第72話 説明してくれるんだろうな


 馬が揺れる。

 ものすごく揺れる。


 がっくんがっくん、と尻を小刻みな鈍痛が襲う。

 ちょっとシャレにならないレベルだ。


 騎士団の連中を見ながら楽しそうだと思うこともあったが、正直かなりの苦行だな。

 こんなことなら、柔らかクッションでも買っておくべきだった。


「うわっ!?」

「や、山田さま!!」


 うっかりバランスを崩したところで、慌ててメリルに支えられる。


「もう。しっかりと掴まってくださいませ」

「すまん。こんなに揺れるとは思わなくて……」

「騎士団でも落馬して命を落とすものは多いです。それでなくとも、馬に踏まれたら取り返しがつきませんよ」

「そ、そうだな。いや、でも……」


 現代人の倫理観として、30過ぎのおっさんが16の少女に密着するというのは気が引ける。


「ごちゃごちゃ言わない! ほら、腕を腰に回して」

「は、はい」


 わりと本気で怒られてしまった。


 ……そうだな。

 命にかかわることなのだから、些細なことを気にしている場合ではないのだ。


 メリルの細い腰に両腕を回した。


「こ、こうかな。痛くないか?」

「もっと力を込めて結構ですよ」

「い、いや、本当に大丈夫だから」


 一週間はこうして移動するのだから、こんなことで怯んでいたら身が持たない。

 メリルだって慣れた様子だし、むしろ気にしすぎるのは失礼になるような……。


「うふふ」

「どうした? やけに楽しそうだな」

「いいえ。こうしていると、まるでカップルのようだと思いまして」


 ぐふぅ……!


 ここでまさかのフェイント。

 鳩尾への見事なボディブローだ。

 これを素で言っているとしたら、とんだ悪女の素質だな。


「ど、どこでそんな言葉を?」

「テレビの渋谷特集でやっていました。ぜひ行ってみたいです」

「そうか。まあ、また機会があれば連れて行こう」

「うふふ。おねだりしちゃいました」

「いつも世話になっているからな。ところで、渋谷でなにがしたいんだ?」

「はい。カップル限定で体験できるスパがあるそうです」


 その場を想像して、吹きだした。


「日々の疲れを癒し、大切なひとのために美しさを磨くラグジュアリーな空間。とても胸が躍ります」


 おれの辞書にない言葉が出た。

 ラグジュアリー。ラグジュアリーだな。


 なんかキラキラしてるとか、そんな感じかな。

 結局わからなくて、当たり障りのない言葉を選んだ。


「おまえも、ああいうのに興味があるんだな」


 彼女は振り返り、拗ねたような表情を見せる。


「山田さまは、ときどき意地悪なひとです。わたくしだって女ですよ」

「いや、それはわかってるが……」


 現在進行で、よく思い知らされている。

 厚手のコートの上からとはいえ、やはり女性としての特徴はよくわかる。

 彼女はほら、村でもイトナに次ぐほど立派な娘さんだから。


「……ん?」


 ダリウスたちが、ものすごく生温かい視線を向けている。


「な、なんだ?」

「オッサン。顔に似合わず、やるねえ」

「ううむ。我が主もこと女癖に関しては目を見張るものがありましたが、山田どのも負けず劣らずの人物と見受けられますな」


 やめてくれ。

 中高生ならいざ知らず、こちとら立派なおっさんだ。

 そういうヒューヒュー的なのは卒業してるのだ。


 メリルに関しては「あらやだ、ダリウスさまったら」なんて頬を染めているものだから、ひたすらに居心地が悪い。


 いや、メリルが悪いというわけじゃない。

 しかし、この背後から刺さる視線が……。


「…………」

「…………」


 微妙に距離を取った後方で、岬とイトナの馬が続く。

 岬と目が合うと、ふいっと逸らされた。


「お気になりますか?」

「いや、まあ、そりゃな」


 あれからまた喧嘩したせいで、かなり空気は悪い。

 しょうがないだろう。おれはもともと、彼女は置いてくるつもりだったのだ。


 どうしてみんな、岬の同行を了承したのか。

 イトナだって、村に残ってくれていたほうが安心なのだが。


「いまからでも、引き返してくれるといいんだがな」

「…………」


 メリルがため息をついた。

 まるで、おれを責めているように感じる。


「山田さまは、過保護な方です」

「そうかな」

「そうですよ」

「でも、危険な目に遭うよりはいいだろう」

「そればかりとは限りません」

「どういう意味だ?」


 しかし、彼女は穏やかに微笑んでいるだけだった。




 最初の宿泊地【カッテラ】に到着したのは、夕暮れのことだった。


 ダリウスたちの【ケスロー】よりも、二回りほど小さな街だ。

 話によると、物資輸送の中継地として栄える場所だという。


 そのため、大半は宿屋や酒場になる。

 時代劇の宿場町のようなものだろうか。


「なんとか日が落ちる前に着きましたな」

「やっぱり、冬は日が落ちるのが早いですね。明日は、もう少し足を早めましょう」


 冬は出稼ぎに出ているものも、故郷の村に帰るものがほとんどらしい。

 宿はどこも空いているようだったので、無事に部屋を取ることができた。


 近くの酒場で食事をとった。

 こっちの世界の料理は、イトナの手料理と、ユニの屋敷で出たものを食べた。


 前者は家庭的で、後者はお上品だ。

 しかし、今回の食事はどちらとも違う。

 大衆的というか、とにかく豪快な食事ばかりだった。


 大皿に盛られた得体の知れない肉を食う。

 ぱさぱさとした安い牛の食感だ。

 味が薄いのは了解済みだが、とにかく臭みがすごかった。

 なるほど、スパイスが普及しきっていないと、こういう食生活になるのか。

 しかしダリウスたちはもりもり食べているので、きっとそれが普通なのだろう。


「……オッサーン。パスタ食べたーい」

「おれだってそのほうがいいよ。ほら、文句言わずに食え」


 スープにパンを浸して、お粥のようにして食べる。

 それはまだ味はいいが、やはり物足りなかった。

 そう考えると、現代の食生活は本当に恵まれているのだとわかる。


 食事を終えると、すぐに宿で休むことにした。

 明日もまた、早くから移動することになる。


 部屋割りは、おれとダリウス、安藤とイトナ、岬とメリルだ。


 ダリウスが酒場で買ってきた安酒を飲みながら、軽く談話していた。

 この周辺の事情や、これからの道程を説明。


 冬の間は、野盗なども動きを潜める。

 まっすぐ北上して、三日後には目的地に到着する予定だ。


「それで、説明してくれるんだろうな」

「なにをですかな?」

「とぼけるなよ。岬は連れて行かないと言ったはずだ」

「フッ。いまさら言っても、どうしようもないでしょう」

「そういう問題じゃない。おれは、おまえを信用していた。だから、今回の旅に関してはすべてを任せたんだ」

「耳が痛いですな。確かにご期待を裏切ったことは申し訳なく思っております」


 ぐっと酒をあおった。


「とはいえ、これはわたくしではなく、イトナどのとメリルの強い意向でしてな」

「あの二人の?」


 苦笑しながらうなずいた。


「昔から、女性にはてんで弱いのです。そればかりは主からよく注意されますが、いやはや、あの方のようにうまくあしらうことはできませんな」

「……結局、答えになってないぞ」


 彼は黙ったまま、さらに酒を注いだ。

 つまり、その女性たちに聞けと言いたいのだろう。


 なにか理由があるというなら、咎めるつもりはないのだが。

 酒に口をつけると、これまで聞こうとしていたことを思い出した。


「なあ、ダリウス。おまえは、メリルとは長いのか?」

「クレオさまが、あの子を連れてきたのが6年前です。それが、いかがしました?」

「あー、えっとな。あの子はその、誰にでもああなのか?」

「ああ、とは?」

「最近、思わせぶりな発言が多いだろう」

「ハッハッハ。そのような娘に見えますかな」

「見えないから困ってるんだ」


 最近の彼女の言動は、傍目に見ても度が過ぎているように思う。

 この前なんか、背中を流すと言って風呂にまで押しかけてきそうになった。


「メリルはお気に召しませんか」

「いや、気に入るとか、気に入らないとかじゃないだろう」

「なぜ? 結局、ひとは心次第です」

「いや、おれはほら、もうおっさんだしな」

「それがどうしました。こちらの世界では、60の男が、13の娘を娶ることもあります」


 彼は何でもないように言った。

 その態度が、むしろ冗談で済ませたい意向を否定する。


「あの娘は、不幸な子です」

「……不幸?」

「あの子の故郷の村は、悪い風習がありました。双子は忌み子とされ、片方を森の神の怒りを鎮めるために捧げるというものです。彼女は10歳になると、獣の徘徊する森に捨てられました」


 ……にわかには信じられないが。

 ここはおれたちの常識が通じない場所だ。


「夜通し走り続け、なんとか生き延びた彼女を、兄上さまと巡察に出ていたクレオさまが見つけました。それからわたくしの養女に迎え、側近として護衛術のイロハを叩き込みました」


 ダリウスは、そのころを懐かしむように目を細める。


「メリルは年上のものに優しくされたことがありません。わたくしは立場上、彼女には厳しく接してきました。いえ、決して愛情がないわけではありませんが、やはりまだ、わたくしのことは怖いようですな」

「…………」

「本人も、おそらく距離感を掴み損ねているのでしょう。あんなにはしゃいでいるのは、初めてのことですから」

「……別に、迷惑だとは思っていないが」


 そう言われると、無下にすることはできないではないか。

 この優柔不断さは、どうにも治るような気はしなかった。

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