた。量が多い前髪の隙間から見える、似紅色にせべにいろ双眸そうぼうと視線が合う。

 すると士紅は、整い過ぎる口元をゆるめ、薄い笑顔を見せながら応えた。都長の陰りを、払っているようにも受け取れる。


「ないよ。今は、血の繋がりはないが、家族同然の付き合いがある面々と暮らしている。元よりモルヤンには、知己ちきが多いんだ」


「そ、そっか~」


 幼く見える都長の表情が、照れ笑いに変わる。いて出た不安がやわらいだ事と、士紅が事情の一端を教えてくれた事に浮き立っているようだった。


「こう見えて、私はさみしぼうなんだ。判っているから輪を作りたがるし、入りたが」


「丹布君!」


 突然、青一郎が鋭く士紅の名を呼ぶ。いつぞやの千丸に、危急ききゅうしらせた時と同じ響きだ。


 青一郎の声に反応した士紅がたま一つ分、身体を傾けた。ややあって、防護柵の一角で乾いた音が立つ。


 意図的に士紅へと放たれた一球を、拾いに向かう都長の背に、上級生の腹も気持ちも入らない、おどけた謝罪が投げられた。

  

「悪いなァ、一年ちゃん」


「仲良しごっこしてると、どこから球が飛んで来るか分かんねーぞ!」


「狙って打ったのは、見え見えなんだよ」


 こぼれてしまった、都長の小さな不満。ここぞとばかりに取り上げた上級生が、りもせずわめく。


「はーン!? 何だと、この一年が!」


「どこかの誰かサンのせいで、今年の新入部員は、お前らしかいねーんだからなァ! キリキリ動けってンだよ!!」


 改める事なく、上級生部員は悪態あくたいをつく。嫌がらせのためか、一球を練習相手のコートとは違う、無関係な方向へ。あるいは、危険な事に防護柵越えを競う、部員の姿も見受けられる。


 その危険な遊びに対し、素早く昂ノ介と士紅が動く。


 上級生のたわむれで飛び出した球を総て、防護柵の外に回った士紅が、内側の昂ノ介に向かって正確に返球する事で、その場を収めた。


 そんな心無い部員達の言動を余所よそに、青一郎達は別の心配を始める。


「……この分では屋内班も、いらぬ干渉を受けている事だろう」


 涼しげな目元に、礼衣が言葉と共に懸念を差し入れる。


蓮蔵ハスクラがいるからな~。乱闘は、ないと思うな~」


 現場にいる仲間の性分を知っている都長が、礼衣に答える。


「そう、だよね」


 取り越し苦労であって欲しいと願っているのか、自身に言い聞かせる具合で、青一郎がつぶやく。


「……あの昂ノ介が、黙って事に当たっているのだから、多少は見習って欲しいものだ」


 礼衣の声は、付き合いも長い親友の一人を差し示す。


 そんな三人の視線は、誰ともなくうれいを込めて、南側に離れている屋内練習場へと向けられた。





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