第65話 なんだか最近は


 簡単に済むと思っていた案件が、先方の発言で雲行きが怪しくなり、あれよあれよと土砂降りになった。

 正直、こういうのが一番きつい。

 他に組んでいた案件も押されるし、絶えず修正の依頼に怖れなきゃいけない。


 それも無事に終わり、安堵のため息をついた。


「……ああ、疲れたな」


 今日もけっこう長引いた。

 時計を見れば、午後の八時を過ぎようとしている。


 そこで同じように残業していた同僚が、珍しく飲みに誘ってきた。


「よ、山田。これからどう?」


 正直、かなり魅力的なお誘いだった。

 明日からはまた溜まった案件を片っ端から処理しなければならない。

 その前に、今回の愚痴なりなんなりを吐き出してすっきりしたいのは当然だ。

 こればっかりは、山田村の面々には無理なことだ。


 しかし、少しタイミングがよくなかった。


「……すまん。今日はちょっと、飯が用意してあってな」


 その言葉に、同僚は目を丸くした。

 なにを思ったのか、わざとらしく声を潜める。


「……もう同棲始めたの?」

「は?」


 ちょっと予想外すぎて呆けてしまった。

 どうせい? 同棲って、あの同棲か?

 他にいろいろ考えたが、飯が関係したどうせいは、この同棲だろうな。


「……誰と?」

「いや、決まってんじゃん」


 決まってんじゃんの視線が向くのは、おれの真後ろのデスクだ。

 岬は今日も定時上がりだったので、その席は空っぽだった。


「な、なんで?」

「あれ、違うの?」

「違うだろ。あんまり変なこと言うなよ」

「おまえの言ってることのが変だろ」


 いや、おまえのが変だろ。

 そう思ってると、同僚はへらっと笑う。


「可哀そうだなあ」

「み、岬が?」

「いや、他の男子諸君」

「へ?」

「おまえがいるから、みんな手を出さずにいるんだぞ」

「で、でも、岬がそういうつもりかは……」

「おまえ、アレで好かれてねえとか、目が腐ってんのか!?」


 いや、まあ、そりゃな。

 もう子どもじゃないんだし、言うことは理解できるが……。


「これは純粋な親切心から言うんだぞ。その気がないなら、はっきりそう言ってやれ」

「ど、どうして、おまえからそんなことを……」

「おれだって、あんな可愛い子から今日の下着報告されてえよ!!」

「ばっちり妬みじゃねえか」


 同僚の見たくない一面だった。




 アパートに戻ると、ドアの前でネクタイを緩めた。


 ……深く深呼吸。あ、深いから深呼吸か。


 ああ、くそ。

 余計なことを言いやがって。


 とりあえず、チャイムを押して帰宅を知らせる。

 もし中で女性陣が着替えとかやってたら大変だからな。


 と、すぐにドアが開いて岬が顔を出した。


「おかえりなさい、先輩」

「う、うん。ただいま」


 ものすごくナチュラルなおかえりなさいに、つい口ごもってしまった。

 そしてさらにナチュラルに鞄を受け取ってくれる。


 合鍵を渡してから、なんだか普通に出入りするようになってしまった。

 おれが残業のときとか、サチたちの様子を見てもらえるのはありがたいのだが。


「もう飯は食ったのか?」

「はい。先輩のもちゃんと残ってますよ」

「そりゃよかった。柳原は?」

「もうお帰りになりました。さっちゃんたちに、ちゃっかり明日の仕込みも手伝わせてましたね」

「あいつらしいな」


 他愛のない会話。

 それでも、さっきの同僚の言葉のせいで、変に意識してしまう。


 同棲、うん、まあ、言えなくもない、か?

 まあ一見、確かにそう見えないこともないのだが……。


「神さま、おかえりなさい!」


 サチがお出迎えした。

 どうやら、こっちに来ていたらしい。

 岬とカードゲームでもやってたのかな。


「山田さま。お勤め、ご苦労さまです」


 メリルが影のように現れ、ささっとコートを脱がせてしまった。

 さすが本職メイドは動きが違うな。

 ていうか気配が消えてて忍者っぽい。


「すまんが、風呂は?」

「申し訳ございません。お嬢さまが……」

「ああ、問題ないよ。じゃあ、飯を先にもらおうか」


 シャワー室から水音がしている。

 ううむ。あの美少女のあとに使用すると考えると、いつもながら気恥ずかしい。

 サチたちの住居が確保できたら、すぐに温泉の脱衣所を建ててもらおう。


 手洗い、うがい。洗顔まで済ませると、タオルが差し出される。


「山田さま。どうぞ」

「ありがとう、メリル」


 それを受け取って、テーブルについた。

 キッチンでは、岬とサチが食事の準備を進めてくれている。

 イヲンで買った、お揃いのエプロンがいい感じだった。


「今日は、どんな感じだった?」

「はい。柳原さまのご提案で、数品ほど試作しました。どれもご好評でしたが、特に手羽元と大根の甘辛煮というものは、一瞬で消えてしまいました」


 まあ、そうだろうな。

 おれも好きだし、あの手の料理が嫌いな男子はいないだろう。


「じゃあ、大根はマストでいこう。他より保存もきくだろうしな」

「かしこまりました。戻ったら、カガミさまにそのようにお伝えいたします」


 今日はアレだ。

 先日、イヲンで大量購入した野菜の試食会だったのだ。


 柳原シェフの手により生み出された試作品。

 残念ながらほとんどは騎士団の胃袋に消えてしまったようだが、サチたちがおれの分を確保してくれていたらしい。ありがたいことだ。


 ほうれん草やブロッコリーを使用したシチュー。

 レタスと豆類を使ったコブサラダ。


 目にも鮮やかな配色だ。

 生野菜など、家で食うのはどれくらいぶりだろうな。


「神さま。これ、わたくしが作ったんです!」

「お、そうなのか?」


 サチがつくったというシチューを食べる。


 うん、うん。うまいな。

 でも、おうちシチューとは微妙に違うような……。


「なんだか、すっきりとした味だな」

「はい! べしゃめるそーすというものを作りました!」

「ベシャメルソース?」


 ってなに?

 という顔をしていたのだろうな。

 岬がすぐに注釈を入れてくれる。


「ホワイトソースの一つです。スーパーで缶詰とかで売ってるホワイトソースは、だいたいこれらしいですね」

「ああ。つまり、ルーから作ったってことか」


 難しい気がするが、こんなに簡単に作れるものなんだな。

 いや、これはサチの頑張りのたまものってことか。

 柳原も、サチは料理のセンスがいいと言っていたしな。


「神さま、どうですか!?」

「うまいぞ。おれは市販のルーより、こっちのが好きだな」

「わあ! わたくし嬉しいです!!」


 感想に満足したらしく、サチがばたばた尻尾を揺らしている。

 おれも喜んでくれてうれしいけど、食事中は抑えてほしい。

 最近はよくメリルが掃除をしてくれているらしいので、あまり気にはならないが。


「山田さま。こちらをどうぞ。柳原さまに教わってつくりました」


 そのメリルから差し出された小鉢。

 なんと白菜は浅漬けとなっていた。

 なるほど、葉物はこういう保存方法もあるわけだ。


 ほどよく塩分控えめ。

 冬場はこのくらいがちょうどいい。

 こりこりと歯ごたえもよく、いい感じにご飯が進む。


「これもうまいな。手作りの漬物なんで、たぶん初めて食ったよ」

「それはよかったです。冷蔵庫にありますので、明日の朝にもどうぞ」

「おお、ありがとう」


 コブサラダもシャキシャキだ。

 こんなに健康的な食事をしていいのか。

 なぜか罪悪感がすごいんだが。


「それで、どれが一番おいしいですか?」


 ずぷうっと、平穏な空気に鋭いナイフが刺さった。


「さ、サチ。どういう意味だ?」

「どれが一番おいしいか、お師匠さまが聞けと言いました」

「山田さま。どれがおいしいかで、なにを植えるか決まりますからね」


 こら柳原。

 変な爆弾を仕込むんじゃない。


「ぜ、全部うまいぞ。同じくらいだ。甲乙つけがたい」


 ふむ、とサチとメリルが目を合わせる。

 それから、なにも聞こえなかったかのように、ずいっと両側から身体を寄せてきた。


「神さま。どちらがおいしいですか?」

「山田さま。どちらが嫁っぽいですか?」


 嫁っぽいってなんだよ。

 おまえたち、花嫁修業でもしているのか。


 あと、さりげなく選択肢からコブサラダを排除している。

 先回りで逃げ道が塞がれていた。


 助けを求めて岬に目を向けると、なんとも言えない感じで苦笑している。

 彼女は助け舟のつもりなのか、自分の鞄を持って立ち上がった。


「じゃ、先輩。わたし、そろそろ帰りますね」

「え。そ、そうなのか?」

「はい。明日も仕事ありますからね」

「す、すまん。待たせたな」

「いえいえ。先輩が大変だったの知ってますから」


 彼女を送りふりをして、おれも立ち上がった。

 アパートを出て、駅までの道すがら、なんとなく無言だった。


「えっと、岬よ」

「はい、なんですか?」

「……なんか、怒ってるか?」


 彼女は少しだけ、驚いたようだった。


「どうしてですか?」

「い、いや。なんとなく、いつもと違うな、と」

「そんなことありませんよ」

「そ、それならいいんだが。ああ、そうだ。前に、なにか相談があると言っていたな」


 岬が酔いつぶれて、結局、聞けなかったやつだ。

 なんやかんやあって、すっかり忘れていた。


「……あれは、もういいです」

「え。いいのか? もしかして、会社でなにか……」

「いいえ。大丈夫です。そういうやつじゃなかったので」

「そ、そうか。わかった」


 駅に到着すると、彼女はどこか寂しそうに言った。


「じゃあ、お疲れさまです」

「あ、ああ。また週末もよろしくな」


 そう言って、彼女を見送った。


 ……なんだか最近は、調子が狂いっぱなしだな。

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