滋賀県民の野望withPK

タカテン

第一章 琵琶湖、拡大

第1話 滋賀県鎖国

 七月七日。午前四時。

 織姫と彦星の逢瀬には絶好の、雲ひとつない夜明け前の空。

 しかし、滋賀県の上空には複数のヘリが集まっていた。

 日本のほぼ中央に位置し、政治・経済・文化などにおいても中心的存在であると滋賀県であるが、かくも多くのヘリが飛び交うのはきわめて稀だ。

 彼らは報道機関のものであった。

 

「ったく、もうすぐ夜が明けるってのに街明かりのひとつすら見えねぇ。滋賀作しがさくってのはみんな揃って寝ぼすけなのか?」


 その中のひとつ、華の都大東京テレビのレポーター・大島が、真っ暗闇の眼下を見ながら愚痴を零す。


「まだ例の煙幕を張っているんじゃないスか。あいつは甲賀忍者秘伝の煙幕で、ちょっとやそっとの光じゃ通しませんから」

「そんな中で連中たちは何を企んでやがるんだろうな……」


 カメラマンに薦められ、大島は煙草を口にした。

 ニコチンをほどよく肺に行き渡らせた後、紫煙を吐き出す。ヘリコプターの内部灯に照らされた煙がゆらゆら揺れて消えていくのを眺めながら、大島は今回の騒動を思い返していた。





『明日からの七ヶ月、滋賀県は鎖国政策を取るにゃん!』


 正月休みも終わった一月七日。

 美少女Vtuberにして滋賀県知事のホタル・コウヨウは、愛用のネコミミをぴこぴこさせながらYouTubeにてそう宣言した。


 Vtuberでありながら知事選に出馬したホタル・コウヨウ。当初はチャンネル登録数を稼ぐ為の売名行為であり、本気で知事職を狙っているとは誰も思っていなかった。

 が、彼女(正式には性別は不明であるが、外見からここでは彼女とする)が『滋賀県民の野望を実現させる』と公約に掲げるやいなや県民たちから強烈な指示を受け、対抗馬をトリプルスコアで下して当選。

 かくして日本初、いや世界でも初となるVtuberの知事が誕生したのである。


 そして任期三年目の初春、ついにホタル・コウヨウは公約を実行するとして滋賀県の七ヶ月鎖国を宣告したのだ。


 この前代未聞な宣言に、しかし、当初の世間は冷ややかであった。

 当然だろう。江戸時代ではないのだ。物流も情報網も発展した今の時代に、鎖国なんて出来るはずがない。


 また、仮に出来たとしても世間の混乱は小さいだろうと推測された。

 何故なら一年前に中央新幹線、すなわちリニアモーター新幹線が開通され、同時にそのルートへ沿うような形で、新たな高速道路も建設されていたからだ。


 これらふたつは従来の東海道新幹線、名神高速道路とは違い、滋賀県を一切通らない。新しいもの好きな日本人がやれリニアだ、新高速道路だと盛り上がる一方で、従来のルートは凄まじい勢いで寂れていった。

 すなわちかつては西と東を結ぶ要であった滋賀県も、今では完全に孤立してしまっていたわけである。


 また「鎖国と言っても所詮は瀬田川の放流を止めるだけだろう」とも思われた。


 瀬田川とは琵琶湖から唯一流れ出ている一級河川だ。滋賀県では瀬田川、京都では宇治川、大阪では淀川と名を変えて呼ばれることでも有名で、滋賀県民は常々「勝手に名前を変えんなや」と苦々しく思っている。


 その瀬田川を止めると言うのは、古くから使われている滋賀県民の常套句だ。

 瀬田川を止めれば京都や大阪は水不足に苦しむ、だから滋賀県をバカにするんじゃねーぞ、と言うわけである。


 もっとも近年の研究により、瀬田川の放流を止めると京都や大阪が水不足に苦しむ前に滋賀県のほとんどが琵琶湖に沈むという衝撃的な事実が知られている。

 しかもなんだかんだで最終的には京都方面に水が流れ出すというオマケ付きだ。


 これによりかつてはこの恫喝を切り札に京都の四条河原町や大阪のミナミでブイブイ言わせていた滋賀県民も、今では完全に絶滅したと言われている。

 

 ま、それはともかく。

 滋賀県知事による滋賀県鎖国宣言は、その内容に反して世間での注目度は低く、せいぜい京都や大阪が非難する程度であった。

 そもそもその京都・大阪勢からしても、例の研究結果から宣言を本気で受け止めてなどいなかった。

 いくら滋賀県民が度し難いバカであっても、自滅を選ぶとはさすがに思えなかったからだ。


 が、世間はすぐに滋賀県民の本気を知る。

 




「しかし、まさかホントに鎖国をしやがるとはなぁ」

「衝撃的だったッスよねぇ、あの映像は」


 宣言の翌日の朝、滋賀県知事であるホタル・コウヨウはYouTubeで滋賀県各地に設置したカメラによるライブ放送を行った。

 滋賀県は基本的に周囲を山に覆われているが、県境の幹線道路、高速道路、鉄道、さらには県南部に位置する甲賀市と三重県との間、県東部の米原と岐阜県の間に高さ100メートルにも及ぶ巨大な鉄壁が打ち並べられた光景は、まさに現代の鎖国であった。

 

 そして報道機関が滋賀県の現状を知ろうと慌ててヘリを向かわせる中、濃霧が県全域を覆い始める。

 それが自然現象ではなく、人為的に焚かれた甲賀忍者由来の煙幕だと分かったのは当日の昼に行われたホタル・コウヨウの放送によってであった。


 直接現地に潜入することも、空から様子を伺うこともできない。となると、次に報道機関が狙ったのは県外に出ている滋賀県民たちだ。

 彼らには予め今回のことが知らされていたのだろう。多くの県民たちが京都や大阪に疎開していた。しかし、彼らの口は皆揃って堅く、誰もが「滋賀県民全員が抱いている野望が今、あの中では行われている」しか言わなかった。


「実は俺、山からカメラ持って潜入したことがあるんスよ」

「へぇ。そいつは初耳だ」

「多分どこの局も一度は試したんじゃないスかねぇ。でもいまだにそんな映像が流れていないことからも結果はお察しですわ」


 甲賀忍者の煙幕を舐めてはいけない。一メートルはおろか自分の手先すらも見えぬほどに視界を遮り、カメラに映るのは真っ白な煙と、山の木々だけ。

 しかもそのような状況にも関わらず、潜入から五分としない間に駆けつけてきた優秀なる滋賀県警に取り押さえられ、速やかに県外へと退去させられるのだ。


「まったく、そこまでして叶えたい滋賀県民の野望って一体何なんだろうな?」

「そうっスねぇ。とんでもなく大きい信楽焼きの狸じゃないっスか?」

 

 滋賀県民にとって信楽焼きの狸の置物はイヌやネコといったペットと同じく家族扱いされる大事なものだ。その巨大像は大いにありえると大島も思った。


 

 鎖国が明ける滋賀県を取材をすべく飛び立とうとしているところへ、局長から伝えられた謎の言葉『』が大島の脳裏をよぎる。

 なんでもとある情報筋から持ち込まれた、今回の滋賀県鎖国に関する重大なキーワードらしいが……。


「お、日の出ッスよ」


 ようやく地平線の彼方から眩い光が世界を照らし始めた。

 眼下の滋賀県は鈴鹿山脈の影になってまだよく見えない。

 ただ時折、木々の間を抜けてきた光が反射している。


「光が反射しているってことは煙幕が張られてないってことか!?」

「でも、その割には街の明かりが全然見えないのはおかしくないッスか?」


 カメラマンがフィルター越しに真下を眺めながら疑問を口にする。

 実際、カメラが捉える映像は真っ暗闇だ。

 しかし次の瞬間。

鈴鹿山脈を越えて届いた太陽の光が映し出す、眩しいまでの滋賀県の姿を見て、ふたりは驚かずにはいられなかった。


「ば、馬鹿な……」

「そ、そんな、こんなことってあるんスか!?」


 眼下一面に広がるのは、太陽の光をキラキラと反射する琵琶湖の穏やかな湖面……それだけであった。


「なんてこった……滋賀県が琵琶湖に沈んじまった」

 

 唯一、大津にある、びわ湖大津ぷりきゅあホテルのスカイラウンジだけがひょっこりとその頭を覗かせていた。

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