第十八節 狼と、鈴蘭と。 その二





 リラーテ王女の円舞、第二章・青の革命。士紅シグレは、正確な演奏を最初から断念していた。真の演奏風景をっているからと言える。


 故に、誤魔化し方も熟知していた。緩急のある演奏。真珠にある奇跡の光沢。その真珠の小雨が、断続して降り注ぐ感覚を音として表現し、生み出し続ける白い指先。


 三本のペダルを駆使し、届かない指は濁りのない装飾音そうしょくおんで繋ぎ、音の天幕のような空間を築き上げていた。


 『青の革命』は、簡略化された譜面となってはいるが、難易度が高い練習曲として有名になっている。ハ短調・二分にぶん拍子。一小節目から左手のアルペッジョ。右手はユニゾン。急速なパッセージ。


 聴いている側は爽快感で満たされるが、奏者は必死に鍵盤を打っている場合が多い。通常の奏者は、割りと余裕がない。


 その曲を演奏しているはずの士紅なのだが、右手が次のコードへ移動する途中、指が不可解な動きを見せた。

 りそうな指をほぐすようにも見受けられるが、勧誘屋の隙間から垣間見かいまみた濃い茶色のボブカットの女性が反応する。

 寄り添う黒髪を結い上げる友人に、勧誘屋に気付かれないよう、そっと背中に合図を送り、士紅の方へと注意を促した。


『ピアノ。隙間。出来る。逃げる。お願い』


 右側の手話だった。


『ピアノ演奏で注意を引き、隙を作るから逃げて欲しい』


 要約出来た片方だけの手話を、察した彼女達の表情に変化が起きた。勧誘屋には伝わらなかったのか、執拗しつような宣伝文句を語っている。


 士紅は、あのわずかな時間で、彼女達の職業を絞っていた。


 季節柄、手荒れは起こる事象だが、染み付く消毒の匂い。真面目な勤務態度でつちかわれた、働く美しい手。

 医療関係者は、ほぼ確実に手話・点字を修得している。医療技術も格段に向上し、再生医療技術もともなって発展している。

 それでも、様々な事情で受けられない場合もある。アナログは、どこの世界でも生存領域が残されていた。


 演奏は『精霊王の吐息』に移る。まつり方を忘却した巫覡フゲキに対し、氷雪を司る精霊王の怒りを買う。辺りは終わらない冬となり、人々は寒さに震え歯を打ち鳴らして過ごす事になった。アレグロ・ノン・モルト快活に、速過ぎずの曲調。

 

 ここで、士紅は趣向を変えた。クラシックから離れ『時を止めた王女に捧げるパヴァーヌ』の冒頭を弾き始める。


 出来上がりつつあった人垣の一部から、控え目な歓声が起きた。その反応に、士紅は曲を推し進める。


 グリッサンドから繋がった曲は『硝子片の翼を持つ彼女』だった。観衆が増え始め、中にはケータイの動画・静止画機能を構え、士紅の演奏風景を撮影する姿が見える。


 突然、士紅の指が止まる。一瞬、静寂が訪れ『ルワール』の第一小節が響くと、控え目だった歓声が、興奮からか大きくなった。


「うお! この曲、知ってます。何とかってゲームで使われてて、何かの条件を満たさないと、この曲のキャラと戦えないんすよ」


「フワッとした情報ばかりで、何の事だか分からねーよ」


 地味な方の勧誘屋が、士紅の演目に記憶を符合させた。


「冗談で追い払ったのに、本当に弾きやがるとはな。しかも、あの腕前はスゲーな」


 派手なブランド衣装の中年勧誘屋も、振り返り少々遠くの音源に身体と意識を向けた。


 原曲を知らない者が、耳にしたとして。音を外したと思わせる事も、指がはやり打ち損じた事も、動きに衰えを感じさせる事もない安定した演奏。


 そこで、流れるように引き寄せた音と共に、士紅は端整な口元をほころばせた。


 片手のソロの主旋律に、曲を知る同士が歓喜に染まる会話を重ねる。『赤誠セキセイの英傑』で閉じられた、士紅の独奏会の幕が降りた頃。


 人垣の厚さは増し、勧誘屋が引き留めていた、であろう女性二人の姿は消えていた。


 最初の二曲以外は、電子映像操作遊戯ビデオゲームの使用曲だった。主に、サーバーからPT個人端末機へ、ダウンロードするオフラインゲームだ。


 多数のキャラクターが織り成す物語と、美麗な弾幕だんまくが売りの、シューティングゲーム。2D二次元型シューティングゲームで使用されているのが『時間を止めた王女に捧げるパヴァーヌ』と『硝子片の翼を持つ彼女』。


 操作自機でもある主人公が、数々の試練と選択を迫られる。その結果で負う責任と、果たすべき義務をプレイと言う形で進める、2D二次元RPGロールプレイングゲーム

 戦闘曲として使用され、プレイヤーが一位と二位に挙げる曲、『ルワール』と『赤誠セキセイの英傑』だった。


 上記の二タイトルは、それだけではなく、使用曲の質の良さが有名だ。曲が持つ本来の上質さは、交響楽団、歌劇場管弦楽団、放送交響楽団を問わず題材として取り上げられ、音楽会コンサートが開催される程だった。


 士紅が、譜面も見ずに演奏出来たの理由。それは、居候いそうろう先の大貴族が反射神経を鍛えるためとの名目で趣味の一つとしている、上記の電子映像操作遊戯ビデオゲーム見学をしていたからだ。


 当の、士紅のゲーマーとしての腕前は、弾幕の表現力と色彩の美しさに見とれ、遊戯終了ゲームオーバーとなる程度だった。


 電子映像操作遊戯ビデオゲームでは惨敗の士紅だが、世界観の一端いったんを再現した事がある。

 現地・ロスカーリアで特殊結界領域を展開し、弾幕を魔法として再現した事がある。


 結末は、ロスカーリアと、グランツァーク財団の全情報を統轄とうかつする機構・メル。

 そのメルを掌理しょうりする柱石ちゅうせき管制塔カンセイトウ懇々こんこんと説教を受けたのであった。


 士紅は、想い起こした事にさえ触れず、鍵盤蓋と共に静かに閉じたように思われた。


 そんな経緯いきさつなど知るすべもない観衆は、純粋に士紅の演奏技量を拍手で贈り、称賛しょうさんに代えた。


 その数と音量に、改めて周囲を見渡した士紅は、すがめていた似紅色にせべにいろ双眸そうぼうを、やや見張らせた。


 それは、注目を集め過ぎたあせりか。それとも感慨かんがいなのだろうか。


 士紅は、ただ観衆の拍手に応え、鍵盤蓋に片手を置き、一礼をほどこす。本来、相応ふさわしくないが、顔を伏せての一礼だった。

 にもかかわらず、観衆の拍手は一回り大きくなった。


 余韻に浸る気配もさせず、人垣の薄い部分を見付けた士紅は、ストリート・ピアノから靴音を高く響かせ、早々に立ち去った。





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