第74話 腹筋100回できるようになったしな


「な、なんだ?」


 振り返ろうとしたとき、メリルの叱咤が飛んだ。


「山田さま、掴まって!!」


 どきりとして、慌ててその身体にしがみつく。

 それと同時に、メリル、イトナ、ダリウスの三人が手綱を振るった。


「体勢を低く!!」


 馬が力強く跳ねた。

 一気にトップスピードに駆け上がる。


 その振動は、先ほどの非ではない。

 油断すると、身体が宙に飛ばされそうだ。


 おれは必死にメリルにしがみつきながら、薄目で後方を確認する。

 森の向こうから、複数の黒い影が迫っていた。


 どれも、汚らしい衣服をまとった男たちだ。

 どいつも屈強で、それぞれが剣を携えていた。


 逃走劇は、それほど長くはなかった。

 じわじわと迫る山賊たちに、ダリウスが舌打ちする。


「……いくら二人と荷物を載せているとはいえ、この馬が追いつかれるとは」


 メリルが困惑した様子で、彼に目を向けた。


「ダリウスさま、いかがしましょう!」

「ふうむ。致し方あるまい……」


 同時に、三頭のスピードが落ちた。

 瞬く間に、山賊たちが迫りくる。

 やつらも剣を抜くと、威嚇態勢のまま突っ込んできた。


「イトナどの。頼めますかな」

「……そうですね。ちょうど、座っているばかりも飽きてきました」


 そう言って、ふとこちらに近づいた。


「神さま」

「な、なんだ!?」

「しっかりと受け止めてくださいませ」


 ……なんて?


 目を向けて、ぎょっとした。

 イトナが岬をお姫様抱っこしている。


「おい、嘘だろ!?」

「い、いい、イトナさん!?」


 これから起こることは、なんとなく予想がついた。

 岬もまた、その予感に顔面を蒼白にさせている。


 そして、残念ながらそれは現実となった。


「それっ☆」


 ぴょーん、と岬の身体が宙を舞った。


「わあああああああああああああああ!!?」

「きゃああああああああああああああ!!?」


 メリルが素早く馬の体勢を変え、受け止めやすくする。

 飛んできた岬の身体を掴まえると、必死に抱き寄せた。


「速度を上げますぞ!!」

「山田さま、掴まって!!」

「待て、イトナが……」


 振り返って、目を見張った。


 イトナの髪が、ぞわぞわと白く変色していく。

 同時に、腕や足もまた、純白の体毛に覆われていった。

 そして指先には、鋭い爪が光っている。


 前に見た、サチたちとの相違点。

 それは彼女がヒトの形態を保ったまま、その姿を神獣のそれに近づけていたのだ。


 イトナが馬の上にしゃがんだ。

 勢いよく跳躍すると、山賊たちの中に飛び込んでいった。


「ちょ、待て!!」

「先輩、落ちる落ちる!!」

「くそ……」


 後方から、山賊たちの野太い悲鳴が耳に届いた。




 しばらく走り、ダリウスたちが馬のスピードを緩めた。

 追手の気配も消え、森には静寂が戻っている。


「そろそろ、いいですかな」


 イトナの乗り捨てた馬も、それを見て止まった。

 よく躾されているなあ、などと感心している場合ではなかった。


「いや、イトナはどうするんだ!?」

「ここで待ちます。なに、月狼族が、あの規模の輩に負けるはずもございません」

「そ、それは、そうかもしれないが……」


 助けに戻ったところで、おれでは足手まといになる可能性のほうが高い。

 だからといって、落ち着いていられるはずもなかった。


「それより、警戒を。待ち伏せの可能性もあります」


 ダリウスが、腰の剣を抜いた。

 メリルもまた、同じように剣を構える。


「山田さま。この手綱を握っておいてくださいませ」

「え、いや、おれは馬には乗れんぞ」

「じっとしていればよろしいです。あとはわたくしがやります」


 緊張しながら、周囲に気を配る。


 岬がぎゅっと服に掴まっていた。

 しばらく話もしなかったせいで、ものすごく意識してしまう。


「……い、イトナはまだか?」

「まあ、まあ。戦いのコツは、どんと構えておくことです。気を張りすぎると、いざというときに身体が硬直しますぞ」


 安藤が緊張した様子で、唇を噛んでいた。


「おい、大丈夫か?」

「だ、大丈夫だって。オッサンは、そっちの仕事してなよ」

「でも、顔が青いぞ」

「だから、こんくらい平気だから……」


 明らかに強がりだ。

 たぶん、過去の事件が尾を引いているのだろう。

 その様子を見かねて、ダリウスが優しく肩を叩いた。


「大丈夫です。イトナどのは、月狼族でも特別な存在ですからな」

「と、特別って?」


 その言葉に、先ほどのイトナの姿を思い出した。


「……さっきの変身したやつか?」

「ええ。ヒトの形を保ったまま、古代の血を扱う術。半獣態と呼ぶものらしいですな」

「サチやカガミと違ったから驚いた」

「アレは、月狼族でも当主の血筋しか使えないといいますからな」

「ああ、なるほどな」


 当主の血筋ね。

 ええっと、当主とはなんだったか。

 確かリーダーとか、王さまという意味だったような……。


「……それ、イトナが月狼族のお姫さまってことか?」

「ハッハッハ。やはり初耳のようでしたな」

「あ、あいつら、そんなこと言ってなかったぞ!?」

「気遣いを嫌ったのでしょうな。まあ正確には、お姫さまはサチどのになりますが」


 おれのイメージするお姫さまとはかけ離れているが、まあ、そうだな。

 つまり、お姫さまもアイスクリームの前には無力ということか。


「……なるほどな。だから、あんなに人里を嫌がっていたわけだ」

「あちらも死に物狂いで探してることでしょうからなあ」

「だったら、なおさら領地から出しちゃダメだろ!」

「本人が来ると聞かなかったのだから、致し方ありません。ただの純人種であるわたくしに、どうやって月狼族を止められましょう」


 ……まあ、そうなのだが。


「山田さま、あちらを!」


 後方をうかがっていたメリルが言った。

 目を向けると、一騎、こちらへ向かってくる。


 身構えるが、それはイトナだった。

 ホッと息をつくと、岬、おれの順に降りて、彼女に駆け寄った。


「大丈夫だったか?」

「はい、無事にすべて片付きました。もう少し進んでいるものと思っていたのですけれど」


 そう言って、馬から降りた。

 その手に血のりがべったりついているのは、ツッコまないほうがいいんだろうな。


「いや、そうじゃなくて、怪我はないか?」

「ああ、ご心配をおかけしました。ちょっと、お水を取っていただいてよろしいでしょうか。馬の飲み水用にペットボトルにくんだのが荷物に入っているはずですが」


 それを取り出すと、手を洗ってやる。


「でも、こういうことは、もうしないでくれ」

「こういうこと、とは?」

「一人だけ、敵に飛び込むような真似だよ」

「…………」


 なぜか呆気にとられたような表情になる。


「な、なんだ?」

「いえ。そのようなことを言われたのは、初めてのことで」


 微妙に居心地が悪そうに、濡れた手を拭った。


「わたくしどもは、生まれたときから共和国の兵器として扱われました。戦うことだけを学び、戦うことにしか生きる意味を見出せない獣です」

「…………」

「そんなわたくしどもを、神さまは救ってくださいました。いつか、そのお礼をしたいと思っていたのは事実です。……でも、わたくしどもは恩を返すとき、このような方法しか知らないのですよ」


 ダリウスたちは黙っていた。

 かける言葉が見つからないのではなく、それは肯定の意味なのだろう。


 しばらく前に訪れた行商のトトから、ユニ家はよい領主だと聞いた。

 おれの知らないだけで、亜人に対する迫害はいたるところで起きているのだろうか。


 山田村では、そんなことを許すつもりはない。

 しかし頭ごなしに言いつけるのは、きっとイトナたちの人生を否定することになるのだろう。


「……わかった。おまえの気持ちはよく理解した。それに、嬉しいと思う。でもおれは、もう礼をもらっている。楽しい時間をもらっている。それには、おまえがいなくちゃいけないんだ」

「わたくしが、ですか?」

「そうだ。だから今度から、一人で身を投げ出すようなことはやめてほしい。おまえになにかあったら、サチはどうなる? 少なくともこの村では、おまえは兵器ではなく、一人の母親なんだ」

「…………」

「これからは、戦うときはおれも戦う。いいな?」


 イトナはしばらく黙っていたが、やがて苦笑した。


「神さまは大人しくしてくださったほうが、わたくしとしては有難いのですが」

「うぐぐ……」


 ド正論に、なにも言えなくなる。

 まあ、それほど戦力になるとは思ってはいないが。


 これでも、あのチュートリアルから身体を鍛えていたりするんだぞ。

 最近は休みなしで腹筋100回できるようになったしな。


「でも、お心遣い、ありがとうございます。以後、気をつけますね」

「……ああ、そうしてくれ」


 ホッと胸をなでおろす。

 偉そうなことを言って、逆に機嫌を損ねたらどうしようかと思っていた。


「イトナどの。その馬はいかがしました?」

「ええ。彼らのものを拝借したのですが、やはり妙ですね」


 そう言って、馬の毛並みを撫でる。

 それを放つと、そいつは再び、山賊たちのもとへと走って行った。


「山賊のものにしては、とてもよい馬です。賢いし、手入れも行き届いております。彼らの装備も、そこらのものではありませんでした」

「…………」


 おれたちが首をかしげる中、ダリウスだけが険しい表情を浮かべていた。


「これは、もう少しばかり警戒する必要がありましょうな」


 そうして、おれたちは再び次の宿泊地を目指した。

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