インチキ平安恋物語 御簾の向こうの愛するひと

ミミゴン

定家少年編

定家、人間以外の者に変身する

第1話ひとめぼれ

 以前から病が重かった式子内親王しょくしないしんのう危篤きとくの報を受けた

藤原定家ふじわらのさだいえ内親王ないしんのうの住む屋敷である、

大炊御門に急いでいた。彼の握りしめた手紙には、

「生きてよも あすまで人も つらからじ 

 この夕暮れに とはば問へかし」

(わたしはとても明日まで生きていられないのであの人も

 これ以上つらい仕打ちをしないことでしょう。

 もし訪ねて来てくれるならこの夕暮れに訪ねてきて)

という内親王が詠んだ和歌が記されていた。

 牛車に揺られながら、40歳の定家は

内親王と出会ったころのことを思い出していた。


 1168年の4月の晴れたある日、定家少年は葵祭あおいまつり(賀茂神社の祭)の見物で

にぎわう京の街中に従者とともにきていた。

「今年はいい場所がとれましたよ」と従者がいった。

「でも立ち見じゃなあ」と定家がつぶやくと

「お車にのったまま眺めのよい場所から

 見られるのは高貴な身分の方々だけです」

とたしなめられ、しゅんとしてしまった。

 あたりには出衣いだしぎぬ牛車ぎっしゃから女房装束にょうぼうしょうぞくの袖や裾を出すこと)

の女房車がひしめきあって、衣装の美しさを競っていた。

見るからに高価な織物の華やかな色彩から定家は目をそらした。

自分の母や姉妹はこんな贅沢ぜいたくに一生縁がないだろうと思うと

複雑な気分だったからである。

 定家の父親は歌人の藤原俊成ふじわらのとしなりで、藤原道長の六男の長家ながいえの子孫だったが

中央貴族の出世コースからは遠く外れていた。

母親は鳥羽法皇とばほうおうきさき近衛天皇このえてんのう八条女院はちじょうにょいんらの母である

美福門院びふくもんいんこと藤原得子ふじわらのとくしに仕えていた。

 しばらくして、あおいのかざりをつけた、

勅使ちょくし一行をはじめとする賀茂祭の行列が

やってきた。定家は黙ってじっと見ていた。

 やがて賀茂かも斎院さいいんを乗せたかごをかついだ一行が

見物客の前に現れると、大きなどよめきがあがった。

「今年の斎王さいおうさまはえらくべっぴんでおわしますなあ」

「なんとかわいらしい姫宮様じゃ」

などと見物の人々は口々にささやきあった。

 見物に飽きてちょっとよそ見をしていた定家は

はっとして斎王の乗っているかごを見た。

 斎王である式子内親王の抜けるように白い肌と

豊かな長い黒髪、整った華やかな顔立ちに定家は目を奪われた。

内親王は彼女のためだけに染められたに違いない、

肌の色を引き立てる色味の着物を着ていた。

鮮やかな水色の地に真っ赤なまりの模様が刺繍されており、

見事な装飾から最高級の絹地であることが一目でわかった。

小さな顔のまわりに垂れている髪飾りについた宝石と

頭にかぶった小さな金の冠が日の光を浴びてキラキラと

かがやいて一段と美貌を引き立てていた。とはいっても、

彼女の魅力は衣装の豪華さよりも、その

繊細優美せんさいゆうびな顔立ちからきていることは明らかであった。

 おつきの女性たちは

「こんなかわいらしい女性に仕えることができて光栄ですわ」

といいたげな誇らしげな様子であった。

 当の内親王も自身の美貌が称賛の的になっている

ことがうれしいらしく、晴れやかな表情を浮かべていた。

「あんな天女のようにきれいな人を妻にできたらなあ」

と定家少年は思ったが、未婚の皇族女子から選ばれ、

神に仕える巫女みこである斎王は一生清い身を

保たねばならない定めだということは当然知っていたし、

自分と相手の身分の差は歴然としていた。

 祭が終わって見物客がまばらになっても

しばらく呆然としていた定家の様子を牛車の中から

じっと見ている女がいた。従者が、やはり主人のつきそいで

きている家人である知り合いに手招きされて、

そこで話し込んでしまい、定家は一人きりで立ち尽くしていた。

そのすきに女は定家を手招きしてこうささやいた。

「わたしはあなたさまのお力になりたいと思っているものです。

 斎王さいおうさま(式子のこと)の父上であらせられる院さま(後白河帝のこと)に今様いまよう

(平安時代の流行歌、後白河帝は咽を4度もつぶすほど熱狂した)

 を教えていた縁でつてがあります。あなたさまが

 宮様にお会いできるよう手引きいたしましょう。」

「なに!?それはまことか!?」

「思った通り、食いついてきた。」

とほくそえみながら、女はふところからなぞの包みを取り出した。

「この丸薬がんやくを召し上がれば、

 生霊いきりょうとなって宮様の御所に

  忍び込むことができましょう。」

「毒かもしれないのに、知らない女から渡された、ましてや

 たましいが体から離れる薬なんて飲めるかよ」

と定家が当然のようにためらった。女はくっくっとのどを鳴らして笑い、

「おっしゃることはごもっともですが、

 今のままでは身分のへだてがある以上、

 お逢いになれるのはいつのことやら。

 それに、あのお方は誰やらに熱い思いを

 寄せていらっしゃるご様子。」

とささやいた。恋敵こいがたきがいると聞いた定家は激しく動揺した。

「まあ今すぐでなくて、いずれ必要になったとき

 でよろしいのですよ。」

 と女は如才じょさいなく笑って見せた。そのとき、

従者が自分を呼ぶ声がしたので、定家は丸薬の包みを

懐にしまうと、背を向けてその場を離れた。

 女に礼を言うのを忘れていたことを思い出し、

定家がふと気になって振り返ると、

女が乗った牛車は影も形もなくなっていた。



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