第75話 軟膏を塗ってもらった


 第二の宿泊地は【アカザル】という小都市だ。

 ここから馬で西に半日ほどで、共和国を牽引する中央都市に着くのだという。


 そのためか、規模のわりに活気のある街だった。


「しかし、変な名前だな」

「どういうことですか?」

「こっちの地名って、横文字だろう。ここだけ和名とも取れそうだ」


 漢字にしたら赤猿だ。

 しかし、メリルは首をかしげる。


「そういうものでしょうか。わたくしには、ちょっとわかりません」


 まあ、そうだな。

 あくまで、おれの先入観の話だ。


「イトナどの」


 ダリウスが険しい表情をしていた。


「この街では、耳を隠されよ」


 イトナが慌てて帽子を深くかぶり直した。


「どうした?」

「どこぞの騎士団の分隊が駐屯しておるようでしてな」


 視線を追うと、確かにそれっぽいのが街を徘徊している。

 山田村の新兵たちとは違って、いかにも熟練の騎士といった様子だ。


 ……なるほど。

 お尋ね者のイトナに気づかれれば、騒ぎになってしまうか。


「大丈夫なのか?」

「まあ、そのためにわたくしがいるのですから」


 どういうことだ?

 疑問に思っていると、さっそくまずいことになった。


「そこのもの。止まれ」


 三人組の騎士から声をかけられた。


「この時期に渡りとは、妙な連中だな。商人のようには見えんが……」


 なんと言おうか迷っていると、ダリウスが手で制する。


「ユニ家のものだ。故あって、北へ向かっている」

「……ユニ家?」


 騎士たちの間に動揺が生まれた。


「馬鹿な。ユニ家のものが、こんなところに?」

「いや、待て。この方には見覚えがあるぞ」


 一人が歩み出た。


「もしや、ダリウス・フォールドさまでは?」

「いかにも」

「し、失礼ですが、証明を」

「…………」


 ダリウスは懐から、勲章を取り出した。

 交差する二挺の大鎌をかたどっているようだ。


 それを見た瞬間、その騎士が真っ青になった。


「申し訳ございません!!」


 その場に膝をつくと、地面に当たるほどに頭を下げる。


「よい。規則は知っている。これは忍びの旅ゆえ、内密にな」

「は、はい!!」


 騎士たちは、逃げるように去っていった。


「……ふうむ。あれは中央都市の騎士団のようですなあ」

「へ、へえ。そうなのか」

「この時期に駐屯しているのは珍しくはないですが、どうも妙な感じがします」

「……そうだな」


 それから宿を取った。

 嬉しかったのは、この都市には風呂の文化があったことだ。

 昨日は身体を拭いただけだったので、とてもありがたい。


「おや、山田どのは浸からんのですか? この湯舟は広いですぞ」

「尻が痛くて無理だ。身体を洗うだけにするよ」

「わたくしも初めて馬に乗ったときのことを思い出しますなあ。父は厳格な人間で、泣いても喚いても、まったく取り合ってはくれませんでした」


 この男の父親か。

 さぞ恐いやつなんだろうな。


「さっきは、どうして騎士たちに止められたんだ?」

「この時期の渡りは珍しいですからな。野盗の物見と警戒されたのでしょう」

「さっきも言ってたな。渡りとはなんだ?」

「都市間を移動するものの総称です。商人や吟遊詩人、傭兵などですかな」

「なんで、おまえを怖がってたんだ?」

「ハッハッハ。いやなに、昔、中央の騎士団に所属していたことがありましてな。そのころのことを知っておるのでしょう」


 微妙に答えになっていないが、まあ、よしとする。

 こいつは他人のことはおしゃべりだが、自分のことはとんと話さない。


 風呂から上がると、酒場で食事にした。


 今日は女性陣とは別行動だ。

 騎士団が回っているので、彼女らは宿のほうで食事をとっている。


 中央都市のお膝元だと、食事の質も高いような気がする。

 特に、鶏を丸々一羽煮込んだトマトポトフのようなものがうまかった。


「トマトは夏のイメージだったんだが、冬でも出るんだな」

「夏に採れたものを乾燥させて、保存食にしているのです。酸味が抜けて甘みが増しているので、冬のトマトのほうが人気がありますな」

「確かに味が濃くていいな。来年はうちでもやってみるか」

「それは皆が喜ぶでしょうな。そういえば、また柳原どのの食事も口にしたいものです」

「ああ、本人に言ったら喜んで作りに来るぞ」


 話しながら、甘い酒を飲んだ。

 この辺は、エールではなく蜂蜜酒のような甘いものが主流だという。


「しかし、柳原どのは不思議な方ですなあ」

「そうなのか?」

「ええ。我らどころか、モンスター相手にも物怖じしないところなど、どんと腰の据わった御仁のように思えます」

「あいつは昔からあんなだよ」

「いつ頃からのお付き合いなのですかな」

「大学のころだったな。同じゼミになったんだが、まあ、とにかく不愛想なやつでな」

「大学に、ゼミとは?」

「大学は向こうの教育施設だな。ゼミというのは、その中の小さなグループと言えばいいか。まあ、そこで少しトラブルがあってな」

「トラブルとは、聞いてもいいものでしょうか」

「ううん。レポートとか言ってもわからんだろうが、そうだな。他の仲間が、柳原のつくったものを真似して提出した。そこで問題が起こった」

「なるほど。同じものが二つあれば、どちらがオリジナルかと騒ぎになりましょうな」

「そうだ。そいつは、柳原のほうが、それを真似たのだと吹聴して回った。普段から一人で行動することの多い柳原は、その噂を訂正するのを諦めていた」

「ううむ。レポートはわかりませんが、許しがたい所業ですな」


 なぜかダリウスが笑った。


「どうした?」

「いえ。山田どののことです。きっと、その誤解を解こうと奔走したのでしょうな」

「……別に正義のヒーローを気取ってやったわけじゃない。柳原は何を考えてるかはわからんが、根は真面目でいいやつだ。そんなやつが悪者にされているのは、気持ちのいいことじゃない」

「なるほど。それからのお付き合いというわけですな」

「まあ、そうだな。なんとなくいっしょに行動することが多くなって、いまでは数少ない友人だよ」


 やがて食事を終えた。


「酒を買うついでに、いろいろと聞き込みをして参ります。なにかあれば、メリルのほうへ」

「ああ、わかった。気をつけろよ」


 一人で宿に戻った。

 ちょうど部屋に戻ろうとしたとき、隣の部屋のドアが開く。


「ほら、岬さま。山田さまのお帰りですよ」

「ちょ、ちょっと、メリルさん。背中を押さないで」


 なぜか岬が、メリルに背中を押されて前に出る。

 とてもキャッキャウフフな雰囲気だった。


「な、なんだ?」

「先輩。これを……」


 差し出された小さな容器。


 軟膏だ。

 側面には、擦り傷・できものに有効と書いてある。


「これ、どうしたんだ?」

「や、柳原さんが、先輩には必要になるだろうって……」


 ……まさかこの歳になって、親友に尻の状態を見透かされるとはな。


「あ、ありがとう」

「いえ。わたしは、べつに……」


 で、沈黙が下りる。

 これまで一言も口を利かなかったのだから、いきなり何を話せというのか。


「じゃ、じゃあ、これ塗って寝るよ」

「は、はい。おやすみなさ……」


 慌てて部屋に戻ろうとしたとき、メリルが手を叩いた。


「塗って差し上げればよろしいでしょう」

「「は?」」


 思わず岬と被った。


「目の届かないところは、ご自分では塗りづらいものですからね」

「ま、待て。それはさすがに……」


 会社の後輩に、尻に軟膏を塗ってもらう絵面ってどうなんだ。

 いやいや、考えるまでもないだろ。

 さすがに岬もドン引きで……。


「やります!!」


 なんでだよ。


「待て。おまえも流されるんじゃない!」

「旅の恥は掻き捨てと言いますし?」

「意味が違う!!」


 気づかなかったが、ほんのりと酒の匂いがする。

 どうやら、女性陣もだいぶ酔っている様子だった。


「ハア。勘弁してくれ。メリルならまだしも、岬にそんなことを……」


 と、口を滑らせたのがいけなかった。


「先輩は、わたしに見られて困るお尻があるんですか!?」

「誰に見られても困るだろ!?」

「じゃあ、選んでください。わたしに塗らせるか、メリルさんに塗ってもらうか!」

「意味がわからん!!」


 見ると、メリルがわくわくした様子で見守っている。

 わたくしはいつでもオーケーですよ、と言わんばかりだ。


「…………」


 新卒の後輩に塗ってもらうか、16才のメイドに塗ってもらうか。

 いや待て、そもそもなんで塗ってもらうことが前提となっているのか――。


「うぅー……」

「…………」


 結局、ダリウスが戻るまでの小一時間。

 おれは岬から、尻に軟膏を塗ってもらった。





※お知らせ※

 この度、カクヨムで開催された『電撃新文芸スタートアップコンテスト』で【優秀賞】をいただきました。

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