第34話 神代楓5
次の日の朝。下駄箱で靴を履き替えていると、横から二人同時に声をかけられた。九条さんと神代さんだ。
「桐崎くん、おはよ」
「冬馬、おはよう」
同時に挨拶され、怯んでしまう。俺は、「お、おはよう」と顔を引きつらせながら挨拶を返した。すると神代さんは、口角を上げて手をひらひらと振ると、先に階段の方へと歩いていった。
その後姿を見送って、九条さんの方へ目を向ける。メーターは、なぜか青くなっていた。
「一緒に教室まで行こっ」
九条さんは、笑顔でそう言ってくれたけど、どうしたんだろう。教室までの道のり。九条さんは、ちらちらと俺の方を見て、何か言いたげな様子だった。そして、一年の階まで登り切った時だった。
「あ、あの桐崎くん」
「ん?」
「そ、その……昨日、どうだった?」
「昨日?」
「う、うん。神代さんとのお話、進んだ?」
眉を八の字にする九条さん。そうだ。観察されることはなくなったことを伝えないと。
「うん! 進んだ……かな? もう観察はやめるって!」
「そうなんだ!」
満面の笑み。きっと安心してくれたんだろう。俺も一安心。けど、九条さんのメーターは変わらずだった。それから、九条さんの教室前で分かれた俺は、1年4組の教室を目指す。
九条さん、どうしたんだろう。
と、教室入り口前で悩んでいるときだった。肩をぽんっと軽く叩かれた。振り返れば、春輝が挨拶代わりに軽く手を挙げる。
「お、ごめん。邪魔だったな」
「いや、大丈夫。それよりどうした? 悩みか?」
「ま、まあ……。そんなところかな」
察しがいいな。そういうところも春輝のいいところなのかもしれない。
それから自席に着いた俺は、春輝に相談した。九条さんが心配だという、漠然とした相談。そんなふわっとした内容なのに、春輝は真剣に聞いてくれた。そして、柔らかな笑みを見せると、考えを話しだす。
「きっと不安なんだよ」
「え?」
「冬馬が神代さんと仲良くなっていくことに不安を覚えているんだよ。きっと」
「そ、そうなのか? でも俺は、九条さん以外を好きになんてならないし。神代さんだって、俺のことそんな目で見ることなんてないだろう」
俺がそう言うと、春輝はため息を一つつく。そしてまじめな顔を見せた。
「それは冬馬がそう思っているだけだろ? 冬馬だって、九条さんが他の男子と仲良くしてたら、いい気分にはならないだろ?」
「あっ……うん。そうだな」
思い出す。九条さんと春輝が、俺の誕生日のために二人でひっそりと動いていた時のこと。あの時の俺は、確かに不安だったし、すごく胸が苦しかった。それを九条さんも感じているんだとしたら、俺はひどいことをしてしまったな。
自分はモテない。モテるのはいつも春輝。それが当たり前になっていた俺は、そんなことにも気づけなくなっていたのかもしれない。
「春輝、ありがとう」
「うん。まぁ、かと言って神代さんを避けたりするのは、駄目だからな。いきなり冷たくされるのって辛いからな」
そう言って春輝は、優しく笑った。もちろん避けたりはしない。ただ、ちゃんと考えて行動するんだ。
そして時は過ぎ、昼休憩。今日は九条さんと二人で昼食をとる約束をしている。1年6組まで九条さんを迎えに行き、空き教室まで移動する。そして席について、お弁当を広げた。
「今日のお弁当もすごくおいしそうだね!」
と、九条さんの手作り弁当を眺めていると、九条さんは微笑む。
「ふふ、ありがとう。あ、あの……おかずの交換とかどうかな?」
顔を伏せ、上目遣いで言う九条さん。
「えっ?! い、いいの?」
驚きと嬉しさで舞い上がってしまう。九条さんの手作りが食べられる。そんな歓喜に震えながら聞くと、九条さんは激しく首を縦に振った。そして、互いに震える手で箸を動かして、おかずを交換した。
九条さんが焼いた卵焼き……。
ごくりと喉を鳴らし一口。家の卵焼きとは違った味に感動しながら、俺は「んほー」と訳の分からない声を上げていた。
「おいしい?」
「め、めちゃくちゃおいしい!」
「よ、よかった~」
ほっと胸を撫で下ろしている九条さんを見て、俺もよかったなと笑顔になってしまう。今の九条さんのメーターは赤っぽい感じだし、その辺も安心。でも、ちゃんと伝えないと。
「あ、あのさ九条さん」
張り詰めた声で呼ぶと、九条さんは顔に疑問を浮かべる。
「昨日のことだけどさ、本当ごめんね」
「え? どうしたの?」
ますます疑問の色が濃くなる九条さん。九条さんが不安がっているのは、俺の思い違いだったのだろうか。
「いや、神代さんと二人で、長いこと話していたから……」
「え、大丈夫だよ! 神代さんの小説のためだもん! 桐崎くんのアドバイスがきっと必要だから!」
必死に言ってくれる九条さん。そっか、九条さんも分かってくれてるよね。俺が自意識過剰だったみたいだ。
「ありがとう! うん、でも小説のことしか話していないから!」
「うん!」
念を押すように言うと、九条さんは満面の笑みを浮かべてくれる。しかし、メーターは半分ほどの黄色まで下がっていた。
そして放課後。九条さんと帰ろうと1年6組まで行くと、教室出口から九条さんと如月さんが出てきた。
「あ、九条さん、如月さん」
すると、二人が同時に俺のほうを見る。すると如月さんは、目が合うなり口角をグイッと上げ、意地の悪そうな表情を浮かべた。
「残念ね桐崎。今日は、桃華と文化祭の買い出しだから」
「そ、そうなんだ」
「そそ、じゃあね~」
そう言って手をひらひらと振ると、俺に背を向ける如月さん。九条さんは俺の元へ来ると、申し訳なさそうな顔を見せた。
「桐崎くん、ごめんね。急に必要なものがでてきちゃって」
「うん! 大丈夫! また明日ね!」
「うんっ! ばいばい」
「ばいばい」
俺が手を振ると、嬉しそうに手を振ってくれる九条さん。二人の背中が見えなくなるまで見送った俺は、寂しく下駄箱を目指す。
春輝と美来は先に帰っちゃったしな。九条さんに確認してから春輝たちを見送れば良かったな。
と、後悔していると、後ろから廊下を走る足音が聞こえてきた。こっちに近づいてくる音に反応し、振り返ると神代さんがいた。
「冬馬、少し時間もらえる?」
「え? あぁ、いいよ」
どうせ暇だし。笑顔で答えると、神代さんは口角を少し上げた。そして、神代さんの後に続いて、空き教室まで来た。席に座ると、神代さんは、鞄からルーズリーフの束を取り出した。
何回も書いては消した跡がある。すごく頑張ったんだな。
「冬馬の意見を参考に、たくさん修正した。見てほしい」
「うん、いいよ」
相変わらずの無表情で、ルーズリーフの束を差し出す神代さん。俺はそれを受け取り、目の前に置いた。
それから、具体的にどこを直したとか、どこに
やっぱり面白いな。俺が引っかかていた部分も気にならないレベルになっている。まぁ、単に俺が気になっていただけで、他の人から見たらそうでもないかもだけど。
「うん! すごく良くなってると思う! まぁ……素人の意見だけど」
最後は自信なさげに笑いながら、後頭部をかく。すると、神代さんは嬉しそうに口角を上げた。そして、好感度は100に到達した。
「ありがとう。嬉しい」
「うん! あっ、そうだ! 折角だしさ、他の人にも見てもらおうよ! みんなにも教えたいなーって!」
そう興奮気味に言うと、神代さんはゆっくりと首を横に振る。そして視線を下に落とし、指を忙しなく絡ませ始めた。
「冬馬が面白いって言ってくれたから、私はすごく満足なの。それに……まだ、分からないことがあるの」
「そ、そっか! 俺で答えられるものなら、何でも聞いて」
そう言うと、神代さんは黙り込んでしまった。どうしたのか。と疑問を顔に浮かべていると、神代さんは、小さな声で要望を投げてきた。
「そ、その……告白の練習がしたいの……」
「告白の練習?」
そう聞きかえすと、神代さんは激しく縦にうなずいた。
「最後は、主人公がヒロインに思いを告げるんだけど、その時の心情とか書きたくて。その……そのための練習」
「なるほど」
身をもって知るということなのだろうか。しかし練習とは言え、俺にして意味があるのだろうか。しかし、手伝うと決めたんだ。やるしかないだろう。
「いいよ! やってみようか」
席から立ちあがり、教室の隅っこまで移動する。窓から差し込む西日がまぶしくて目を薄めてしまう。日に背を向けた神代さんは、さっきから落ち着きがない。
練習とはいえ、恥ずかしくなることを言うんだよな。小説のために、こんなに一生懸命なんだ。俺も真剣に応えないと。
「そ、それじゃ言うね」
「うん、いいよ」
小説の流れ的に主人公と、ヒロインはくっつく。神代さんがセリフを言い終えたら、俺は「はい」だとか、「私もっ!」とか言えばいいのだろう。
よしっ……! と身構える。しかし、神代さんは中々セリフを言い始めない。
やっぱり恥ずかしいよね。
無理しなくていいよ。そう言おうとした時だった。神代さんの口が開く。
「と、冬馬っ……!」
と、冬馬……? いや、俺はヒロイン役じゃなかったっけ?
しかし流れを遮ることはできない。俺は「はい」と一言返事した。すると、神代さんはまた、黙り込んでしまった。唇と指先は細かに揺れている。
な、なんだろう。この雰囲気。
違和感が走る。この緊張感は……。
思わず固唾を飲む。すると、神代さんは震える声で、セリフを放った。
「好き……」
「えっ……」
逆光でよく見えない神代さんの表情。それでも俺には、今の響きで分かってしまった。これは練習なんかじゃないんだ。いや、例え練習でも応えられない。そんな気がした。
「神代さん……。その……ごめんなさい。お、俺はその……九条さんと付き合っているから……。いや、違う……。九条さんだけが好きだから!」
言わなきゃいけないと思った。俺の自意識過剰でも構わない。伝えないとと思った。
強く言い切ると、神代さんは、こくりと頷いた。
「うん……冬馬……ありがとう」
流れる沈黙。こういう時、どうすればいいのだろう。それにありがとうって……。胸が痛む。
なすすべもなく立ち尽くす。すると、神代さんが沈黙を破った。
「冬馬、ありがとう。練習は終わり。すごく参考になった」
「う、うん……。その……あ、あのさ」
「ごめん、今日はもう疲れちゃったの。一人になりたい」
「う、うん」
やり場のない気持ち。感じたことのない気持ちに、どう対応すればいいのか。分からない。けど、なさなきゃいけないことがあると分かった。
俺は、急いで帰り支度を済ませ、走って教室を出て行った。
俺はモテないだとか、九条さんは分かってくれているとかじゃない。ちゃんと、九条さんに分かってもらえるように、俺が怠らないように頑張らないといけないんだ。
走りながらスマートフォンを取り出し、電話をかける。コール音がしばらく鳴ると、楽しそうな声が聞こえてきた。
「桐崎くん? どうしたの?」
「九条さん! いまどこにいる?」
「え、学校近くの文房具屋さんにいるよ! それよりどうしたの?」
不思議そうな口調の九条さん。俺は息を切らしながら「伝えたいことがある」と言って電話を切った。それから足を止めずに、九条さんがいる文具店まで向かった。
店の入り口に着き、膝に手を付いて呼吸を整えていると、慌てふためいた様子の九条さんが駆け寄ってきた。
「き、桐崎くん?! ど、どうしたの?」
心配そうな目を向ける九条さん。俺は、その目を捉えたまま、ゆっくりと背筋を伸ばした。
「く、九条さん……。その……俺は君だけが好きだっ!」
息を切らしながらそう言うと、九条さんは目を丸くして固まってしまった。
「例え、誰かに好かれたとしても、この気持ちは揺るがない。九条さんが俺に教えてくれた沢山の初めての気持ちは、絶対に色あせないから。その……ありきたりな言葉だけど……これからも好きだよ桃華」
その言葉を放った瞬間、九条さんはハッと息を飲んで口元を手で覆った。まるで、時が止まったかのように、固まってしまった俺と九条さん。
頭の中真っ白で、よく言えたなと、高鳴る心臓の鼓動を感じながら思う。すると、九条さんは俺の目の前に歩いてきた。
「私も、冬馬くんだけが好きだよ」
照れ臭そうに笑う九条さん。九条さんから発せられた【冬馬】という単語に心臓が一回高鳴る。春輝や美来、それに神代さんに言われても何も感じなかったのに、九条さんが言うだけで、こんなにも嬉しいだなんて……。
他に人には知りえない。俺と九条さんだけの秘密の言葉。九条さんも同じ気持ちだと嬉しいな。
と、気持ちを噛みしめ、固まっていると、九条さんが満面の笑みで口を開いた。
「一緒に帰ろっ!」
「うん!」
俺も満面の笑みで答える。すると、九条さんは俯いて指を絡ませ始めた。
「あ、あのね……。お願いがあるの」
「う、うん! な、なに?」
「そ、その……あのね……手、繋ぎたい」
「えっ?! て、手?」
思わぬ言葉にひどく動揺してしまう。すると、九条さんは小さくうなずいた。俺は、一回深呼吸をして、震える手を九条さんの左手に伸ばす。。指先が触れ、手のひらと手のひらが重なり合う。どのくらいの強さで握ればいいのだろう。と考えていると、九条さんは優しく俺の手を握った。俺も同じくらいの強さで握り返す。
今までとは比にならない心臓の高鳴り。ふと、九条さんの方へ目を向けると、メーター真っ赤に染まっていて、天井を突き破っていた。
そして、うるんだ瞳を俺に向けると、見たことない笑顔を見せてくれた。
きっと誰もが当たり前にやっているような、人が見れば小さな幸せも、俺にはとても大きく感じ取れた。
「そそそそ、それじゃ、か、帰ろっか!」
「う、うん!」
ずっとこうしていたい。お互い無言のまま、夕日に照らされた小さな歩道を歩いていく。その帰り道、俺は今日あったことを九条さんに話した。話している時、不安な気持ちがよぎったけど、九条さんはずっと柔らかな表情で聞いてくれた。それがすごく、俺の心を軽くしてくれた。
「話してくれてありがとう」
「うん。あ、ところで如月さんは?」
「桐崎くんから電話があった後にね、先に帰ったの」
「そっか!」
それからいつもの分かれ道まで、歩いた俺と九条さん。ゆっくりと繋いだ手を放し、手を振る。俺は九条さんの背が見えなくなるまで、手を振り続けた。
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