第十九節 狼と、鈴蘭と。 その三




 解散時と同じ場所に、周囲の様子をうかがう素振りを見せる士紅シグレがあった。


 その姿を見付けたのは、そこそこ本屋で長居をした昂ノ介コウノスケだった。


丹布ニフ。用事はどうした」


 背後から声を掛けられた士紅は、二つ程間を置き振り返った。


「まさか、本屋からの帰りか」


 士紅は、昂ノ介の変化を指摘した。肩掛け型の学生鞄の他に、解散した時には所持していなかった、紙袋を小脇に抱えている。


「まさかも何も、その通りだ。こんな所で何をしている。この場所で、誰かと待ち合わせか?」


いいや。その、違うんだ」


「歯切れが悪いな。これは、早々に立ち去った方が良さそうだな」


 昂ノ介が、見掛けに反して察しの良さを見せると、士紅は間を入れず言葉を繋いだ。


柊扇シュウオウが声を掛けてくれて、実は助かった」


「何故だ?」


「み」


「み?」


「道に迷った。先程から同じ所を巡って抜け出せない。時間も迫るし、電話を掛けようとしてたんだ。心底、癪だが」


 実を言えば。士紅は演奏後、厚くなり過ぎた観衆に少々驚いたらしい。ストリート・ピアノから勢いで離れた挙げ句、迷子になり、やっと解散時の場所まで辿り着いたのだった。


「何故、こんなに分かりやすい所で迷うんだ。案内板もあるだろう」


「初めての場所って、かなりの確率で迷う。考えたら、この場所から電車に乗った事がなかった」


「解散時に言えば良いものを」


「何とかなると想ったんだ。その時は」


 ただでさえ士紅は、普段から不機嫌な表情で固定している。この時ばかりは、気拙きまずい所を昂ノ介に見られた事で、ほんの少し恥ずかしそうに変化している。ように見える。


 面白い場面ではあるが、士紅をこのままにも出来ない。昂ノ介は、路線の案内くらいはしてやろうとしたらしく、行き先を問いただす。すると士紅は、首都・ホゼカだと言い出した。


「今から、ホゼカに向かうだと? 確かに、ホゼカ中央線を利用すれば、四〇分で到着するが用事はどうするつもりだ」


「その用事が、ホゼカにあるんだよ。ついでに言うと、帰宅場所もホゼカ方面だ」


 住居を、やんわりかすませた士紅だが、昂ノ介は追求はして来ない。


「この先、早朝練習もあるだろうし用事も増えるだろうから、その時は伝手つてもある。寝起きは、そこで世話になる手筈てはずが整っているから負担はないよ」


 そう、士紅は応える。昂ノ介は、会話の勢いに押されたように踏み込んだ一言を放ってしまう。


「お前、変わってるな。ホゼカに住んでいるのなら、連堂レンドウ学園の方が近いだろうに」


「問題は距離ではなく、蒼海の学舎に身を置きたかった。それが理由だ」


「庭球部か」


「う~ん、それも本心だ。住む場所なんて、寝起き可能ならどうでも善い。所が、駄々る甘えん坊達がいて、一緒に住んでくれないと嫌だと言うんだ。こちらとしても、面倒を見るように頼まれているから、見放せない」


「何だ? 弟妹か何かなのか」


「血縁ではないが、大切な身内だよ」


 複雑そうな家庭環境を垣間見かいまみた昂ノ介は、それ以上には触れなかった。 


 暦の上では春が訪れているが、まだ陽の長さは短い。夜を控え人通りも多くなり、雑踏も深くなる。


 やがて、ホゼカ方面の券売機と改札口まで昂ノ介が案内すると「見覚えがある。うん、多分。」そう語り、士紅は自信満々で移動を開始する。


 そんな士紅の雰囲気に、一抹の不安を感じているように見える昂ノ介の黒い瞳は、その姿を追う。


 案の定。士紅は、あらぬ方向へ行こうとしている。


「丹布!」


「ん?」


「そっちではない。教えた券売機と違う」


「これだろう?」


 士紅の白い指先が、券売用タッチパネルの一角を差す。


「だから、違うと言っている」


「冗談だよ」


 例の調子で、白い手袋に包まれた片手をヒラヒラとさせる。


「本当に家に辿たどけるのか?」


 士紅と似たような背丈を持つためか、二カ月前まで小学生だったとは思えない風貌の昂ノ介。見た感じの堅さとは異なり、心配性な一面を見せ始めた。


「自慢ではないが、自宅に帰れなかった事がある。転勤が多い生活なんだ」


「もはや、何も言うまい。迷ったら、いつでも電話しろ。誘導くらいは出来る」


「っははは。有難ありがとう。また明日」


 笑い始め、短く息を吐いてからの小さな笑い方を残し、士紅は律儀に礼を述べた。


「うむ。またな」


 ホゼカ駅までの切符を買い、目的地方面の乗降口へ向かった士紅の姿を確認してから、昂ノ介は帰路にく。

 その道中、士紅からの着信がないか、数度確認する事になった。


 昂ノ介は、今は知らない。


 陽も高かった放課後。揃いのケータイを購入した時に、うらやんだ士紅の身分証明書に刻まれた、狼と、鈴蘭の意味を。


 昂ノ介達は、やがて知る事となる。


 士紅が出身地とする、遠く離れた公式経済圏コウシキケイザイケン識別等級、第零級海里・ロスカーリア。

 の地において、狼とは家族や仲間を背に隠し守り抜く群れ。

 鈴蘭は、純潔と高潔の象徴。娼婦の代名詞でもあるが、あやかり誇りとした。それは、家族や苦界に生きる仲間達を見守る、連なる灯火ともしびに似て。


 士紅は、その総てを背の裏に回し、護り続けている事を。背後を、信頼に足り得る群れにゆだねている事も。


 身をもって、思い知らされるのだと言う事を。





        【 次回・二の幕 雌伏しふく雄飛ゆうひ 】

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