第25話 覚悟
琵琶湖の水を全部抜く。
この企画を実現するには様々な障害があった。
それらをひとつひとつ解決して番組放送へと漕ぎつけることが出来たのは、華の都大東京テレビスタッフや島田島介の努力以外のなにものでもない。
しかし、彼らではどうすることが出来ない懸念がひとつだけあった。
そう、ホタル・コウヨウのYouTube放送である。
ホタル・コウヨウは世界でもトップクラスのフォロワー数を誇る大人気Vtuberだ。その彼女(?)がYouTubeで番組へのネガティブキャンペーンを展開したらどうなるか?
番組を告知した段階では「琵琶湖の水を抜くなんて」と非難するよりも「おもしれー。やっちゃえ」って声の方が圧倒的に多かった。
そりゃそうだ、琵琶湖の水を抜くと言っても一時的なものでしかない。抜いた水は後日ちゃんと戻され、琵琶湖は変わらず存在し続ける。
ならば一度は日本一大きな湖が涸れ果てる姿を見てみたいと思うものだろう。
が、琵琶湖は滋賀県民たちにとっては心のふるさとである。それが短期間とはいえ無残な姿を晒すことにどれだけ県民たちが傷つくかと、ホタル・コウヨウの驚異的なアピール力で訴えられたら、世間がどう転ぶかはもう分からない。
下手したら番組中止に追い込まれる可能性だってあるだろう。
ゆえに大島たちはホタル・コウヨウの今番組内容におけるYouTube活動をなんとしてでも抑えなくてはいけなかった。
「ようやってくれた、大島君!」
東京に戻った大島を待っていたのは、会議室から飛び出してきた島田島介による、熱い抱擁だった。
ホタル・コウヨウとの長時間に渡る交渉の結果、大島はついに番組最大の懸念を解消するのに成功したのだ。
「ありがとうございます。しかし、あの様子では本番当日、ホタル知事が何をやってくるかわかったものではありませんよ」
島介に抱きつかれるがまま、しかし、大島は素直に感じた危惧を吐露する。
確かにYouTubeでの活動は封じた。だが、代わりに生放送というリスクが生じている。予め局長から生放送の了承を得ていたが、危険度という意味ではむしろ悪化しているのではないかと大島は不安を抱えていた。
「ちょうど今、そのことをみんなに話していたところや」
島介が大島を離し、会議室へと招き入れる。
大島は空いていたパイプ椅子に座った。周囲を見回すと、誰もが不安げな面持ちをしている……と思いきや、意外にも表情は明るい。
企画段階の限られた人数での打ち合わせと違い、今は番組に参加する様々なスタッフが会議室に集まっている。そのほとんどが今回の生放送をさっき聞いたばかりだろう。生放送は録画なんかとは違い、どれだけ経験していても緊張するものだ。ましてや今回はホタル・コウヨウら滋賀県民による妨害という不安要素もある。にもかかわらず、その不安を微塵にも感じさせない様子に大島は戸惑った。
「さて、どこまで話したんやったか?」
「はい! やっぱり生は番組もアレも緊張感があって気持ちいいな、ってところまでです!」
ひとりのADの発言に、会議室がどっと沸いた。
「あかんあかん、そんな下品なこと、僕のイメージダウンにつながるやんか。僕はそんなこと言うてへんで」
島介も笑いながら軽く注意するとゴホンとひとつ咳払いした。
「大島君も来たことやし軽くおさらいすると、生放送中に滋賀県民たちは色々と邪魔をしてきよるはずや。まぁ、最大の衝突が予想される琵琶湖への吸水ホース突入時は雇ったガードマンたちに任せるとして、僕らが対処しなくてはならないのは彼らが『琵琶湖の水を抜くなんて酷すぎる』と視聴者への情に訴えることや」
島介の言葉に大島は深く頷く。
録画ならいくらでも編集でカットできるが、生放送となるとそうもいかない。視聴者を味方につけられたら、今の世の中、炎上必至である。
「そやから僕たちは番組の正当性を唱えなければあかん」
「正当性? 例の大ナマズではなくて、ですか?」
「アレはエンタメ用の理由付けや。それでは情に訴えてきた相手には勝てへん。だから番組の最初で本来の目的を視聴者にぶちまける」
「本来の目的……まさか!?」
「そや。滋賀県の琵琶湖拡大という馬鹿げた野望、それを阻止する為に立ち上げた番組やと伝えるんや!」
島介に言われて、大島はハッとなった。
そうだ。滋賀県の野望阻止という目的は、相手側にそうと悟られては強い反発にあうと隠し続けていた。
しかし、いざ番組が始まってしまえば、そんなのは関係ない。
もしかしたらホタル・コウヨウたちが怒り狂って、本番中は酷い妨害行為に出るかもしれない。そうなれば番組も最後まで続けることすら困難になるだろう。
それでも世間を味方に付ければ自分たちの勝ちだ。
今回は水を抜けなくても、世間に「滋賀県ヤベェ」と思わせたら番組の次もありえるし、何よりホタル・コウヨウたちの野望を抑制することができる。
「スポーツ番組でもなんでもない生放送が途中で中止になるなんて、本来ならあってはならないことだ。だが、そうなっても目的が達成されるのなら、これはやるしかないな」
局長がいい顔をして言った。
「例のPK計画もバラしてやりましょう。そのうえで東への進出も十分にありえると伝えれば、視聴者たちはきっとこっちの味方になります!」
プロデューサーがにやりと笑った。
「いざという時の穴埋め用の『プロ野球好プレイ珍プレイ』も準備してありますよ!」
うむ、完璧だ。
「ただ、ひとつだけ僕は気にしていることがあるんや……」
盛り上がるみんなの前で、島介がぽつりと口を開いた。
途端に会議室がしーんと水を打ったように静まり返る。
「今回の番組で完全に僕たちは滋賀県を敵に回すこととなる。連中とこれまで付き合ってきた大島君には辛い思いをさせてしまうやろう。すまんな」
島介が深々と大島に向けて頭を下げた。
島介は芸能界を引退したとはいえ、今もなお影響力を持つ大物だ。それが一介の局レポーターに皆の前で頭を下げるなんて考えられない。
誰もが無言でありながらも、部屋の空気がざわめくのを大島は感じた。
「頭をあげてください、島介さん。私なら大丈夫です。この企画を聞いた時から覚悟は出来ていますから」
いつも通りの声量。なのにやたらと大きく感じるのは気のせいだろうか。
「そうか。でも、無理をしたらあかんで」
「無理はしていません。だから」
大島はきっぱりと言い切った。
「生放送のメインレポーターは私に任せてください」
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