第五節 新入生代表の、優雅な日常茶飯事。 その三




「信じられない! 何やってんのよ!」


「危ない!」


「逃げて逃げて逃げて!」


 女子部員達の悲鳴と非難の声が高々と上がる。男子部と女子部をへだてる仕切り網越しに、一部始終を見守っていたからこその反応だった。


 善意の警告は、危機の元凶を掻き消してしまう。言葉が届く頃には、男子部員が士紅シグレに向けて放ったスマッシュが士紅の背に着弾し、したたかな衝撃を与えているはずだった。


 状況を視界に入れている全員が信じて疑わない、あるべき想定図だ。


「球を運んで下さったのですね。わざわざ、有難う御座います。ベアリ先輩」


 赤いキャップを被る部員が、奇怪な物でも見るような顔で表情が止まっている。その視線の先には、背を向けてかがんでいたはずの士紅が無表情で正面を切って立つ姿。

 

 まるで、大貴族につかえる上級使用人が、銀製の装飾盆トレイに載せる、宝石に似たお菓子ドルチェを手にするような姿勢だった。


 実際は、その白い手袋に包まれた右手が持つ借り物の得物ラケットのスイートスポットの上に、何かが鎮座する。

 赤いキャップを被る部員が打ち放ったはずの、一球いっきゅうが載っていた。


 群れは異分子を畏れる。培って来た本能が告げるのか、士紅を囲む視線は畏怖と警戒に染まっている。 


 彼らはおこたっていた。士紅の暴言よりも、注目するべきだったのは、奇術のような素早さと器用さだった。 


「さてと。自滅点で、退場して戴きましょうか」


 年長者への敬語を想い出したのか、慇懃無礼いんぎんぶれいか。整い過ぎる唇に、不敵な笑みが引かれた次の瞬間。


 士紅は、サービスの体勢を取った。狙いは当然、赤いキャップを被るベアリだった。


「うわ~、痛そう」


「ありゃあ、二週間くらいあざが残るぜ」


 スイートスポットから放たれた一撃ショットは、軽快な音を立てコートに着地した後、ベアリの青いラケットを落とす位置に跳弾ちょうだんした。


 士紅の正確無比な技量。一部の原因から結果を、防護柵の外から見ていた二人組が短く会話する。まだ馴染まない真新しい詰め襟制服姿は、明らかな新入生だった。


「屋外練習組の庭球部員が、屋内練習場に駆け込んで来たと思ったら、この騒ぎとはね。面白いじゃねぇの」


 目にする誰をも裏切らない、幼い王子様がいた。体現する長い金髪に、空色の瞳は貴公子然とする容姿に収められる男子生徒が無責任に語る。


「確かにそうだけど~。これって騒ぎになるって。相手が、あのシャートブラム率いる庭球部だよ? 面倒な事になるのは、もう決定だって~。何とかしてあげたら? メディンサリ」


 貴公子生徒よりも背が低い男子生徒が、名指しで温情を促した。間延びが目立つ口調の主は、まさしく小等科の生徒が中等科の制服を着て、背伸びをしている様子にしか見えない。

 癖がある黒髪と黒く大きな瞳は、士紅の挑発と、それにともなう驚異の運動機能に釘付けだった。


都長ツナガの方が適任だろ? 黒幕は、穂方ホガタ鷹尚タカナオだぜ」


「え~。嫌だよ俺。学校まで来て、有力者に挨拶回りなんてやりたくないし~」


 この二人は、先程まで近くにある屋内練習場の部長室にいた。御機嫌伺いの名目で、のだ。


 二人の不満と同時進行していたのが、士紅の凶行だった。


「ほらほら、自滅点で退場したくなければ、自陣へ移動してくださいませんか」


 庭球の規定線を無視し、士紅に敵意を向ける部員は、その場から思い思いの一球を、士紅の身体を目掛けて打ち込む。


 だが、士紅の身体能力は常軌を逸していた。確実に相手に返球し自滅点。詰まりは、一球の接触による違反点数を奪っていた。


 直接相手の身体に返し、あるいは整頓を等閑なおざりにしたままに、コートに散らばる撞球ビリヤードさながらの反作用を利用した。身構えない部員へと、間接的な士紅の一球いっきゅうが強襲する。


 無軌道に打ち込まれる、ラフプレイまがいの球。口汚く罵られようと、対陣に何人入ろうと、個人が付けた難解な決め技を放たれようと、士紅は的確な基本打ちで対応していた。


 特に、変わった打ち方ではない。球の回転数や物理法則すらすら把握し、寸分たがわない巧緻こうち過ぎる返球が勝敗を分け、一球勝負の回転を上げている。


「見事な舞台のようだと思いませんか、千丸ユキマル君。彼はまるで、幽玄ゆうげん舞踊ののようです」


「ワシには、処刑人に見えるがの」


「またまた。そんな物騒な発言は、いけませんよ」


 部活区画の中では、最も端にある庭球場だった。しかし、騒動は波状に広がり人垣を厚くし始める。その気配に誘われ、別口の二人組が個性的な感想を応酬していた。


「彼、楽しそうな方ですね。勉強だけではない部分も素晴らしい」


 楕円だえん銀縁眼鏡ぎんぶちめがねの奥に、少々彫りが深い形をしたオリーブ色の瞳に、興味という名のあかりをともしているようだった。


「新入生代表の座を奪われたってのに、お人好ひとよしやのぅ、マコトは」


 眠そうな黒い瞳で隣の少年を差し、崩れた前髪を掻き上げる。その髪は、雪のように純白だった。


「私は、ルブーレンが誇る大貴族シャートブラム家の血統を継ぐ者だ! 我が大家の名に懸けて、こんな野良試合の結果など断じて認める訳にはいかない!」


 コートに入っている、シャートブラムが不様に叫ぶ。培った技量は士紅に通じず、あっさりとリターンを決められた。


「私は、本名を名乗る事が出来ません。だが、貴方は誇る名をごうされる」


 恥辱に染まるシャートブラムに、士紅が唐突に語り掛ける。


丹布ニフ士紅シグレを名乗れるのは、偉大なる同胞ハラカラにして、金蘭きんらんともが贈ってくれたからです」


 姿勢を崩すシャートブラムに対し、士紅は捕球体勢をき、背筋を伸ばした。


「人の子である以上、連綿と受け継ぐ器から逃れる事は不可能です。しかし、貴方はとなえる名をお持ちだ。名跡みょうせきではなく、おのが名で地に脚を着け根を張り、誇れる大輪を咲かせようとは想われませんか」


 見開かれたシャートブラムの碧眼へきがんは、正体不明の外圏人がいけんじんが語る内容に呑まれていた。感銘も否定も口には浮かべず、シャートブラムはインス・カルランテの最新冬コートを脱ぎ去った。


 蒼海ソウカイ学院中等科男子硬式庭球部、白を基調とした正選手ユニフォーム姿となり、改めて士紅へと対峙する。


「再戦くらいは、受けてくれるんだろうな」


 シャートブラムの瞳には、卑屈な意図は見えない。雪辱だけが放たれているようだった。


「何度でも、お付き合いします」


 受ける士紅は、消えた表情のまま再び捕球体勢を取る。そんな彼らを囲む部員も、防護柵の向こう側で見守る面々も、現状に至った起因すら忘れ去っていた。


 それ程の空気が、屋外練習場を席巻せっけんする。暴言、驚異の身体能力、説服せっぷく。士紅が主導権を握っていると、誰もが認めざるを得なかった。





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