第36話玉の緒よ

 ある春の日、式子内親王しょくしないしんのう

「玉の緒よ 絶えねば絶えね ながらえば

 

 忍ぶることの 弱りもぞする」

という片恋のつらさを激しく詠った自作

の歌を見てため息をついた。


「片思いに耐えられなくなるくらいなら

 いっそ死んでもいいだなんて、

 姫様はその方のことを

 ずいぶん好きだったのですね。」

御簾みすの向こうにいる

藤原定家ふじわらのさだいえは悲しそうにつぶやいた。


「この歌は特に誰かを想って詠んだ

 わけではなくて内親王であり、元斎王という、

 片思いしか許されない自分の立場に

 絶望して詠んだ心の叫びなの。」

と式子は打ち明けた。


「今思えばわたしは恋に恋していたのよ。」

と式子はやさしい微笑みを浮かべた。そのおかげで

式子の上品な整った顔立ちにかわいらしさまで

加わって、定家はめまいがしたほどだった。

御簾の向こうにいても相手の顔は見えるのである。


「おれのことを想って詠んでくれた

 わけじゃないのが残念だけど、

 これからおれのことを好きになって

 もらえれば・・・。」

と定家は厚かましいことを考えていた。

 庭に植えられた桜の花びらが

風に乗って舞っていた。

そのうちのいくつかが

部屋の中にも入ってきて二人の間に

ふわりと落ちた。


「はい、これあげる。」

と言いながら、式子は御簾のうちから

桜の花が咲いた枝を差し出した。

「えっ!ぼくにこのお花をくれるのですか?

 身に余る光栄・・・。」

と震える手で定家はそれを受け取った。

「そんなに固くならなくてもいいのよ。」

と式子は明るい笑い声を立てた。


「あっ、歌が添えられている。

 

 いま桜咲きぬとみえて 薄曇り

 

 春にかすめる 世の景色かな


 今桜が咲いたと思ったら、もう薄曇りになった。

 世の中の景色が春という季節の

 ただ中で、ぼうっとかすんでみえる・・・

 

 すごい、返歌を作ろうにも、

 こんな美しい歌にふさわしい歌を

 ぼくには詠めない。」

と定家は式子の才能に舌を巻いた。


「返しの歌は今すぐでなくてもいいのよ。」

と式子は微笑んだが、輝くばかりの

美しさだった。


「おれの頭の中の方がかすんできた。

 うれしすぎて何も考えられない。」

と定家は式子の積極的な態度に戸惑っていた。


「たしかにわたしは自由の少ない立場に

 いるけど、自分で自分を縛り付ける

 ことはもうやめたわ。だから

 片思いしてばかりでめそめそするのは

 もうやめにしよう。これからは

 自分の方からも相手に気持ちを伝えよう。」

と式子はうれしさにぼうっとなっている

定家の方を見ながら考えていた。

 しばらくして沈黙を破るように

「ところで東国に下って行った

 お兄様のところにも桜は咲いているかしら?」

と式子は以仁王のことを思い出して言った。

「さあ、都の方がきれいな桜が咲いていそうですね。

 でも狐軍団が護衛しているから

 桜をめでるくらいの余裕はおありでしょうね。

 あっ、これはずいぶん失礼なことを申して・・・。」

と定家はあわてた。 


「いいのよ。気にしなくて。

 頼もしい狐に守られてお兄様は幸せね。」

と言いながら、式子は桃源郷の桃と桜はどちらが

より美しいだろうかと考えていた。

 

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