第20話 喜びの鐘が鳴る
よく晴れた空に、花びらが舞っていた。白や薄紅の小さな花弁は、青空によく映える。
花を揺らす穏やかなその風は、私のスカートや髪飾りも揺らしていた。
「エミリア、綺麗だよ」
「ありがとう、クーノ」
隣を歩くクーノが、淡い青の目を細めて私を見つめる。これからこの目に見つめられて生きていくのだと思うと、恥ずかしさと共に感慨深いものがあった。
私は、この人の妻になるのだ。
あの祭の日からトントン拍子に話が進んで、私たちは結婚することになった。
神様であるクーノがはっきりと私を選んだのだから不満が出ることもないだろうけれど、何かあってはいけないと彼が村の偉い人たちを急かした結果だった。
神様という立場を最大限に使って、クーノはまるで自分が一方的に私を所望しているという姿勢をとったのだ。そうすることで、私に非難の目が向けられないように。
過去のことがあって、クーノは少し人を信用していない。特に嫉妬による悪意というものは憎んでいると言ってもいいくらいで、私が彼の周りにいた女の子たちに害されないかが心配だったのだという。
それに、クーノは一部の女の子たちが私を不美人と言ったことを非常に怒っているらしくて、今日のこの衣装は彼がティノに言ってこだわって作らせたものだった。
美しく着飾らせて、私に自信をつけさせたかったというのもあるだろうし、周りに知らしめたかったらしい。
私は、クーノが選んでくれたというだけでもう心を強く持てることができるようになったのに。
クーノの気持ちがわからなかったときは、自分が彼に相応しくないのではないかとくだらないことで悩んでいた。でも、好きだと言ってもらえるなら平気だ。
たとえ彼を好きだという子が私のことを貶しても不釣り合いだと言っても、クーノが思ってくれるだけで十分だから。
他の人が何と言ったとしても、クーノが私がいいと言ってくれるのなら、それ以上に望むことなど何もない。
なぜクーノが私を選んでくれたのかは、やっぱり不思議だけれど。
「クーノ、私でいいの?」
祝福するために集まってくれた人たちの間を歩きながら、私はクーノにだけ聞こえるように問いかけた。
隣を歩くクーノも今日は特別な服に身を包んでいて、いつもよりも何倍も格好良い。
「エミリアじゃなきゃダメなんだよ。……まだわからないの?」
少しだけ呆れた様子で、でもとびきり甘い顔でクーノは言う。
結婚すると決まってから、安心したのかクーノはいつも寛いだ様子で、私に対してはとことん優しいのだ。
私がこの人に好かれているだけでいいと思えるようになったのも、毎日飽きることなく甘やかし続けてくれたからだ。
「僕の見た目を好きと言う人はたくさんいるけれど、そんなのは意味がないんだ。僕の魂に寄り添ってくれたのは、君だけだったんだよ。……あの暗闇から救い出してくれたのは君だから」
「……クーノ」
私は森の中で闇よりも深い黒になっていたクーノの悲しみに触れて、この傷ついた魂と共に滅してもいいと思ったのだった。こんなにも傷ついて、こんなにも孤独な魂をひとりにはしておけないと思ったのだ。
あのときは、死ぬことすら覚悟した。永遠に囚われたままかもしれないと思った。それでも、クーノを淋しいままひとりでいさせたくなかっただけなのだ。
「憎しみが浄化されていくとき、僕はエミリアの心に触れたんだ。命すら賭けてもいいと思ってくれた君のあの優しさに、僕は心底惚れたんだよ。僕のことを君以上に思ってくれる人なんていない。だから、僕は君がいいんじゃなくて、君しかいないんだ」
曇りのない真っ直ぐな眼差しでそんなことを言われると、自分がまるで上等なものにでもなったような気になる。とびきりで特別で、素晴らしい存在であるかのように。
そのくらい、クーノの愛情が伝わってきて、そのくすぐったさに嬉しくて震えた。
「私はただ、淋しいあなたの魂のそばにいてあげたいと思っただけなの。誰だって、淋しいのは嫌でしょ?」
「そうだね。でも、勇気と思いやりのあるエミリアだから、僕はそばにいてほしいんだ。君が嫌だっていっても、離してやらない。絶対、逃さないから」
「……わかった」
繋いだ手に力を込めて、思いきり甘い声で言うから私は恥ずかしくて、もう俯くしかなかった。
こんなに言葉を尽くして好きだと言ってもらえるのなら、疑うのなんて間違っている――クーノの熱い視線を横顔に浴びながら、私は花舞う空の下を幸せな気持ちで歩くのだった。
拍手と祝福の声が聞こえる。
ウォルたち五人も、たくさんの人に混じって手を振ってくれていた。六十年という時間の隔たりは簡単には埋まらないみたいだけれど、それでも村の人と彼らの関係は日に日に良くなっていっているのがわかった。
みんな笑顔で、それを見ると私まで嬉しくなる。
「エミリアはすごいね。一度は君と君のおばあちゃんを弾き出そうとした村なのに、恨んでいないんだね」
感心したという口調でクーノが言う。でも、別に感心されることではないのだ。
「悪いことばかりだったわけじゃないもの。仲の良い子もいるし、優しくしてくれた人もいるから。それに、恨まずにいられるのならそうしたいなって思ってるだけよ」
「……そういう気持ちも僕にはないものだから、やっぱり君にはそばにいてもらわないと」
私の夫になる人は、どうにも感激屋らしい。
私の言ったことにひどく感じるものがあったらしく、手を繋ぐだけじゃ足りないとでも言うように、人目も憚らず私の体を抱き上げた。
「エミリア、ずっと愛し合って生きていこうね」
「もちろん!」
首にしがみついて、甘えてみる。それに応えるように、クーノはさらに私をギュッとしてくれた。
そうされることで、とろけそうなほど幸せな気持ちになる。
こんな気持ちになるのは生まれて初めてで、私はそれをもっともっと味わいたくてクーノの首に顔をうずめた。
***
結婚式から少し時間が経ったある日のこと。
私はクーノに連れられて、神殿横に建てられた塔にやってきていた。
長い階段を登って天辺にたどり着くと、そこは鐘楼になっていて、見事な鐘が吊り下がっている。
でも、よく見るとその鐘は広場にある見慣れたものとは少し違っていた。
「クーノ、この鐘……これじゃあ鳴らせないわ」
そこにある鐘は、舌(ぜつ)に続く紐がないのだ。
普通、鐘はその外身の中央からぶら下がった舌を外身にぶつけることで音を出す。でも、その舌を揺らすための紐がなければ、鳴らすことはできないはずだ。
「大切なことに気がついたね。これは、あるものでしか鳴らせないんだ。そういうように僕が魔法をかけたから」
「魔法?」
私の肩を抱き一緒に鐘を見上げていたクーノが、少しイタズラっぽく微笑む。
それは私を喜ばせようと何かしているときの顔で、だから私はその魔法がとても素敵なものなのだとわかった。
「この鐘はね、愛の力を以ってしか鳴らすことができないんだ」
「愛の力?」
「そう、愛の力。これから先、僕らの子孫が真実の愛に迷ったとき、それを見極めることができるように作ったんだ。僕は、僕らの子供にも本当に愛し合える人に出会って欲しいから」
「クーノらしいね。でも、素敵」
本当に、人間不信気味のクーノらしい考えだ。でも、悪くないと思う。
まだ先の話だけれど、私とクーノの間に子供が生まれて、その子がもしクーノに似て類稀な美しさだったら、きっと容姿だけに惹かれて寄ってくる相手もいるだろう。
自分が好きになった人が見た目だけなのか、それとも心まで愛してくれているのか知ることは、大切なことだ。
「心が憎しみに染まってしまったら、僕がしでかしたような過ちを僕らの子孫が犯すかもしれない。そうならないためには、愛が必要なんだ。愛がなければ、せっかく母なる女神が残してくれた力も正しく使えないからね」
「……そういうことだったの」
クーノとの間に子供をもうけるということは、神の血を継承していくことでもある。
それなら、子供たちがその力を正しく使えるように後々まで支えていくことも、私たちのすべきことに違いない。
「それにしても……愛の力を使って鳴らすって、どうすればいいの?」
ふと疑問に思ったことを口にしてみると、クーノは嬉しそうに笑った。
「エミリアは、僕に愛してるって伝えるときどうする?」
「そ、それは……素直に愛してるって言うわ」
少し悪い顔をして、クーノは私を見つめている。私が恥ずかしくなってしまうようなことをさせるとき、クーノはこんな悪い顔をするのだ。この顔をしたときは、彼が満足するまで解放してもらえないから困る。
私はこれから意地悪されるのを覚悟して、クーノを見上げた。
「それじゃあ足りないって言ったら?」
予想していたことだけれど、私を腕の中に抱きすくめてクーノは問う。がっちりと拘束されて、彼が私を逃がす気がないことがわかる。
「……キス、する」
「いいね」
満足げに頷くけれど、腕を解く気配はない。それどころかより一層力を込めて、熱い視線を注いでくるのだ。
「エミリア」
「……な、何?」
「どうすればいいかわかるよね?」
「…………」
こんな状況ですることと言えばひとつしかないのに、クーノは試すように私に聞く。どうやら、容赦してくれないらしい。
このまま気がつかないふりを続けても、クーノの意地悪がどんどん加速するだけで、結局クーノを満足させるだけなのだ。
だから、私は腹をくくって目を閉じた。そのまま、爪先立ちになってクーノに顔を近づける。
「よろしい」
心の底から嬉しそうに言ったあと、クーノの唇が私の唇に重なった。
最初は軽く触れ合うだけだったそれは、やがて深いものになっていく。
鼓動が高鳴って、体の奥底から幸せでたまらないという思いが溢れたとき――。
鐘楼に響き渡るように鐘が鳴った。
間近で聞く鐘の音はとても大きくて、私はさっきとは違う理由で自分の心臓が跳ね上がるのがわかった。
でもそれは決して不快なわけではなく、胸の奥を震わせるような心地の良い音だった。
「良い音だね」
「うん……祝福されてるみたいな気持ちになる」
まだ鳴り続ける鐘の音を聞きながら、階段を降りて外へ出る。
この音は、きっと今頃、村中に響いているのだろう。
私たちが愛し合っているという証の音がこんなに大きく鳴っているのは、恥ずかしいけれど同時に誇らしくもあった。
「僕は君に“魔物”として倒されて、今頃この世にいないものだと思っていたよ」
「そういえば、『仲間を集めて魔物を倒すんだ』とか言ってたよね」
クーノが森の中で私を助けてくれたことを思い出す。
村の天候不良の原因を突き止めに行くと言った私に、クーノは自分を滅ぼさせようとしていたのだ。
切り離した負の心であるあの闇をもし私が倒していたら、今頃クーノは死んでしまっていただろう。そのことを思うと、ゾッとする。クーノなしで生きることなんて考えられないのに、自分の手でこの人の命を奪ったかもしれないなんて、恐ろしいことだ。
「僕は馬鹿だった。優しい君に辛い思いをさせてしまうところだったね」
私の考えていたことがわかったのか、そっと髪を撫でながらクーノは微笑んでくれた。
クーノは、行き場をなくして森で死にかけていた私を助けて、居場所を与えてくれた人。この人が待っていると言ってくれたから、私は信じて最後まで頑張ることができるのだ。
そんな人を失わずに済んで、本当によかった。
「今、こうしていられることが幸せよ。……よかった」
愛し愛され、クーノと一緒に生きていけることが、本当に幸せだ。
その幸せな気持ちをもっと強いものにするために、私はクーノを抱きしめた。
「ずっと、鐘を鳴らせる二人でいようね」
「うん。クーノ、愛してる」
「僕もだよ、エミリア」
見上げると、優しい微笑みを浮かべるクーノと目が合う。そして、吸い寄せられるように自然と唇が重なった。
その心地良い感触に心臓がトンと跳ねて、私の体温は上昇していく。触れた場所から熱を持って、甘い痺れが全身に広がっていく。
孤独の中にあった私たちは、閉ざされた森の中でお互いを見つけた。
森に分け入ったときは、こんなふうに誰かと心を通わすことができるようになるなんて思っていなかったのに。
クーノも、人と一緒にいることをあきらめていたのに。
それでも私たちは、こうして抱き合って愛を確かめ合っている。
この愛が絶えぬよう、これからも私たちはお互いを大切にして生きていくのだ。
愛する心は、暗闇すら照らす光となるのだから。
〈END〉
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