第70話 連れていけない


 あー、くそ。

 日曜は、ちょっと張り切りすぎたな。


 そんなことを考えながら、今日も仕事が終わる。

 なんか最近、腰の調子ばかり気にしてるな。


「せーんぱい。ご飯行きたいです」

「…………」


 岬がにこにこしながら、いつものおねだりしてくる。


「……えらく機嫌がいいな」

「そうですか?」


 ……この前から、なんか変だな。

 まあ、機嫌が悪いよりはいいのだが。


「でも、ちょっと飯は難しいな」

「なにか用事ですか?」

「ああ。今日はちょっと、柳原と約束があってな」

「柳原さんと? また仕込みのお手伝いですか?」

「いや、登山用品店に行くんだよ」


 意外そうに目を丸くした。


「先輩、山ボーイだったんですか?」

「いや、そういうんじゃなくて……、え、なんて?」


 なんでも山とか御朱印とかつければいいんじゃないんだぞ。

 あとボーイという歳でもなかろうに。


「向こうでの冬の移動は堪えるらしいからな」

「ああ、なるほど。確かに登山用の防寒服とかいいかもしれないですね」

「柳原が大学のときにその手のサークルに入ってたから、付き合ってもらうことにしたんだ」

「柳原さん、なんだかんだ優しいですよねえ」

「そうだな。おれも何度も助けられたよ」


 とりあえず、駅まではいっしょに帰ることにした。


「結局、年末年始にするんですか?」

「そうだな。昨日、戻ったクレオの話だと、北の村があるだろう場所まで往復で七日はかかるらしい。安藤は学生だし、おれも平日にそんな休みを確保するのは難しい」

「じゃあ、春まで待てばいいのに」

「できるだけ急いだほうがいいだろう。向こうの冬は厳しいし、もしその差で悪い結果になったら安藤に申し訳ない」


 まあ、すべてはその村が現存していた場合のことだが。


 さすがに領主の屋敷の資料でも、正確な場所はわからなかった。

 せいぜい安藤の思い出にあった『夏でも雪の溶けない山脈』を手掛かりに、だいたいの位置を割り出すことで精いっぱいだったという。


 つまり、行ってみなければわからない、ということだ。

 そこで待っているのが、どんな結果かはわからない。


 駅に着いて改札の前で別れる。

 ここからは逆方向だ。


「……あの、先輩」


 振り返ると、彼女がもじもじと指を絡ませている。


「わたしも、行きたいです」

「…………」

「あ、えっと、登山用品店じゃないですよ? その、年末年始の、北の村への……」


 もにょもにょと、語尾が消えていく。

 遠慮しているのは、おれがなんと言うか知っているからだろう。


 おれは小さなため息をついて、はっきりと答えた。


「ダメだ。おまえは連れていけない」

「どうして、ですか?」

「ダリウスと話したが、危険な旅になるらしい。寒さもそうだが、道中では野盗も出る。これはおれが勝手に決めた旅だ。おまえに危険があってはいけない」

「で、でも、さっちゃんたちも行くんですよね?」

「いや、連れていかない。サチはユニ家の領土を出られないし、カガミには村を守ってもらわなくてはいけないからな」


 まあ、本人たちはすでに行く気満々だったから、昨日は言い聞かせるのにずいぶん苦労したが。


「北の村に行くのは、おれと安藤、あとダリウスとメリルの四人だけだ」


 クレオも団長としての責務があるから長期の不在はできない。

 なによりも、領主の娘を勝手に連れ出していいわけがない。


 そこで案内役を買って出たのが、共和国の地理に明るいダリウス。

 そして身の回りの世話と、護衛を兼ねたメリルだった。

 なにより、おれと安藤は馬に乗れないからな。


「おまえはその間、村の様子を見に来てやってくれ」

「…………」


 無言で不満を訴えてくるが……。


「返事」

「……はい。わかりました」

「拗ねるな。ちゃんとお土産、買ってくるから」

「……前にもそう言って、買ってこなかったくせに」


 苦笑した。

 そういえば初めて向こうの世界に行ったとき、そんなこと言っていたな。


「二回分、買ってくる」


 そう約束して、柳原との待ち合わせに向かった。




 登山用品店に到着。

 柳原はすでに店内を見回っていた。


 防寒用のダウンを羽織ってみる。

 エアコンの効いた店内では、それだけで汗ばむようだ。


「暖かいな。これにしようか」

「やめとけ。それは動きにくいだけだ。馬での移動だろ?」


 そう言って、柳原が別のアウターを持ってきた。


「動きやすい。防水透湿性に優れている。そして暖かい。悪いことは言わんから、これにしろ」

「防水透湿性って?」

「雪で濡れるのを防ぎ、かつ汗はうまく外に逃がしてくれるってこと」


 ははあ、なるほどな。

 それなりの値段だが、やはり経験者の意見を取り入れるのがいいだろう。


 一応、宿は取れる予定だが、設備がいいとは限らないらしい。

 なので一応、シェラフも買って行くことにしていた。


 それを物色していると、ふと柳原が言った。


「なあ、一つ聞いていいか?」

「なんだ?」

「どうして、おまえが行く必要がある?」

「…………」


 もぞもぞと、シェラフの展示品に潜り込んでみる。

 ううむ、暖かいな。これにしよう。


 そんなことを考えていると、上から覗き込んでくる。


「あの強面の爺さんに、戦闘慣れしたメイド。その二人で十分じゃねえか。というか、おまえは邪魔だろう。足手まといが増えるだけだと思わないか?」

「はっきり言ってくれるなよ」

「言うだろ。いつも突拍子もないことをするが、今回は特に理性的とは思えねえな。そもそも、どうしておまえが助けてやるんだ? あんな小娘、どうでもいいだろ?」


 もぞもぞとシェラフから出る。

 折り畳んでみると、かなりコンパクトになった。

 うん、やはりこれにしよう。


「どうでもよくないさ」

「どうして? おまえ、女子高生が好きなやつだったのか?」

「おいこら、物騒なことを口走るんじゃないぞ」


 ……まあ、ちゃんと説明しなければ、納得もしてくれないだろう。


 いつも不愛想ではあるが、こいつは親友なのだ。

 同時に、おれのことを心配してくれているのもわかっている。


「あのチュートリアルをクリアしてから、たまに考えることがあった。もし、あれに失敗していたとき、どうなっていただろうと……」


 柳原は黙っていた。

 思えば、こいつもあのとき、躊躇せずに協力してくれたな。


「おれは偶然、社会人だった。預金もあったし、カードもある。でも、それがないやつだっている。安藤のようなやつも、きっと他にいるんだろう。おれは、本当に運がよかった。そうだ、それだけなんだよ」


 村のみんなが、おれのことを慕ってくれる。

 おれのことを大切に思ってくれている。


 しかし、それはおれの実力じゃない。

 ただ、運がよかっただけなんだ。


「もし、おれがチュートリアルに失敗していたら、きっと安藤と同じように向こうに渡る方法を探しただろう。そこで出会った手掛かりに、すがったかもしれない。そう思うと、安藤の頼みを無下に断ることはできなかった」

「…………」

「それに、おれは一度、見ておくべきなんだよ。もしも、おれがあの村を手放した場合に起こりうる可能性を」


 安藤の言う亜人たちが生きているならいい。


 おれがいなくとも、向こうの住人は生きていける。

 そのことを確認するだけでも、きっと気分は楽になるだろう。


 ただ、そうではない場合。


 仮に無責任に放り出すことが、彼らにどのような影響を与えるのか。

 そのことを知らないまま、あの村にかかわり続けることはすべきではない。


「……馬鹿馬鹿しい。お人よしも、ここまでくると病気だな」

「そうかもしれんな。おれはそれだけ、あいつらが好きになっているんだろう」


 柳原が苦笑する。


「まあ、好きにしな。あ、珍しい香辛料でもあったら買ってきてくれ」

「……ああ、わかってる。死ぬつもりはない」


 そう言って、こぶしを合わせる。


「……で、どのくらいだ?」


 おれは値札を計算した。


「……年末のボーナスは、これでお終いだな」

「まあ、命には代えられねえさ」


 そう言って、柳原はニヒルに笑った。

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