第三節 新入生代表の、優雅な日常茶飯事。 その一




 翌日の放課後。一年五組の教室。


 新入生は午前中で行事が終わり、明日からの通常授業に辟易へきえきした言葉が飛び交う教室の一角に、彼らは集まる。


「ねぇ、昂ノ介コウノスケ。ちょっとだけ、中等科の庭球部を見に行かない?」


 青一郎セイイチロウの出し抜けな一言に、帰り支度をしていた昂ノ介の手が止まる。


「正気か? 青一郎」


「ほら、新入部員がいるかもしれないじゃない」


「しかし」


 昂ノ介は言葉をにごす。濁しはするものの頭から否定もしなかった。

 それは、今も静かに待つ礼衣レイも同様。生まれた時から、一緒だった二人は知っている。


 青一郎の、この態度の先には、必ず何かが起きていたのだから。


「……見るだけなら、問題はないだろう。それに、新入部員の様子を把握はあくする良い機会だ」


「礼衣、有難ありがとう」


 独特の間を空けた礼衣が語る後押しに、青一郎の表情に少しだけ安堵あんどの色が差した。


「またそうやって礼衣は、リメンザに勧誘する気か」


「……層が厚くなれば、その分、自陣は優位に立つ。我々の成長も、その数だけ増す事になる」


「それは、もっともな意見だが」


 話し中の昂ノ介が、真っ直ぐこちらに向かう気配に捕らわれる。常に気を張っている昂ノ介の視線が、青一郎の肩越しに流れた。


 釣られた青一郎と礼衣が目にしたのは、丹布ニフ士紅シグレの姿。噂が立てられ通しの新入生代表だった。


 士紅は、間違いなく三人の視界に収まり、動きが消える表情のまま、歩みを止める。


「話し中、申し訳ない。割り込んでも善いか?」


 士紅の表情には、全くもって言葉通りの感情浮かんでいない。だが、昨日の今日で願いが叶った青一郎は、嬉しそうに身体を士紅に向け、会話に参加した。


「うん、大丈夫だよ。何かな」


「君達の鞄に入っている物って、硬式庭球用の得物ラケットだよな?」


「その通りだよ」


「ほぉ。よく気付いたな」


 昂ノ介が、士紅と青一郎の会話に割り込んだ。


得物ラケットれる鞄は独特な形だ。しかも、一振ひとふりや二振ふたふりではなさそうだ」


 特に、指摘も不満も言わず、士紅は昂ノ介に応える。


「……何が言いたいんだ。用件は的確に伝えないと、誤解の元になる」


「誰か、得物ラケット一振ひとふり貸してくれ」


 礼衣の言葉に対して気を悪くした響きも込めず、士紅は言われた通り端的に目的を告げた。


「ふんっ。とんだ素人発言だな。一口ひとくちにラケットと言うが、使用者の技量によってガットの張り、グリップの太さ、巻き方が異なる。我々は、そこそこ年数を積んでいる。他人に貸せる仕様ではない」


「変な癖は付けないし、必ず明日には返すから頼むよ。御願い」


 昂ノ介の突き離しなど障壁にもならず、相変わらず言葉と表情が噛み合わない士紅は食い下がる。


 そんな士紅に対し、青一郎が動いた。


「俺ので良ければ貸すよ」


 言うより早く青一郎は、赤のフレームが印象的な自前のラケットを引き出し、両手を添えて士紅に渡す。


 士紅もならい、両手で丁寧に受け取った。


「その代わりとは言って何だけど、これで何をするのか教えて欲しいな。庭球部に仮入部するの?」


 青一郎の質問に、昂ノ介の目付きがけわしくなる。


「うん、有難ありがとう。仮入部と言うよりも、頂戴するんだよ。ここの庭球部を」


 士紅は、物騒な目的を告げた。すると、生まれた頃からの付き合いがある三人は、互いの視線を交わし合う。


「抵抗するなら、潰して新庭球部を設営する」


「本気か?」


「伝統の上に、何も努力せず居座られては目障りなんだよ。私は、庭球をやるために入学したんだ」


 借りたフレームの色に似た、士紅の双眸そうぼうの奥。わずかにとも綺羅火きらびぜる。


 そんな、まぼろしを見たような表情をする三人。端整な無表情だと印象付ける士紅に、表情を見た思いがはしった事だろう。


 明日、得物ラケットは必ず手渡しで返す。と、言い残した士紅は、きびすを返す。そのまま、並ぶ席や生徒の間を縫いながら、一年五組の教室から立ち去った。


「何を考えているんだ。あの外圏人」


 級友の姿もまばらになる教室で、三人はしばらく突拍子とっぴょうしもない士紅の言動に呑まれていた。呆然としていた三人の中で、昂ノ介が一番に我に返り素朴な疑問を口にする。


「……そうだな。気にはなる」


「正直、あの外圏人の白い手袋も気になる。あの光沢に質感は間違いなく、外圏がいけんの技術なのだろうな」


 珍しい色調に視線が行きがちになるため、士紅にある手元の違和感に気付く者は少ない。

 また、上流階級の子女は、普段から手袋を着用する習慣も手伝っている。


「あはは。そんな所は、マリ瑛マリエおば様の影響だよね」


「うるさいぞ、青一郎。万が一と言う事もある。確認の必要はあるだろう」


「素直じゃないねェ、昂ノ介は」


「……フフフ」


 二人のやり取りを、礼衣は小さな笑みで見守る。その小さな笑い声が、合図だった。


 一言も目線を合わさなくても分かるのは、長い付き合いだけではない。腹の底は一致していた三人は、それぞれの鞄を取り目的の場所に向かう。

 

 行き先は、蒼海ソウカイ学院中等科・男子硬式庭球部の屋外練習場だった。





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