第77話 西の山脈に被った雪が、太陽の輝きで眩しかった
シェフ。
それはチュートリアルのとき、山田村を襲った傭兵団のリーダーだ。
おれとメリルの二人がかりで、手も足も出なかった化け物だ。
まあ、おれなんて一人前と計算するのもおこがましいかもしれないが。
とにかく、サチたちが間に合わなかったら負けていた。
そんなやつが脱走したと聞いて、おれたちは身構える。
「……なおさら解せぬな」
ダリウスが言った。
「確かに〝喰い散らかし〟は共和国にまで名の通った凶悪な傭兵団だ。それでも、たかが傭兵の捜索に大隊の長が動くとは、理屈が通らんぞ」
「まあ、そう言うな。そうしなければならない理由がある」
「理由だと?」
「これは極秘の話だが、シェフは灼龍の血を引く亜人だと判明した」
ダリウスが目を見開いた。
「……それは、本当か?」
「ああ。尋問者がしっかりと確認したらしい」
「馬鹿め。それを逃したなど、内々の処理で済むものか」
「仕方あるまい。貴様、隠居して政治も忘れたか」
灼龍?
聞いたことのない言葉だ。
しかし、その一言で場の空気が変わったのはわかった。
イトナとメリルの二人は、やはりダリウスと同じように息を飲んでいる。
状況がわかっていないのは、どうやらおれと岬だけのようだ。
安藤と目が合うと、そっと耳打ちしてきた。
「……灼龍族は、帝国の最高戦力だよ。古代の神獣の血筋で、名前の通り龍に変身しちゃう亜人だって」
「それって、サチたちと同じってことか?」
「そだね。共和国の月狼族、帝国の灼龍族、皇国の精霊族の三つが、リセマラじゃ最高ランクだって言われてるけど……」
そこで、ギャレットの部下から睨まれてしまった。
おれたちは慌てて口を閉じる。
「それで、我らに何を望むのだ?」
「いやなに、難しいことではない。少し、連れの面を改めるだけだ」
「我らの面を? なぜ?」
「二日前、野盗に扮してシェフの探索に当たっていた部下の隊が、何者かに襲撃された。生存者の報告によれば、相手は一名。驚異的な戦闘能力を有していたという」
さあっと血の気が引くようだった。
それはもしかしなくとも、イトナがやった連中だろう。
ダリウスの頬に、冷汗が流れる。
「なぜ、野盗になど?」
「相手は傭兵だぞ。騎士の鎧を身に着けて移動していては目立つだろう」
「…………」
「あるいは、渡りの中にシェフが紛れている可能性もあるからな。この時期の渡りが珍しいのは、貴様も承知のはずだ」
緊迫した空気が流れる。
……面を改める。
それはつまり、素性を明かすということだ。
おれや岬たちはいい。
見た目は完全に純人種と同じだ。
適当に言いくるめることもできるだろう。
問題は、イトナだ。
お尋ね者の彼女の素性が知られれば、拘束されるかもしれない。
「……我らに、シェフに心当たりはない」
「フッ。信じると思うか? おまえは昔から、裏でよからぬ遊びを企むのが好きだった」
ぎろり、とギャレットが睨みつける。
「十五年前。ユニ家が中央議長に弓引いた際、貴様が寝返ったのを忘れたわけではないぞ」
ダリウスはしばらく黙っていた。
やがて重い口を開く。
「……いま、我が主にそのような反逆の意思はない」
「ならば、協力的な対応をしてくれるはずだ」
「それはできぬ」
「なぜ?」
「この者たちは、我が主の大事な客だ。ゆえに、わしが道中を警護しておる。よからぬ疑いによって名誉が傷つけられれば、主に顔向けができぬ」
ギャレットが大笑いした。
「我らの知ったことではないな。おまえたち、やれ!」
部下の騎士たちが動いた。
イトナの帽子に、手をかけようとした瞬間――。
『――痴れものがァアア!!!!』
会議室を震わせるほどの怒声が響いた。
「我が主の客は、我がフォールド家の客人!! それに手を触れようとするか。ならば覚悟しておけ。もしその疑いが潔白だったとき、貴様の首、いや、家名のすべてを引き換えにしても足りぬ処罰が下ることをな!」
「……ッ!!」
騎士の手が止まった。
彼は狼狽えた様子で、ダリウスとギャレットを交互に見る。
おれたちもまた、息を飲んで場を見守っていた。
その中で、ただ一人。
ギャレットだけが、愉快そうに膝を叩いた。
「ハッハッハ。老いたかと思ったが、案外やるではないか」
「…………」
そして、騎士へと命令する。
「まあ、よかろう。手を引くぞ」
「よ、よいのですか?」
「こやつは隠居したとはいえ、その弟は現議長の片腕として健在だ。下手なことをして目をつけられてはかなわん」
他愛ない戯れ合いだったとばかりに、ギャレットは立ち上がった。
部屋を出ようとするとき、ふと立ち止まって振り返る。
「逆を言えば、仮にシェフを匿っていたことが発覚すれば、フォールド家がその末路を辿るということだ」
「…………」
「まあ、それはシェフだけの話ではないがな」
にやにや笑いながら、イトナを一瞥する。
「爆弾を抱えた旅は、老骨に堪えるな」
「……なんのことか、わからんな」
今度こそ、ギャレットは部屋を出ていった。
同時にダリウスが立ち上がる。
それに合わせて、おれたちも腰を上げた。
「宿に戻りましょう。明日は早いですぞ」
「……ああ、そうだな」
その後、ダリウスとメリルが警戒する中、おれたちは眠りについた。
まだ日の上らない時間に、その都市を発った。
そこに昨日までのような会話はなかった。
ダリウスは、ずっと後方を警戒していた。
イトナやメリルもまた、周囲へと気を配っている。
日が出たころに、宿で買ってきたサンドイッチを朝食として食べた。
そのときに、ダリウスが唐突に頭を下げた。
「昨夜は申し訳ございません」
「な、なんで謝るんだ?」
「面倒ごとが起こったときのために、わたくしが同伴しましたが、完全に裏目に出ました。まさか、あの男がこんな場所にいるとは……」
その表情は、いつもの飄々とした爺さんのものではなかった。
「……あいつとは、どういった関係なんだ?」
「昨日、お伝えした通りです。騎士団の同期で、まあ、手柄を競った仲ですな」
「あまり仲はよくなさそうだったが」
「わたくしの家系は、共和国が帝国から分離する前から続く王族直轄の身分でした。対して、ギャレットは一兵卒からの叩き上げ。野心溢れる男には、わたくしのようなものは邪魔だったことでしょう」
こっちのやつらも、いろいろあるんだなあ。
なんだか話がファンタジーすぎて、そんな間抜けな感想しか浮かばなかった。
平気なつもりだったが、おれもいろいろあって混乱しているらしい。
「……ちなみに、処刑人というのは?」
「ああ、いえ。わたくしの家は代々、罪人の処刑を執行する立場にありましたゆえ」
「へえ。つまり、おまえもそうだったのか」
「そうですな。現在は弟のほうが本家を継いで、現議長の傍に控えております」
「ユニが議長に反逆したというのは?」
「……それの関しましては、わたくしの口からは」
まあ、それもそうだな。
ダリウスにとっては上司のことだ。
「まあ、なったもんはしょうがないさ。とりあえずはイトナも無事だったし、実際におれたちはシェフを匿ってはいない」
「ええ。しかし、あの男がこのままということもありますまい」
「なら、下手に揉めないためにも、一刻も早く北の村への到着を目指そう」
「畏まりました」
食事を終えると、昨日よりもさらに早いペースで北を目指した。
そして、太陽が真上に達するころ。
――北の村があった場所にたどり着いた。
おれたちは、その風景を眺めていた。
西の山脈に被った雪が、太陽の輝きで眩しかった。
「地図によると、この場所ですな」
「ああ、そのようだが……」
馬から降りた安藤が、駆け出した。
その先に――。
見渡す限りの草原に、ボロボロに崩れた廃墟が一棟だけ。
そこには、誰もいなかった。
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