第19話 思いがけない言葉

 周囲が騒がしくなったのは、広場の中央の祭壇にクーノが登場したからだ。ここからはあまり見えないけれど、周りの人たちの歓声を聞けばわかる。


「人気者なこった。みーんな、あいつのいるところに吸い寄せられていくな」


 すねたようにルーが言う。本当に彼の言うとおり、それまでワイワイ祭りを楽しんでいた人たちが広場のほうへと集まっていく。そのうちに、屋台が並んでいるこの一帯からは誰もいなくなってしまうだろう。

 祭りを盛り上げる音楽だけが、虚しく響いてくる。


「俺たちも広場に行こう。あいつを見にいくわけじゃないが、広場に行かないと踊れないからな。それに、どうせここにいても誰も薬湯を飲みには来ない」

「……それも、そうだね」


 ハインに言われ、私は広場に行ってみることにした。

 別に積極的に踊りたいわけではないけれど、確かに自分たち以外いなくなってしまったこの場に留まり続けている理由もない。

 ハインがさりげなく手を取ってエスコートしてくれる。その反対側の手を、むんずとルーに摑まれる。


「エミリアちゃん、まずは俺と踊ってくれよな?」

「何言ってるんだ。こいつは俺の誘いに応じたんだから、まずは俺と踊るに決まってるだろう?」


 私を挟んで、ハインとルーが睨み合う。やめて欲しいなと思って後ろに視線をやると、少しあとから歩いてくるウォルが呆れた顔をしていた。


「順番に踊ればいいだろ。一番とか、そんなことにこだわんなくたって、全員踊ればいいじゃん」

「って、ウォルも踊る気満々の発言だね。俺もだけど」

「だったら冷やかすなよ!」

 

 ちゃっかり踊る発言をしてティノにからかわれて、ウォルは顔を赤くして怒っている。それを見て笑ってしまったけれど、私を楽しませようとしてくれているのがわかって嬉しくなった。


 広場に着くとあまりの人の多さに、洗われる芋の気分になる。


「すっげえ人だな。……って、踊らずにクーノを眺めてるやつも多いな」


 ルーに言われて中央にしつらえられた祭壇を見上げると、クーノの姿が少しだけ見えた。

 真っ白な特別な衣装に身を包んで、美しさがいつもより際立っている。

 それに、脇を固めている巫女たちもきれいな子たちで、別世界だなと感じさせられる。――その中には、私の悪口を言ったり意地悪をしたりした子がいて面白くないけれど、それでも認められてそこにいるのだから仕方がない。

 もうクーノは、遠いところへ行ってしまったのだと思うしかない。


「さあ、ハイン。踊りましょ」

「あ、ああ」


 湿っぽくなってはいけないと、ハインの手を取って踊りの輪の中に加わった。クーノに見とれている人は多いけれど、踊っている人たちもいる。本当は踊る気分じゃなくても、楽しそうにしているその輪の中に加われば少しずつ気分は上向きになる。

 ハインと踊り、ルーと踊り、ウォルと踊り、ティノと踊るうちに、私はすっかり楽しくなってしまった。

 踊りは全然上手じゃないけれど、音楽に合わせて身体を動かすだけで、頭の中はそのことだけでいっぱいになる。

 ハインは慣れない私がとにかく転ばないように、しっかり支えて踊ってくれた。

 ルーはさすがにモテ男を自称しているだけであって、リードがかなり上手だった。

 ウォルは慣れていないというより私と手をつなぐのが恥ずかしかったみたいで、真っ赤になって踊っていた。

 ティノは何がおかしいのかずっと笑っていて、私もつられて笑ってしまった。

 そんなふうに全員と踊り終えて、もう一巡しようかと考えていると、不意に祭りの音楽が止まった。

 広場全体が大きくざわめき、みんなが祭壇に注目しているのがわかる。

 祭壇の上で、クーノが一歩前へ進み出ていた。彼がこれから何か語るのだとわかって、みんな身構えている。


「唐突だが、私の妻としたい者について発表したいと思う」


 ざわめきを静まらせ、クーノの声が広場に響いた。

 息を呑む人、小さく悲鳴をあげる人、喜ばしそうに手を叩く人……広場にいる人の反応は様々だ。

 でも、女の子たちの多くの顔は青ざめていた。私も、たぶんその子たちと同じだろう。

 ただ、祭壇にいる巫女の子たちは何かを確信したかのように、自信と喜びに輝いた顔をしていた。

 それを見て、私は悟った。

 クーノは彼女たちの誰か、または全員をめとる決意を固め、今祭壇の上にいるのだと。

 すでにそれは打ち合わせ済みで、今回の祭りはそのためのものだったに違いない。それなら、覚悟を決めることしかできない。

 私はクーノが好きだけれど、自分が彼に相応しくないことは自覚していた。だから、いつか彼に相応しい人が隣に並ぶのならいいなと思っていた。

 森で出会ったときは、彼の孤独に寄り添えるのは私しかいない、私がそばにいなくちゃと思っていたけれど……日常の中に返ってくれば、それが思い上がりで、とんだ幻想だったとわかる。

(夢が、終わるんだわ。現実を受け止めなくちゃ……)

 覚悟を決めて、痛む胸を押さえて、私は祭壇を見上げた。


「私は、長らく人間のことを信用できないと思っていた。人間は、自分の欲のために私を傷つける。かつて私のことを追いつめ、ひどく疲弊させたこともあった。だから、私は人間のそばで暮らすことをあきらめようと思っていた。だが、孤独の中に暮らしていると、やはり人里での生活が恋しくなる。嫌なこともたくさんされたが、よくしてくれた人間もいたから、彼らとの楽しい日々が恋しくなる。それでも、一度酷い目に遭わされると、戻る勇気はなかなか持てない」


 クーノは、簡単に昔語りを始めた。

 本当なら、もっと恨み辛みがあるだろう。それなのに、あまりそういったことは匂わせず、あくまで軽く語る。


「勇気を持てず、いつしか人里へ帰りたいという気持ちすら忘れた頃、私はひとりの少女と出会った。彼女は無垢で、そして賢く勇気があった。村の異変の原因を探りに、私が身を隠していた森へとやってきたらしい。彼女は自らの危険も顧みず、村の人々のためにたったひとり森へとやってきたんだ。そして、私に村を救うための知恵を乞うたんだ。その真摯な姿勢、そして優しさに私は胸打たれ、傷ついた心を癒やされたんだ。だから、こうして人里へと戻ってくることができた」


 クーノは妻とする者の話をすると言っていたのに、いつの間にか村へと帰ってきた経緯について語っていた。その話の流れを聞いて、私の心の中にはふたつの感情が湧き上がる。

 “もしかして”と“まさか”というふたつの気持ちが。

 それはそばにいたウォルたちも同じだったらしく、みんなニヤニヤしながら私を見ている。でも、私はまだ信じられなくて、ただ両手で口を覆って首を振ることしかできない。


「その少女は――私が妻としたい者は、私の中にあった苦しみや痛み、それ以上のドロドロとした黒いものまですべて含めて受け止めて、共に感じてくれると言った。私は、これ以上の優しさを知らない。これ以上の愛を知らない。この愛に報いることができなければ、この世界に愛などないのだと思う。

だから私は、エミリアを私の妻にしたいと思う」


 クーノは迷いなく、高らかにそう宣言した。

 広場にいる人々は、みんな信じられなかったのだろう。私だってそうだ。

 誰も、すぐには反応できなかった。声すらあげられなかった。ただただ驚いて、祭壇の上のクーノを見上げていた。

 でも、そのうちに落ち着いてくると、みんなの視線はクーノの見つめる先――私に注がれる。

 祭壇の上の巫女たちは自信に満ちた表情から一転、絶望して冷ややかな視線を私に向ける。

 それが怖くてその場から逃げ出そうとした。でも、それより先にクーノがふわりと浮いて、私のところまで飛んできた。

 その人間離れした業に(実際人間ではないけれど)、人々は息を飲み、それから歓声を上げた。


「エミリアに会いに来た。最近ちっとも来てくれなくて、自分から行かなきゃ会えないと思ったから。……エミリア、怒ってるの?」

「そんな……!」


 クーノは、ひどく悲しそうな顔をしていた。それを見て、私が良かれと思ってしていたことが彼を傷つけたのだと気づく。

 ただ、争いごとを彼の近くで起こしたくなくて離れていただけなのに。人の醜い心に触れさせたくなくて距離を置いていただけなのに。それがクーノを悲しくさせていたらしい。


「怒ってたとかじゃないの。……ただ、たくさんの人が訪ねてくるようになって、クーノが大変だと思って……。それに巫女も神官も選ばれて、“神の御使い”の私は必要なくなったかなって」


 言いながら、ちっとも納得する様子のないクーノを見て、私は自分が言い訳をしているのだと気がついた。

 女の子が押し寄せてくるようになって、たしかにクーノは大変だったと思う。私も、厳しい言葉を投げつけられた。

 でも、遠ざかったのは私が私のことを嫌になったからだ。堂々とクーノの隣に立つ勇気のない自分が、何を言われてもクーノが好きなのだと胸を張れない自分が、本当は嫌だったのだ。


「エミリアは、僕が嫌い?」

「ううん!」

「みんなが言うんだ。『誰か選んで』って。選んでくれなきゃ、おさまらないって。そんなことを言われても困ってしまうのに。でも……誰か一人を選ばなければいけないなら、僕は迷いなくエミリアを選ぶよ。僕は君に好きだと言いに来たんだ。エミリア、僕と夫婦になってくれる?」

「それは……」


 二の句が継げないほどの驚きが静まる頃、私は高鳴る胸の鼓動を抑えて、改めてクーノを見た。

 その目は相変わらず真剣で、冗談を言っているのではないとわかる。

 「好きだ」なんて、「夫婦になってくれる?」なんて、そんな軽く言うわけない。つまり、クーノは真剣だということだろう。

 信じられないけれど、全然嫌ではない。むしろ、飛んでいってしまいそうなほど嬉しい。

 だから私はひとつ大きく深呼吸をして、クーノに頷いて見せた。



「私も、クーノが好きよ」



 その瞬間、悲鳴と歓声が同時に周囲からあがる。悲鳴は女の子たちのもので、歓声はその他大勢から。

 この騒ぎに合わせるかのように、楽隊の演奏が再開された。

 盛り上がった空気のまま、人々は踊りの輪を作り始めた。その人波に流されないように、クーノが私の肩をしっかりと抱いてくれた。


「やったわー! 真実の愛の勝利よー!」

「意地悪して得られる愛などないのよー!」


 少し離れたところで、ユリアとマリエが大声で叫んで抱き合っていた。巫女たちのことをよく思わず、私の恋を応援してくれていた彼女たちにとっても、このことは喜ばしいようだ。


「それから、もうひとつ言っておく。今日のこの祭りの夜をもって、巫女は廃止する。各自、家へ戻るように」


 クーノがよく通る声で言うと、祭壇の巫女たちが鋭い悲鳴を上げた。


「そんな! どうしてですか? 私たちは、クーノ様をお慕いし、よく仕えたではありませんか!?」

「私は、そうは感じなかった。それどころか、嫉妬や蔑みや虚栄といった悪意が終始自分の周りを渦巻いていて、気分が悪かった。真心から私に仕えているわけではなく、いかに周りと差をつけるか、他を蹴落とすかということしか考えていないのが伝わってくる。――とにかく不快で、不要だ。帰ってくれ」


 巫女のひとり、私のことを特にいじめた子が金切り声で叫んだけれど、クーノは淡々と切り捨てた。

 これ以上はクーノの機嫌を損ない、場の空気を悪くすると察した村の偉い人たちが、祭壇から巫女たちを降ろし始めた。泣きじゃくり抵抗する者もいたけれど、ほとんどの子がうなだれて力なく連れて行かれた。

 そのうちに、広場には再び活気が戻ってくる。人々は喜び騒ぎ、踊ることに専念するようになった。

 それを見て安堵して、私とクーノは人波から外れるように歩き出したのだった。


 手を繋いで歩きながら、私は信じられない気持ちでクーノを見上げた。クーノが私を好きだなんて信じられない。しかも、私と夫婦になりたいと思ってくれていたなんて。

 夢でも見ているんじゃないかと不安になって、私はジッとクーノを見つめた。

 その視線にクーノは微笑みで応えて、そして、唐突にキスをした。


「信じられないって顔をしてたから。エミリア、信じて。僕は君が好きだ」


 柔らかな表情で、甘い声で、クーノは私に言う。

 その言葉が持つ甘美な響きに胸がいっぱいになって、私は今度もただ、頷くしかできなかった。

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