第73話 蹄の音が迫ってきた
二日目。
例によって、日中はずっと馬での移動だ。
昨日よりもさらに早いペースに、おれの尻はすでに悲鳴を上げている。
今日はずっと森を通る道を走っていた。
これが最短ルートだし、この時期は獣も冬眠しているらしい。
太陽がてっぺんに上ったころ、昼休憩を取った。
「うううまい!!」
「やはり山田村の野菜は格別ですなあ」
安藤とダリウスが、それぞれ感動の声を上げている。
柳原が餞別に作ってくれた、ほうれん草のキッシュだ。
寒いので、移動中の食事として活用させてもらっている。
「ほら、ユウリ。口元が汚れてますよ」
「わ、わかってるよ。ちょっと、そういうのやめてくれない?」
イトナが安藤の口元を拭っている。
この二人、今日はなんだか仲がいいな。
村では、こんな様子ではなかったと思うのだが。
……そういえば昨夜、二人は同じ部屋だったか。
てっきりイトナと岬が同室になると思っていたから、少し驚いた。
「……ダリウス。なにかやったのか?」
「ハッハッハ。山田どのは、すぐわたくしをお疑いになりますな」
「いや、そういうつもりじゃ……」
まあ、騎士団でいちばん腹黒そうなのは確かだが。
「今回の旅において、イトナどのにはいくつか役目がありましてな」
「おいおい、物騒だな。岬の護衛じゃなかったのか?」
「それが第一の役目ではありますが、まあ、そうですな。できれば、第二の役目は杞憂であってほしいのですが……」
歯切れの悪い調子だ。
この男にしては珍しいものだ。
まあ、ダリウスのことだから、なにか意図があるのだろうが。
「しかし、山田どの。先ほどから様子がおかしいようですが、どうかしましたか?」
「ああ、いや。ちょっと尻がな……」
みんなが顔を見合わせて笑った。
「では、少しお待ちください」
メリルが、いそいそと森の中に入っていった。
近くの枯れ草などを麻袋に詰めて、即席のクッションを作ってくれた。
「これで、多少はマシになると思いますが」
「おお、ありがとう。使わせてもらうよ」
こういう機転の利くところは、本当にすごいな。
ますますうちの会社に欲しいものだ。
「さて、それでは出発しましょう」
ダリウスの声に、素早く準備を整える。
馬の背中に枯れ葉クッションを添えて、その上に乗った。
ちょっとチクチクするが、案外と乗り心地はいい。
そっと、うしろのイトナの馬をうかがう。
相変わらず、岬は無口なままだった。
この空気もどうすればいいのか。
いや、今回はおれのせいじゃない。
もともと、彼女には留守番するように言っていたのだ。
だから、おれは悪くない。
そう、悪くないんだ。
でも、このまま空気が悪いのは問題だ。
おれ以外はまったく気にしていないようだが、それでも問題だよな。
さりげなく、さりげなく様子を聞こう。
昨日、岬と同室だったのは……。
「なあ、メリル」
「いかがしました?」
「ええっと、その、昨夜はどうだった?」
「そうですね。よく眠れましたけれど」
「いや、そうじゃなくて……」
「え? ううん、そうですねえ。さすがに宿場町の酒場に、それほどのものを期待していたわけではございませんが。やっぱり舌が肥えるのはいけませんね。村での食生活に慣れると、どうしても素直に美味しいと思えなくなってしまいます」
「そ、そういうことでもなくてな。なんと言ったらいいか……、ん?」
メリルが可笑しそうに肩を震わせている。
それに気づいたとき、からかわれているのだと悟った。
「……趣味が悪いぞ」
「すみません。あまりに可愛らしいもので、つい」
ちら、と彼女も岬の様子をうかがう。
「特に問題はございませんよ」
「いや、でも、ずっと黙っているだろう」
「それは、山田さまが怒ってらっしゃると思っているからですよ」
「いや、おれは別に怒って……、いや、怒ってたか」
昨日から、確かにそういう態度だった気がする。
「岬を同行させたのは、おまえとイトナが噛んでいると言っていたぞ」
「あら、やだ。ダリウスさまは、あれでなかなかお口が軽くて困ります」
「おまえが養女だとも聞いた」
「それは、経緯も含めて?」
「まあ、だいたいはな」
「隠しているわけではございませんが、あまり知られたいことでもないですね」
「すまん。でも、聞いた以上、黙っているのも違うだろ」
「お心遣い、感謝いたします」
そして、やっと本題を問いただす。
「どうして岬を同行させたんだ? おれと安藤を連れている以上、おまえたちの負担が増すだけだろ」
「それは、秘密です」
「おいおい、それがわからなきゃ、岬に接しようもないんだが……」
「とは言いましても、わたくしの口から言うのも野暮というものですし……」
どういうことだ?
頭をひねっていると、メリルが苦笑する。
「岬さまのことになると、本当に一生懸命ですねえ」
「そ、そんなことはない。サチたちのときも、こんなものだろ」
「いいえ。端から見ていると、よくわかりますよ」
彼女は少しだけ、寂しそうに言った。
「わたくしのことは、ご迷惑でしょうか」
「な、なんで?」
「山田さまは、いつも困ったようなお顔をされます」
「ああ、えっと……」
ストレートな問いに、つい黙ってしまった。
「……すまん。そういうわけじゃない。ただ、こういうことに慣れてなくて」
「こういうこと?」
「昔から、モテるほうではなくてな。だからメリルのような可愛い子に言い寄られると、どういう態度を取ればいいかわからな……」
途端、馬が思いきり歩調を乱した。
「うおおっと!!」
「も、申し訳ございません!!」
うっかり落ちそうになるのを、慌てて互いにバランスを取る。
「メリル、どうした?」
「や、山田さまが、変なことをおっしゃるからです!」
「はあ?」
「わ、わたくしは、そんな、可愛いなど……」
ごにょごにょと語尾が消えていく。
見てわかるほどに、耳まで真っ赤だ。
「…………」
おいおい、待ってくれ。
旅行すると相手の新たな一面が見えるというが、これはさすがに意外すぎる。
このくらい「あらやだ。お上手ですことオホホ」とか言ってあしらいそうなものだが。
……と、視線を感じて振り向いた。
安藤とダリウスが、とんでもなく生温かい視線を向けている。
「イチャイチャしてる……」
「イチャイチャしてますな……」
おおい、やめろ。
「今夜は、山田どのはメリルと同室にしますかな」
「いいねえ。爺ちゃん、今夜はわたしとババ抜きしようぜー」
アッハッハ、とか笑ってるんじゃないぞ。
おまえら、言っていい冗談と悪い冗談があるのがわからんのか。
そっちに言い返そうとしたとき、ふいにうしろの馬が間に割って入った。
また岬からなにか言われるかと思ったが、口を開いたのはイトナだ。
「お静かに」
「ど、どうした?」
「後方に気配があります」
そう言って、彼女は帽子を脱いだ。
月狼族のイヌ耳が、ぴんぴんっと反応する。
「……馬の蹄の音が、十数ほど」
「ふうむ、山賊連中ですかな」
「この時期は、山にこもっているか、宿場町で大人しくしているはずですが……」
と、イトナが目を細める。
「その割に、妙な感じですね」
「と、言うと?」
「いえ、実際に見てみないことには……」
言いかけて、ハッと口をつぐむ。
「――来ます!!」
その瞬間、後方から怒涛のような蹄の音が迫ってきた。
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