第76話 雲行きが怪しくなっていくような……


 三日め。

 昨日のように野盗に襲われることもなく、平穏に時間は過ぎていった。


「先輩。ほら、あれ」

「あー。鳥だな」

「鳥だな、じゃなくて。大きくないですか?」

「言われてみれば、そうかもなあ」


 かなりの高さを飛んでいるのに、はっきりと目に映る。

 現代と違って空気が澄んでいるというのもあるだろうが、それでも鷹や鷲よりも大きいように思える。

 まあ、鷹や鷲を間近で見た経験などないのだが。


「イトナ。あれはなんだ?」

「そうですねえ。おそらく、クルトキかと」

「クルトキ?」


 と、前方を行くダリウスの脇から、安藤がひょこっと顔を出した。


「クルトキっていうのは、北に生息する大型の猛禽類だよ」

「じゃあ、やっぱり鷹や鷲の親戚ってところか?」

「そだねー。まあ、ヒトは襲わないらしいから、安心していいんじゃない?」


 それには素直に感心した。


「よく知ってるな」

「トリスに教えてもらった」

「例の亜人か?」

「うん。仕留めたウサギとか屋外に吊るしとくと、勝手に食べちゃうんだって」

「そりゃ厄介だな」


 昨日までよりも会話が多い。

 そのためか、ずっと同じような風景が続く旅も楽しかった。


「岬さまと仲直りできたようで、よかったです」

「……ああ、メリルのおかげだよ」


 まあ、尻に軟膏を塗られるのがきっかけというのはどうかと思うが。




 やがて、今夜の宿泊地にたどり着いた。


 非常に大きな都市だ。

 頑丈な石塀にぐるりと囲まれて、所々に大砲のようなものも見える。


「ここは帝国との戦争が活発だったころの前線基地として建てられた場所です」

「はあ。それでこんなに物々しいわけか」

「現在は衝突もそれほどありませんが、先日のように小競り合いが起こるので、常に騎士団が駐屯しています」


 ……小競り合いね。

 実際に見たわけではないが、いったいどれほどの戦いだったのだろうな。


「じゃあ、情報収集しようか」


 おれたちは手分けして、酒場や宿屋などを回った。


 目的は二つ。


 北の村の正確な位置の把握。

 大まかな当たりはつけているが、災害や戦争などで道が塞がれている可能性もある。


 そしてネコの亜人、トニーカ・トリスのこと。

 もし北の村から逃げた場合は、この辺で生活している可能性もある。


「……ううん。知らないねえ」

「そうか。ありがとう」


 メリルと酒場を出た。

 予想はしていたが、現状は芳しくない。


「やっぱり、そう簡単に見つかるわけないか」

「……そうですね」


 メリルが暗い顔でうなずいた。

 彼女たちも他人事と切り捨てることはできないのだろう。


 ただ、諦めるわけにはいかない。

 もしものときは、まだ数日は、この周辺を探してみるつもりだ。

 それにまだ北の村が残っている可能性もある。


「……あれはどうだ?」

「え?」


 この寒いのに、露店が出ていた。

 そこに、一人の老いた亜人が座っている。

 大きな帽子から、ヤギのような曲がった角が突き出していた。


「……すまん。少し、聞きたいことがあるのだが」


 老人はちらと目配せすると、そっと手のひらを差し出した。


「メリル、どういう意味だ?」

「情報料ということでしょう」

「まだ、なにも言ってないんだが」

「そういうものですよ」


 言いながら、彼女は懐から銅貨を一枚取り出した。

 それを手のひらに載せると、老人は素早く仕舞った。

 ……かなり敏捷な動きでびっくりした。


「ええっと、トニーカ・トリスという亜人を知らないか? 数年前、ここより北のほうに暮らしていたというんだが、買い物とかで来たことがあるかもしれない」

「…………」


 ぴく、と老人は眉を寄せた。

 それから吐き捨てるように答える。


「……知らん」

「そ、そうか。すまんな」


 おれたちはすぐに踵を返した。

 なにか怒らせるようなことを言っただろうか。


 近くに宿屋があったから、そこの店主にも聞いてみる。

 しかし、やはり成果はなかった。


「……あら?」


 その宿から出たとき、ふとメリルが声を上げた。

 先ほどのヤギの老人の露店のほうだ。


 ……いなくなっていた。

 商品も畳まれ、まるで幻影だったかのようだ。


「……なにか、嫌な気がします」

「あとで、ダリウスに報告しようか」




 日が落ちると、今夜の宿に集まった。

 その酒場の隅で、各自の情報を報告する。


 が、結果はどの班も同じようなものだった。


「……ふうむ。やはり、行ってみるしかないでしょうなあ」


 結論は変わらなかった。

 明日は予定通り、北の村に向かう。


 ただし、情報収集でより正確な位置が予測できたのは嬉しい。

 朝一で発ち、昼過ぎには着けるだろう。


「それでは、今夜はすぐに休みま……」


 会話を締めようとしたときだ。

 がやがや、と酒場の入口が騒がしくなる。


 目を向けると、十人近い騎士たちが入ってきた。

 始めは客かと思ったが、そういうわけでもないらしい。


 彼らはまっすぐ、こちらに向ってきた。

 そして取り囲むと、一人が静かに告げる。


「ダリウス・フォールド様。誠に失礼ながら、ご足労いただけますか」


 ダリウスが、その男の剣に刻まれた家紋を見る。


「……あいわかった」


 彼が立ち上がると、その騎士はおれたちを見回した。


「お連れの方々も」

「……せ、先輩」


 岬が心配そうに見る。

 ダリウスが静かにうなずいた。


「……行くぞ」


 連れてこられたのは、都市の奥にある騎士団駐屯のための建物だった。


 会議室らしき大きな部屋に通され、おれたちは黙って座っていた。

 ダリウスが顎をなでながら、渋い顔で唸る。


「ふうむ。やはり、あの男でしたか」

「知り合いか?」

「ええ。あるいはと思っておりましたが、まさかあの男が駐屯任務など……」


 おれたちを連れてきた騎士が、静かに睨む。

 どうやら、黙っていろと言いたいらしい。


 大きなテーブルの下で、岬が手を握る。

 それを握り返したとき、扉が開いた。


「待たせたな!!」


 どたどたと大きな足音を立てて入ってきたのは、非常に大柄な騎士だった。

 ダリウスと同じくらいの歳だろうが、若いのよりも二回りも大きい筋骨隆々な体躯だ。


「……ギャレット。やはり、おまえか」

「久しいな。ダリウス!」


 がしっと手を握ると、ギャレットという男は嬉しそうに腕を振った。


「貴様がユニの下について隠居してから、もう十年か?」

「いや、十五年だ」

「そうだったな。ハッハッハ、互いに老けたはずだ」


 おれたちが呆けていると、ダリウスが小声で説明する。


「中央にいたころの、わたくしの同期のものです。現在は、中央騎士団の大隊を預かる立場と聞いておりますが……」


 それと同時に、手伝いのメイドが酒を運んできた。

 とりあえずは何か危害を加えられる様子ではないようだ。


 その酒を手にすると、ダリウスが聞く。


「わざわざ我らを呼び出して、何の用だ?」

「そう棘のある言い方をするな。部下が貴様を見たと報告したから、久しぶりに酌み交わそうと招待したのだ」

「招待か。まるで連行するようなやり方だったが」

「ハッハッハ。おれの部下は、みな血の気が多いからな」

「すまんが、我らは先を急ぐ旅でな。失礼させてもらいたいのだが」

「おいおい、おれに恥をかかせるなよ。少しくらい付き合え」

「こちらには、おまえと話すことはない」


 おや、と会話に耳を傾ける。

 どんどん雲行きが怪しくなっていくような……。


 ――ドンッ! と、ギャレットが杯をテーブルに叩きつけた。


「ダリウス。罪人の首を斬るしか能のない処刑人風情が、粋がるなよ」

「ギャレット。その能無しに先を越されたのは、どこの誰だ?」


 バチィッと、静かな火花が散った。


 ……おいおい、おまえら仲よかったんじゃなかったのか。

 おれたちが緊張していると、ギャレットは忌々しそうに舌打ちする。


「まあ、いい。貴様を呼んだのは、用事があったからだ」

「それは、おまえほどの男がこの地に駐屯していることに関係あるのか?」

「まあ、そうだな。ある任務を受けている。それで、ちと面倒なことになってな」

「面倒なこと。ほう、おまえが手を焼く案件とは」


 ギャレットが酒をあおった。


「先日、貴様らが捕縛したものの一人が、中央への護送中に行方をくらました」

「……なに?」


 その言葉に、緊張が走る。

 あのチュートリアルの一件だ。

 確かに捕虜たちが、中央都市に連行されたと聞いていたが。


 ダリウスが目を細める。

 いつも温厚な男からは想像もできないほど、剥き出しの殺気を込めて睨みつけた。


「……やってくれたな」

「おれの部下ではない。その尻拭いのために、こうして探索に駆り出されているわけだ」

「しかし、合点がいかんな。たかが脱走捕虜一人の探索のために、おまえが指揮を執るのは大げさだろう」

「その一人が問題なのだ。逃げ出したのは……」


 ギャレットは、忌々しげに舌打ちした。


「――〝喰い散らかし〟の団長、通称シェフだ」

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